毟り取られた羽の根元の皮膚は熱く、血が止まらない。だが使い魔として、自分の怪我ごときでご主人を呼ぶなんて迷惑をかけてしまうことは、断じてできない。
《プラマリア・センタ》で暴行を受け新宿の大通りに捨てられた私は、かろうじて人の目につきにくい場所まで移動した。死に際を大勢の人間に見られるのは、耐え難い苦痛だったのだ。
勝利の女神様は私が恐怖で腰が抜けるくらい、ご主人に対しての執着心が強い。ご主人は無事なのだろうか? 勝利の女神様はご主人を溺愛しているから傷物にはしないだろうが、拉致監禁くらいは軽く実行してしまうだろう。
私はこれまで仕事をしながら人間の感情や文化を学んできたつもりであったが、神と呼ばれる彼女たちの心情にはあまり興味を持たなかった。何事にもあまり関心を示さず、表情豊かとは言えないご主人を見る限りではこの仮説は立てにくいのだが、神という種族がもしも人間以上に強欲で残酷であるならば、私もご主人も助かる見込みはないだろう。
――そうか、成程。私は今更ながらに理解したことがある。
神にも個性があるように、人間も一括りにして考えることはできないのではないだろうか?
私は趣味で接触する人間には多くの質問をして思考データを取ってはいるものの、それすら多数派か少数派に分けられるくらいで、誰一人として同じデータにはならないではないか。死に際に悟った内容にしては、あまりにも普通過ぎて面白味に欠ける結論だ。これでは偉そうに語ってきた方々に顔向けするのも恥ずかしい。
「しっかしルーシー。お前マジで変装下手だなー。電車で会ったあの不思議中学生とお前が同じ奴なんて、誰だってわかるだろ。もっと上手くやらねえと、死神の使い魔なんてできねえんじゃねえの?」
私の体を手に取る骨っぽい手に瞳孔が反応した。相当に痛いのだから気安く傷口に触らないでほしい。大体この男、笑いながらからかってきているが、普通私の変身を見破るなど有り得ないことだ。貴方が特殊すぎるのだと伝えたいのに、声が出ないのがもどかしい。
「つか、なんで喋れない設定にしたんだよ? 姿形は人間になれても『カアー』しか言えないからか?」
違う。烏の姿なら唇の構造上確かに不可能だが、地球上のあらゆる人間語を理解している私なら、人間に化ければ話すことなど容易である。だがこの男は単純馬鹿であるがゆえ、普通のことをしては興味を引けない、目的を果たせないと思ったのだ。
今にして思えば、考える時間を取れる筆談にして正解だった。下手なことを口走ってしまったときに、彼が何をするのか私には想像もつかないからだ。
彼は路地裏の奥深く、日陰で寒さの厳しい場所まで移動してからそっと私を地面に置いた。
「ここまで来れば野次馬もこねえだろ……てか、鳥も人間と一緒のやり方で止血していいのか? まあいいや。消毒液なんかねえけど、俺は喧嘩と止血だけは得意なんだよ。尊敬してくれていいぞ」
彼はそう言って、黄色いコスチュームの中に着ていたインナーシャツを脱いで引き裂いた。包帯のように細長く千切ったそれを使って血が止まらない私の体をきつく縛り、止血を試みているようだ。叫び出したくなる程痛かったが確かに手際はよく、出血から来る貧血、具合の悪さは少し良くなった気がした。
「おお、俺もまだまだ現役じゃねえか。最近は殴られて止血するなんてことはなかったから、腕が衰えたかと思ってたぜ」
「ほう、器用なものだな。お前のような人間でも、長所というものがあるのか」
「うっせ、黙れ。……じゃあ、ルーシーのことは頼んだぜ。俺は勝利の女神サマをぶん殴るために、お前に教えてもらったやり方でちょっくら、カミサマの国とやらに行ってくるからよ」
彼と話している声の主に私は反応した。高くも低くもない美しい声色。そして独特の話し方。まさかと思って瞳を動かした私は、目を疑った。ご主人が境高士というこの男を《プラマリア・センタ》に送ろうとしていることが、信じられなかったのだ。
いや、よく考えてみればご主人の様子は最初から変だった。
人間を死に誘うのが私で、彼らの死を見届けるのがご主人の仕事である。ご主人は死神という職業に赴任したときから完璧に仕事内容を理解していて、私が使い魔として派遣されたときにはすでに冷徹で人間に無関心、淡々と働く少女という印象が強かった。
しかし昨日からご主人の様子はおかしい。仕事の範疇を超えている気がするのである。
境高士の行動を興味深そうに眺め、相葉胡桃の考えを黙って聞いて、芳野文健の情けない性格を好み、椎名美保に対してはご主人が高校生である身分のうちに亡くなった過去を持つからか、贔屓と呼べる範囲で気にかけている。普段冷徹なご主人がこんなことをしていれば、運命の女神様も勝利の女神様もご主人にちょっかいをかけたくなるのは当然と言えるだろう。
死に際の使い魔の分際でご主人の心情を無礼にも考察しているうちに、とある好奇心が湧き上がってきた。
……ふと、試してみたくなったのだ。彼らが互いにどんな影響を及ぼし、生まれた絆によって何を変えることができるのか。
実に価値のある実験だ。その結果、もし私が予想も期待もしない方向へ未来が進むなら――おそらく、私の価値観も烏生も根本から変わるのだろう。
好奇心は猫を殺すと聞く。あの賢い天才猫ですら、最期はそれにやられた。
私も死ぬ可能性が非常に高いが、この実験結果がわかるなら、満足のいく冥土の土産になるというものだ。
《プラマリア・センタ》で暴行を受け新宿の大通りに捨てられた私は、かろうじて人の目につきにくい場所まで移動した。死に際を大勢の人間に見られるのは、耐え難い苦痛だったのだ。
勝利の女神様は私が恐怖で腰が抜けるくらい、ご主人に対しての執着心が強い。ご主人は無事なのだろうか? 勝利の女神様はご主人を溺愛しているから傷物にはしないだろうが、拉致監禁くらいは軽く実行してしまうだろう。
私はこれまで仕事をしながら人間の感情や文化を学んできたつもりであったが、神と呼ばれる彼女たちの心情にはあまり興味を持たなかった。何事にもあまり関心を示さず、表情豊かとは言えないご主人を見る限りではこの仮説は立てにくいのだが、神という種族がもしも人間以上に強欲で残酷であるならば、私もご主人も助かる見込みはないだろう。
――そうか、成程。私は今更ながらに理解したことがある。
神にも個性があるように、人間も一括りにして考えることはできないのではないだろうか?
私は趣味で接触する人間には多くの質問をして思考データを取ってはいるものの、それすら多数派か少数派に分けられるくらいで、誰一人として同じデータにはならないではないか。死に際に悟った内容にしては、あまりにも普通過ぎて面白味に欠ける結論だ。これでは偉そうに語ってきた方々に顔向けするのも恥ずかしい。
「しっかしルーシー。お前マジで変装下手だなー。電車で会ったあの不思議中学生とお前が同じ奴なんて、誰だってわかるだろ。もっと上手くやらねえと、死神の使い魔なんてできねえんじゃねえの?」
私の体を手に取る骨っぽい手に瞳孔が反応した。相当に痛いのだから気安く傷口に触らないでほしい。大体この男、笑いながらからかってきているが、普通私の変身を見破るなど有り得ないことだ。貴方が特殊すぎるのだと伝えたいのに、声が出ないのがもどかしい。
「つか、なんで喋れない設定にしたんだよ? 姿形は人間になれても『カアー』しか言えないからか?」
違う。烏の姿なら唇の構造上確かに不可能だが、地球上のあらゆる人間語を理解している私なら、人間に化ければ話すことなど容易である。だがこの男は単純馬鹿であるがゆえ、普通のことをしては興味を引けない、目的を果たせないと思ったのだ。
今にして思えば、考える時間を取れる筆談にして正解だった。下手なことを口走ってしまったときに、彼が何をするのか私には想像もつかないからだ。
彼は路地裏の奥深く、日陰で寒さの厳しい場所まで移動してからそっと私を地面に置いた。
「ここまで来れば野次馬もこねえだろ……てか、鳥も人間と一緒のやり方で止血していいのか? まあいいや。消毒液なんかねえけど、俺は喧嘩と止血だけは得意なんだよ。尊敬してくれていいぞ」
彼はそう言って、黄色いコスチュームの中に着ていたインナーシャツを脱いで引き裂いた。包帯のように細長く千切ったそれを使って血が止まらない私の体をきつく縛り、止血を試みているようだ。叫び出したくなる程痛かったが確かに手際はよく、出血から来る貧血、具合の悪さは少し良くなった気がした。
「おお、俺もまだまだ現役じゃねえか。最近は殴られて止血するなんてことはなかったから、腕が衰えたかと思ってたぜ」
「ほう、器用なものだな。お前のような人間でも、長所というものがあるのか」
「うっせ、黙れ。……じゃあ、ルーシーのことは頼んだぜ。俺は勝利の女神サマをぶん殴るために、お前に教えてもらったやり方でちょっくら、カミサマの国とやらに行ってくるからよ」
彼と話している声の主に私は反応した。高くも低くもない美しい声色。そして独特の話し方。まさかと思って瞳を動かした私は、目を疑った。ご主人が境高士というこの男を《プラマリア・センタ》に送ろうとしていることが、信じられなかったのだ。
いや、よく考えてみればご主人の様子は最初から変だった。
人間を死に誘うのが私で、彼らの死を見届けるのがご主人の仕事である。ご主人は死神という職業に赴任したときから完璧に仕事内容を理解していて、私が使い魔として派遣されたときにはすでに冷徹で人間に無関心、淡々と働く少女という印象が強かった。
しかし昨日からご主人の様子はおかしい。仕事の範疇を超えている気がするのである。
境高士の行動を興味深そうに眺め、相葉胡桃の考えを黙って聞いて、芳野文健の情けない性格を好み、椎名美保に対してはご主人が高校生である身分のうちに亡くなった過去を持つからか、贔屓と呼べる範囲で気にかけている。普段冷徹なご主人がこんなことをしていれば、運命の女神様も勝利の女神様もご主人にちょっかいをかけたくなるのは当然と言えるだろう。
死に際の使い魔の分際でご主人の心情を無礼にも考察しているうちに、とある好奇心が湧き上がってきた。
……ふと、試してみたくなったのだ。彼らが互いにどんな影響を及ぼし、生まれた絆によって何を変えることができるのか。
実に価値のある実験だ。その結果、もし私が予想も期待もしない方向へ未来が進むなら――おそらく、私の価値観も烏生も根本から変わるのだろう。
好奇心は猫を殺すと聞く。あの賢い天才猫ですら、最期はそれにやられた。
私も死ぬ可能性が非常に高いが、この実験結果がわかるなら、満足のいく冥土の土産になるというものだ。