中途半端に終わってしまった演劇の後始末に追われつつ、放心状態の文健の手を引いて駅前を後にするのは容易ではなかった。

 胡桃は冷やかしの声や暴言に耐えながら、なるべく美保に負担のかからないよう観てくれていた人たちに率先して頭を下げた。なんでわたしがこんなことをしなければならないのだろう、逃げてしまいたいと本気で思った。

 ようやく落ち着くことができたのは、ファミリーレストランの座席に腰掛けてからだった。

「……文健さん、着替えて来てください。あっちにトイレがありますから」

 美保に言われて自分の格好を確認した文健は、コートを羽織らされているだけで、コートの下はヒーローコスチュームのままであることにようやく気づいたようだ。生気のない顔で立ち上がり、ふらふらとトイレに入っていった。少しして戻ってきた文健の左頬は見事に腫れていて、少しでも腫れを引かせようとドリンクバーで氷を拝借した美保がお絞りを冷やし、文健の頬に当てていた。

 高士が劇を放り出してから後始末を何も手伝ってくれなかった文健に、胡桃が腹を立てなかったといえば嘘になる。だが時間が経つにつれ、文健がこんなにショックを受けていることが意外で冷静になっていった。文健は高士のことを信頼していたのだろう。裏切られたことに誰よりも傷ついているのかもしれないと彼の気持ちを憶測した胡桃は、文健に同情の念を抱きつつあった。

 文健程ではないが、胡桃だって高士に対しての怒りや疑問を抱いていたし、それに何より心配で胸中をかき回されていた。高士は何がしたかったのだろう。わたしたちの思いを裏切ってまで、優先すべきことがあったのだろうか。

「……顔、大丈夫? 痛そうね」

 文健に声をかけると、彼は顔を上げないまま、搾り出すように言葉を吐き出した。

「……胡桃にからんで来た奴は、一撃で意識を失っていただろ? 高士はさ、手加減して俺を殴ったんだ。……中途半端な優しさが、余計にやりきれない。そんなことするくらいなら、なんで、あいつ……」

 文健が飲み込んだ言葉の続きは胡桃にもわかった。文健は一度大きく深呼吸をして、気持ちを整えてから苦笑いを浮かべた。

「……高士、本当に俺の脚本読んだのかな。馬鹿だから、意味をわかってなかったんじゃないのかな。……いや、リハーサルではできていたから、こんなことを言うのは逃避でしかないってわかってる。でもさ……本当に、しかも俺たちから見て『完全超悪』になって、どうするんだって話だよなあ……」

 三人の間に流れる空気は重く、周りの客席から聞こえてくる楽しそうな声がやけに騒がしく感じられた。

「……でも、高士さんがいなくなってしまったので、《デベロップメント・サプライジング》を成功させることは、難しくなってしまいましたね……今からどうします? ……解散、しますか……?」

 二人の様子を窺った美保は、提案しながらも否定してほしそうな表情をしていた。確かに、彼女の性格や立場では、年上の胡桃と文健を引っ張っていくことは難しいだろう。だったら、今の文健は頼れそうにないし自分がなんとかしなくては。胡桃がそう決意を固めたとき、文健は頬に当てていたおしぼりをテーブルの上に置いた。

「……シロヤマさんを呼び出そう。あの人なら、何かわかるかもしれない」

「……え? ふ、文健さんがそう言ってくれるなんて、意外でした」

 美保が目を白黒させていた。胡桃も全くもって同感だった。

「いやまあ、俺一応最年長だしさ。さっきまで二人には迷惑かけちゃったし、俺が二人を引っ張らなくちゃいけないと思ったんだよ。ここでやらなきゃ男じゃないよな。たった数分でもヒーロー役をやったんだし、ここで変われなくてどうするんだって思って」

 まるで自分に言い聞かせるように、恥ずかしそうに語る文健を、胡桃も美保も温かく見守る気持ちになっていた。

「ありがとうございます、文健さん。あたし文健さんのこと見直しました!」

「うん、素敵だと思う。文健についていくから」

「なんで二人ともそんなに上から目線なんだよ……じゃあ、呼んでみるよ」

 笑顔を取り戻した文健は、一旦大きな深呼吸をした。

「――シロヤマさん、出て来てくれ。俺たちの話を聞いてくれ」

 彼なりに心を込めて言葉にした様子だったが、シロヤマが出てくる気配は微塵も感じらず、たまらず胡桃は吹き出してしまった。

「ちょ、なに笑ってんだよ!」

「だって、これは笑うでしょ! なんでここで体張ったギャグかますのよ!」

「ギャグじゃない! 俺はいたって真剣だ!」

「だから余計に笑えるんでしょ? あー、おかしい。……でも、呼び出すためには条件とかあるのかしら? ランプの魔人的な?」

「ば、場所が悪いんですかね? ファミレスじゃダメ、とかですか?」

「いやー、方法はともかく。文健がすごく恥ずかしかったことは深く弄らないでおくね? 『シロヤマさん、出て来てくれ』、って、目を瞑ってさ、」

「もう弄っているじゃないか! 忘れてくれよ!」

 顔を真っ赤にした文健がふて腐れたように胡桃から視線を逸らしたとき、シロヤマはそこにいた。

「うわああああ!」

「なんだ、自分から呼び出しておいて無礼な奴だな」

 シロヤマはぶっきらぼうにそう言って、文健の目の前に置いてあった水を飲み「まずい」と渋い顔をした。この展開を誰が予想できただろうか。突然現れたシロヤマに全員が戸惑った。

「高士はもうお前たちの前には戻って来ないぞ。あいつはルーシーの仇を討つために、戻って来られない場所に行ったからな」

 胡桃が疑問をぶつけるよりも早く、シロヤマは答えを口にした。

「ルーシーの仇って……。ルーシーって、昨日高士に銃を向けていた女の子のことよね?」

「あれは仮の姿に過ぎん。ルーシーは今日、血まみれで横たわっていた烏だ。それより文健、でかいパフェが食べたいから注文しろ。しかし、禁煙席というのはいいな。私は酒は好むが嫌煙家でね。高士がいると煙草臭くて食欲も湧かないからな」

 シロヤマの注文に、文健は従順にオーダーボタンを押した。

「ど、どういうことですか?」

「ああ。高士はな、私の使い魔であるルーシーが殺されかけたことに立腹して、私の同業者である犯人のところに殴りこみに行ったんだよ」

 前のめりで質問する美保に対し、シロヤマはパフェが待ちきれないのか、ウエイトレスを見ながら心ここにあらずの状態で答えた。

「同業者? 誰ですか? 運命の女神様ですか? というか殴りこみって、高士さんは神の世界にでも行ったってことですか?」

「美保、一度の台詞の中では質問は一つにしてくれ。……まあ結論から言えば、犯人は運命の女神ではない。やったのは勝利の女神だよ」

「……え、ちょっと待って、新メンバー? 急に言われてもわかんないって。大体、その勝利の女神は、どうしてあんたの使い魔に関わってきたのよ?」

「最後まで聞け。勝利の女神は私と運命の女神の会話が最近増加傾向にあるのが、どうにも気に食わなかったみたいでね。無理にでも私の気を引こうと、ルーシーに手を出したらしい。全く、勝利の女神はいつも子どもみたいなことをするから困っている」

「ぜ……全然わからないんですけど。もう少し詳しく話してよ」

 クエスチョンマークが頭上に出ているのが視認できるくらい、三人は混乱していた。

「前にも言ったとは思うが、私は神の国《プラマリア・センタ》では年齢も若い方で新入りに分類されるから、もう長い間その地位に就いている勝利の女神も運命の女神も、本来大先輩なんだ。だが二人はどうも、新入りの私をからかうのが面白いのか、こぞって好意をアピールしてきては私を困らせて楽しんでいるのだ。長生きしている神のやることはよくわからん」

「え……っと。つまり、勝利の女神様はシロヤマさんと運命の女神様に嫉妬したってことですか?」

「嫉妬? ふむ、そうとも言えるかもな。私はどちらかと言えば、執着といった方が近いとは思うがね」

 文健が頭を抱えていた。胡桃も同じ気持ちだった。

「おいおいなんだよ……神様って百合だらけじゃないか!」

「百合? なんだ文健、ここで花の名前が出てくるのは意味がわからない。説明してくれ」

「それは後にしてちょうだい……ねえシロヤマ、ルーシーと高士にはどんな繋がりがあったの? 仇を討ちたくて戻って来られない場所に行ったなんて、高士はルーシーに命でも助けられたの?」

 これまでの質問には即答してきたシロヤマが、胡桃の質問には少しだけ間を置いて言葉を選んでいるように見えた。

「……正直、私にもよくわからないのだ。ルーシーは高士と一緒に新宿に来ただけだ。高士が女子中学生に変装していたルーシーの正体に気がついたことも、ルーシーが傷つけられたことに腹を立てたことも、私や勝利の女神、そして運命の女神にも予想外のことだったのだ」

 ――今、何かとても重要な鍵になる言葉を耳にした気がして、胡桃は息が止まった。文健も美保も気がついたようで、思わず三人は顔を見合わせた。

 シロヤマが発した「予想外」という単語。それが意味するのは、

「……よ、予想外って。つまり、運命の女神にとって予想外だったということは……?」

「そうだ。私とお前たちの目的は、達成されたことになる。奴の鼻を明かせたことに礼を言わせてもらおう。ありがとう。それから、予想外のことをしたことでお前たちの運命は僅かではあるが、運命の女神の仕事から外れた。今後の人生、注意して生きるといい」

 あまりにも呆気なくあっさりと、四人で力を合わせ頑張ってきた《デベロップメント・サプライジング》が達成されたと聞かされ、呆然としてしまった。その間にウエイトレスが運んできたデラックスパフェを、シロヤマは上のアイスと生クリームの部分だけ平らげた。

「……あまり美味くないな。それでは、私はここで失礼する。じゃあな」

 立ち上がったシロヤマの袖を、真正面に座っていた美保が掴んで引き止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 一人で一方的に話して、あたしたちの頭が追いつかないうちに去って行こうとしないでください! こ、これから高士さんはどうなるんですか!?」

「高士は戻って来られないと言っただろう? あいつの人生の大半は暴力に占められていたが、学習することも成長することもなく最期まで暴力で終わるとはね。本当にわかりやすい馬鹿だった」

 シロヤマの言葉で高士の人生が容易に想像できた。胡桃がふと視線を逸らすと、文健と美保が胡桃を見て頷いていた。

「あたしたちも、高士さんが行った場所に行きます! 高士さんを連れ戻して、それで、ちゃんとお別れを言わなきゃ、あたしたちは解散できないんです!」

「……言葉が通じていないのか? 美保はやはりまだ幼すぎるな。人間の自己都合に付き合う神がどこにいる?」

「そうですよ子どもですよ! でも、高校二年生って人生で今しかなぐで! だば好き勝手言ったっていいでねえですか! だって、まだ未来があるんですから!」

 興奮しているのかすっかり方言が出てしまった美保は、言い終わった後で顔を赤くして黙り込んだ。美保の言葉は胡桃にとって意外だった。美保はもっと大人しくて、身を弁えた子だと思っていたのだ。

「……自分にはまだ未来があると、どうして思う? 私は死神だ。何度も人間の死を見てきた。世の中には理不尽な死がどれだけ多いと思う? お前だって、明日には死んでいる可能性は否定できないのだぞ」

「……高士さんに胡桃さん、文健さんと出会って、話して、目標を決めて行動して、何かを感じたんです。説明になっていないとは思いますけど、お二人にはきっと伝わると思います」

 ――ああ、そういうことね。確かに胡桃は美保の言わんとすることがわかった。

 胡桃が美保の未来を羨ましいと思ったように、文健の夢に嫉妬したように、高士の自由さに触れたいと思ったように。四人が出会ったことでそれぞれ何らかの影響を受け、変わろうとしているということだ。

 素敵な気持ちの共有じゃないか。胡桃は笑いながら美保の肩を叩いた。

「わたしと文健も同じ気持ちよ。もう一度高士に会いたいし、連れ戻したいとも思ってる。ね、お願いシロヤマ。わたしたちを、高士のところに連れていって」

「……胡桃は無難で現実的、リスクを負わない生き方を好んでいたはずだが?」

「まあね。でもさ、それだとつまんないかなって。美保ほど若くはないけど、わたしだってまだ二十歳だし? 冒険するのもたまにはいいでしょ?」

 シロヤマが腑に落ちない顔をしていたが、胡桃自身、自分の行動に筋道の通った説明が出来ないのだから当然だと思った。

「揃いも揃ってコウシコウシとよくわからないな。出会って二日目の他人だろうに」

「それでも……作為的な出会いだったとしても、こんなに気になって、助けたいと思う存在になってしまった。あなたの言葉を借りれば、これも運命なんだと思います」

 シロヤマの疑問に答えたのは胡桃でも美保でもなく、文健だった。

「……文健、割と恥ずかしいこと言うわね。やっぱり、作家様は言うことが違うのかしら?」

「う、うるさいな! いちいち茶化すのはやめろ!」

 シロヤマは何を思っているのか、しばらく言葉を発さずに黒の大きな瞳で大部分が残ったままのパフェを見つめていた。三人が真剣にシロヤマを見つめ続けていると、溜息交じりに言った。

「……連れて行くのはいい。だが、帰り道の保証はしないぞ」

「あ、ありがとうございます!」

 美保がシロヤマの手を取り勢いよく礼を述べると、シロヤマは面倒くさそうに掴まれた手を振りほどいた。

「勘違いするな。私はお前たちの訴えに揺れたわけではなく、運命の女神や勝利の女神が慌てる姿が見られるのではないかと、期待したからに過ぎない」

「ありがとう。あなたが協力してくれる理由はそれで十分よ。それで、高士は具体的にはどこにいるの? そこに行くために、わたしたちは何をすればいいの?」

「高士が行ったのは私たちが住んでいる神の国、《プラマリア・センタ》だ。人間が神の存在する領域に足を踏み入れる以上、お前たちは覚悟を決める必要がある。行き方は簡単だ。一回死ねばいい」

 シロヤマの軽い物言いに、胡桃は「OK」と気軽に返事をしそうになった。文健と美保も愕然とし、シロヤマの言葉を受け入れられていないように見えた。

「……え、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ってことは高士って、え!? 死んだってことですか!?」

「いや、まだだ。高士は今、正確に言えば仮死状態にある。生きている人間は《プラマリア・センタ》に入ることは許されない。死ぬか、もしくは生死を彷徨っている人間だけが足を踏み入れることが出来るのだ。通常の死の場合、死んだ人間は天国に行くか地獄に行くか、あるいは《プラマリア・センタ》内で私のように神の仕事をするか、選定されるわけだが……まあ、この話は置いておく。お前たちも高士のところに行きたいなら、死ぬか仮死状態か、どちらかを選べ」

「「「仮死でお願いします」」」

 三人の声は綺麗に揃った。

「わかった。では早速出発するか?」

「……あの、その前に一つ提案があります! 運命の女神様とか勝利の女神様では呼びにくいですから、ニックネームをつけませんか?」

 思いがけない美保の提案に、胡桃と文健は瞬時に顔を見合わせた。美保のセンスは《デベロップメント・サプライジング》命名の際に十分に理解している。もうあんな悲劇を起こすわけにはいかない。胡桃が文健に「何か提案しなさいよ」と目で訴えると、文健は小さく頷いた。良かった。伝わったようだ。

「俺の提案を聞いて欲しい。運命と勝利だから……『ディスティニーゴッド』に、『ビクトリーゴッド』はどうだろう?」

(美保と同発想じゃないの! っていうか、女神だったらゴッドじゃなくてゴッドネスだし!)

 と、胡桃は心の中で突っ込みを入れた。

「聞いてください! あたし、いい名前を思いつきました! 運命の女神様は『実在する魅惑のマドンナ』、勝利の女神様は『世界を統べる高貴な女帝』なんて、どうでしょう?」

 大変なことになった。一刻も早く軌道修正しなければという使命感にかられた。

「ふむ。呼びやすいかは別として、奴らが喜びそうな名前だな」

 シロヤマもまた、的外れなことを口にして美保の追い風になっている。ここはもう、適当でもなんでもいいから別案を出す必要があった。

「呼びにくいからあだ名つけようって言ってるのに、余計にややこしくしてどうするのよ。もうさ、適当でいいんじゃない? シロヤマって名前に沿って色縛りで、運命の女神はアイザワ、勝利の女神はクロカワ、それでどうかしら?」

「安易すぎませんかね? でも、胡桃さんが言うならあたしは賛成です」

 美保が納得してくれたことに胡桃はほっと胸を撫で下ろした。文健は何か言いたそうだったが、見てみぬフリを決めこんだ。

「と、いうわけで話はついたわ。シロヤマ、わたしたちはいつでも準備OKよ」

「なんだ、つまらん名前になったな。じゃあ行くか」

 シロヤマは左手の小指を使って空中に何かを描いた。図形のようだったが、胡桃には何を描いているのか具体的に読み取ることは不可能だった。

「お前たちには地球上でどんな死に方をしても、絶命することのないまじないをかけた。さあ、好きに死んでくるがいい。仮死状態になった体は回収しておいてやる」

「え、それだけですか? 《プラマリア・センタ》に着いてからの作戦とか、何かないんですか?」

「群れなくては何もできないのならば、どちらにせよ高士を助けるなんて不可能だ。人間は死んだらどうせ一人なのだから」

 不安そうな文健の訴えを一蹴し、シロヤマは立ち上がった。もう何も訊くことはない。あとは、自分たちの勇気が試されるだけだ。

「第一、私は大勢の中にいるときは強気な癖に、一人になった途端に何もできなくなる人間の性質を嫌悪している。だが、強制するつもりもない。私はあくまで好奇心から手を貸しただけだからな。まじないの有効期限は一時間だ。怯えたならばこのまま解散しても構わないぞ。では、再び会うときがあれば」

 シロヤマはそう言って今度こそ完全に姿を消した。面倒見のよすぎる死神らしくない死神ではあったが、去り際だけは神様の立場で言葉を残していった。

 三人に、残酷な選択肢を残したのだから。

     ☆

 胡桃は新宿駅東南口、ルミネ前のエスカレーターの上にいた。やる気の無さそうにティッシュ配りをする若者、携帯電話を耳に当てる女子、本当にいろいろな人が密集している。

 胡桃にとっては当たり前のこの光景に、美保は憧れていると言った。口元に笑みが零れる。胡桃だって、二年前に上京してきたときは同じような感想を抱いていたはずなのに、もう思い出せないのだ。

 元々自分は地味なタイプではないと思っていたけれど、一日一日を適当に過ごしているうちに、都会に染まったと言われるようになった。なんのために上京して大学に行っているのか、目的を見失ったままなのに。

「……調子乗ってんのは、わたしか」

 独り言を呟いてみても誰も振り向くことはなく、胡桃の存在そのものが雑踏に消えていくようだった。ここで死にかければ注目は浴びるだろうけれど、本気で心配してくれる人はその中で何人くらいなのだろう。

 シロヤマが消えた後、残された胡桃たちはお互いの意思を確認しなかった。神の国《プラマリア・センタ》に行くも行かないも、口に出して確認し合うことではないと三人は無意識に判断した。群れるなというシロヤマの言葉を脳裏に焼き付けたまま、それぞれが死に場所を選ぶために一旦別れた。向こうで合流できるかもわからないし、もしかしたらこのまま帰宅しているのかもしれない。

 それも個人の自由だし、胡桃には何も言う資格はないけれど。

 それでも、みんなと向こうで再会できたなら、今よりずっと生きていくことへの夢や希望が持てる気がした。

 だから胡桃は飛ぶことを決めた。助走をつけて駆け出し、思い切り右足を踏み切り――地上へと落下していった。