死神である私にも、人間としての生前があった。

 職業柄自分の死に様だけは記憶しているものの、今はもう生前の名前も、いつの時代に生きどんな人生を送っていたのかも、まるで思い出すことが出来ない。

 だが別段興味があるわけではないため、気にしてはいない。それに、私の人間時代も含め下手に人間に関心を持ってしまうと、死を見届けるという仕事に余計な感情を抱いてしまって業務上宜しくないと、研修時代に教わっている。

 その教えはもっともだと思っているし、異を唱える気はさらさらない。

 しかしそれでも、この男には訊かずにはいられなかった。

「なあ、高士」

「おう、何だよ。別れの挨拶に来るなんて、死神って意外とリツギなんだな」

「……律儀と言いたいのか? 勘違いするな、挨拶をしに来たわけではない。お前に訊きたいことがあるだけだ」

「そうかい。で? なんだよ訊きたいことって?」

 静かな道を高士と二人で歩きながら、私は平淡な声色で訊いた。

「何故あいつらに、お前が死んでしまうことを言わなかったんだ?」

「……あれ? バレてた?」

 高士はとぼけたように首を傾げ、私の視線から逃れてから笑った。

「私を誰だと思っている。大体、ルーシーが接触してきた時点で死期が近いことと同義だからな。私の仕事は見届けるだけで、実際に人間を死に誘うのはルーシーの仕事だ。最初からお前の死だけは決まっていたことだったんだよ」

 だがいくら死期が近い人間は第六感が鋭くなるとはいえ、高士がルーシーの正体を見破ったのは前代未聞のことで、ルーシーも私も非常に驚いた。

「おい、ちょっと待てよ。ルーシーと関わっちまうと死ぬなら、文健も胡桃も美保チャンも死ぬってことか?」

「いや、ルーシーが仕事のために関わったのはお前だけだ。あいつは一度も自分のことを『シロヤマ』だと名乗らなかっただろう? 煙草を恵んだのも、喋れない少女としてお前を新宿まで連れてきたのも、全てルーシーの仕事だ。本来、お前は土曜の夕方に歌舞伎町でヤクザのいざこざに巻き込まれて死ぬ予定だった。死が決まっていたお前を基準に、私が独断で文健らタイプの違う馬鹿を集めた、それだけのことだ」

 私は今回の騒動の中で、胡桃、文健、美保には死神として接していない。私が三人に接触を図ったのはあくまで運命の女神――アイザワとの賭け事のためであって、彼らはまだ死ぬ運命になかったのだ。

「あー、そういうこと」

「お前たち四人を集めたのは、私の個人的な理由だからな。死神の仕事とは無関係だ」

「なら安心だわ。せっかく出会った面白い奴らがみんな死んじまうとか、そんなつまんねえ話は嫌だからな」

 そう言って笑う高士の胸中など私にはわかるはずもないが、こいつは馬鹿だが悪人ではないなと思った。

 高士が死ぬのは予定調和だったが、その過程には多少のイレギュラーがあった。

 怪我をしたことで予定時刻通りに高士の命を奪えなかったルーシーは、自分のことを心配して仇を取ろうとわざわざ《プラマリア・センタ》までやって来た高士に、たとえ力尽きたとしても使命を果たそうと、人間の命を刈る死神の鎌を振り下ろそうとした。

 そんなルーシーに高士は、

 ――わかったよ。ちゃんと死ぬから、お前の仇を取るまでちょっと待ってくれ。

 たった一言、そう言ったのだ。死ぬことへの拒否ではなく、裏切られたと非難し怒ることもなく、彼はただ数時間の延命を希望した。

 ルーシーが高士をはじめ、こんな馬鹿を助けようとした文健、胡桃、美保にも興味を引かれたのも今なら理解出来る。人間である彼らと神である私たちは、決してわかりあうことも相対することもない。しかし彼らを見ていると、人間の持つ面白さをもっと知りたくなる欲求が湧くのも当然だと分析が可能だからだ。

 だから私は、ルーシーが《プラマリア・センタ》で高士の下に三人を集めた勝手な行為を見逃すことにしたのだ。私としても楽しませて貰ったし、理屈ばかりこねて頭でっかちなルーシーがこれからどう変わっていくのか見ていくのも、私が死神として長く勤務していく中で良い暇つぶしになるだろう。

 しかし命を救われたとはいえ、神の使い魔が業務上で情けをかけることは許されない。目的を達成した高士の命を、ルーシーは容赦なく奪ったのだった。
「自分が死ぬ予兆くらいは、気づくべきだったのかもな。最期まで物事を深く考えられなかったってのは、何遍も同じことを言い続けた母ちゃんに悪い気がするわ」

 ヘラヘラと笑う高士が実に不可解だ。この男の脳味噌には、恐怖や不安という単語が刻まれていないのだろうか。

「神の目から見れば、文健も胡桃も美保もこの二日間で何かしらの変化があったことがわかる。だが、お前はどうなんだ? 私には変化がわからないが、何か自分の中で変わったことはあったのか?」

「さあ? 胡桃にも言ったけど、俺は別にやりたいこととかねえから、大きな変化とかはないかもな。でも俺だって、死ぬ前に今までとは違うことがやれたんだぜ?」

「今までと違うこと?」

「あいつらのおかげで、初めて暴力以外で仲間を守ることが出来た。超満足してるわ」

 私が腹を抱えて笑ったあの茶番劇が、高士のやりたかったことだというのか。実に不思議だが、人それぞれという言葉を知っている私は、それ以上高士に口を出すことはしなかった。

 こいつが満足しているなら、それでいい。

 扉はもう、すぐ近くなのだから。

「……そうか。では、もう一つ教えてくれ。何故お前は、また会おうという胡桃たちの提案を否定しなかった? お前はもう死ぬことがわかっていた。二度と会うことはないと言っておけば、期待もさせずに済むだろう?」

「ばーか、俺たちはみんなもう二度と会うことはないってわかっていて、別れ際に『またな』って言ったんだ。ま、こういうのは人間じゃねえとわかんねえだろうさ」

 高士の発言はやけに上から目線な挙句、説明されても理解出来なかったが、人間でなければわからないという言葉には素直に「そういうものか」と納得出来た。

「だがお前らはそう考えていても、会う機会はあるかもしれないぞ。何と言っても、アイザワに気に入られたからな」

「……あー。あの女なら、とんでもねえタイミングでやらかして来そうだな」

 高士はアイザワが苦手なのか、渋い顔をして頭を掻いた。人間の対人関係の難しさはルーシーが興味を持って観察をしている分野の一つである。

 私と高士は、行き先の決まっている細い道を歩いていた。

 足を動かしていけば、やがて大きな扉の前に辿り着く。そして扉を開けば、死後の就職試験が待っているのだ。天国に行くのか、地獄に行くのか、転生するのか、あるいは狭き門だが神になるのか。天国や地獄行きなら何年滞在するのか、転生するならどの種族になるのか等、決めるべきことがたくさんある。

 さて。暴力事件を多数起こしている、借金持ち二十二歳のギャンブラー、境高士という男には一体、どんな審判が下されるのだろう。試験という単語とは無縁そうに見えるこの男の将来を、私は少しばかり憂いてみた。

「なあ。確か、死んだ後で神になると超好待遇なんだよな? だったら俺、死神になるわ! シロヤマともアイザワともクロカワとも顔馴染みになったことだし、就職試験は顔パスだろ?」

「……憂いてやった私に、就職の斡旋を希望してくるとはな。というかお前、私に辞職しろというのか? ……まあ、今回人間を四人も《プラマリア・センタ》へ連れてきた件で、私が首になる可能性もあるのか。だったら、一次面接くらいは通してやるように話しておくとしよう」

「お、話がわかるじゃねえか。俺が死神になったらお前を部下にして、こき使ってやるよ」

「死神に部下はいない。いるのは、実際に人を死に誘う使い魔だけだ。……ああ、その点で考えれば、ルーシーはお前を気に入っているから有利なんじゃないか?」

「俺を? 止血してやったからか?」

「それもあるが……なんだかんだいっても、ルーシーは烏だからな。安っぽくても、キラキラしているモノが好きなんだよ」

「よくわかんねえよ。俺はガラスじゃねえんだぞ?」

 気がつけば口元を緩めていた私が高士との会話を楽しんでいることを自覚したとき、ゴールが見えてきた。扉が視認出来る位置まで近づいてもなお、高士は足を止めることも速度を緩めることもなかった。

「……高士、怖くはないのか?」

「何が?」

「何がって、これからのことだ。ろくでもない人生を送ったお前のことだ。相応の審判が下されることになるかもしれんぞ」

「別に。俺の人生をベットした賭けみたいなもんだろ? 金になるわけでもねえなら、どうでもいいよ」

 ――まったく。この男に関しては、いくら私が脳味噌を捻ったところで、到底理解は出来ないのだろうな。

 高士に合わせて私も頭を空にして、最後くらいこいつの好きそうな話で終焉を迎えさせてやるのも悪くないと思った。

「別れの挨拶代わりに、お前の好きなギャンブルでもしようか。もしお前が勝てば生き返り、私が勝てば、お前は問答無用で地獄行きにして貰う……というのはどうだ?」

「お、なんだそれ。面白そうじゃねえか!」

 高士は少年のように顔を輝かせた。

「決まりだな。ゲームの内容は高士が決めていいぞ」

「そうだなー……ここには雀卓もねえし、ジャンケンでいいや」

「……それでいいのか? 随分あっさりしているな」

「金になるわけじゃねえんだろ? だったら、単純明快な方が面白い」

「金にはならないが生死が懸かっているのだぞ」と口にしたところで、高士には意味がないと学習していた私は何も言わなかった。

 高士はポケットから右手を取り出して、不敵な笑みを浮かべた。

「俺、パー出すから」

 成程、つまらん駆け引きだと思った。人間の、しかも単純馬鹿の分際で私に心理戦を挑むなど、百年どころか千年は足りない。

 だが、私の口元には意図しない笑みが浮かんでいた。さて、どうしてやろう。

 向かい合った私と高士の行く末を見守るように、重厚な扉がそびえ立っている。

「それじゃ、行くぞ。最初はグー、ジャンケン……」

 私は構え、右手を出したのだった。(了)