『我輩は猫である』の猫。彼は天才だなとつくづく思う。

 私はあんなに上手い、一言で読者を惹き込ませるような自己紹介を、どうしても思いつくことが出来ない。悩めば悩む程、考えれば考える程に、冗長したセンスの欠片もないものになってしまう。彼に心から憧れつつも、仕方がないかという諦めもあるから、時折自身の不甲斐なさを思って始末に終えない気持ちを燻らせている。

 羨望と劣等感を抱えつつも諦念している理由の一つに、そもそも彼は猫で、私は烏という種別の違いが挙げられる。脳味噌の大きさも違うし、人間からの愛され方も大きく違う。故に、私は彼と同じ目線で語ることは出来ないのだ。

 猫という種族。その中でも飼い猫は、とてつもなく頭が良いと断言出来る。
一日中寝ていても、誰にも咎められないどころか暖かい目で見守られ、甘ったるい声で鳴くだけで衣食住の提供を確約されるなんて、愛され方をわかっている者でなければ到底出来ない、神の如き才能としか思えないからだ。

 それに対して、私たち烏という種族は正反対だ。人間からはそこにいるだけで嫌そうな顔を向けられ、縁起が悪いだの不吉だの、勝手な都合で煙たがれていることには異を唱えたい。私たちとしても、種を後世に残すために必死なのである。

 嘴を持ったこの姿の状態では、私は人間語を話すことは出来ないのだが、どうしても伝えたいことが一つある。

 我々烏は、愛嬌という点では猫には到底敵わないのかもしれない。だが、頭が良いという定義が記憶力、洞察力、計算力に限ればの話にはなるが、鳥頭などと例えられ、嘲笑されてはいても決して頭が悪いわけではない、ということだけはどうかご理解頂きたいのである。

 給料を貰って仕事をしている身分、限度を超えて休憩していてはいけないという考えの下、私は休めていた黒い翼を羽ばたかせて空を舞った。多くの人間が集うあの街に向かうため、冷たい風を切り裂きながら直進する。

 今日は彼のところへ顔を出さなくてはならない。面倒だという気持ちがないといえば嘘になるが、仕事とはそういうものだろう。

 前文で私が言わんとしたことが勘違いや自惚れではないのだと、今から行動で示せたらと考えている。

 だから、私の仕事を知る気持ちがあるのなら、是非ご覧頂きたい。

 そして願わくば、こんな大層な仕事は烏には決して勤まらないだろうと油断している貴方にこそ、私のような存在は実は貴方のすぐ側にいるのかもしれないのだと、少しでも緊張して頂けるなら幸いである。