梅雨のさえずりが窓越しに聞こえ、ガラスには様々な大きさの斑点が模様づけされていた。マンゴーフラペチーノを口に含み、涼しい甘さが鼻を抜け、私は小さくため息を吐いた。
「どうした、凛」
 マンゴーフラペチーノをまた一口飲んで頬杖をつき、目の前でアイスコーヒーを飲んでいる男性に視線を向けると首を傾げていた。金髪のウルフマッシュに奥二重だけど大きい目、私ぐらい小さくて細くて白い顔。最近モデルになった幼馴染、清水大樹はパーマのかかった前髪を指でなぞっていて、さすがモデルというところか、妙に様になっていた。
「なに見とれてんの?」
 そっと私の手に手を重ね、雑誌に載っているワンシーンみたいに大樹は優しい眼で覗いてくるけど、私は苦く笑って背もたれに寄りかかって腕を組んだ。
「はいはい、かっこいいですね」
「だろ?」
 とたんにフルーツポンチみたいな甘ったるい雰囲気は消え、通常運転のこどもっぽい笑顔に切り替わった。大樹は癒し系のイケメンモデルとされているけど、じっさいはただのガキ。悪戯好きで、いちいち言動が鬱陶しい。よく女をとっかえひっかえしていて、ある程度可愛ければ来るもの拒まずの狼男。普段とは違って甘やかな言葉で巧みに惑わし、大人っぽい優しさで数多の女性を落としてきた。綿あめくらいに尻軽男だけど、私は嫌いじゃない。
 なぜなら、清々しいくらいにずるがしこいからだ。なんだかんだいって話は合うし、なにより考え方が似ている。それに腐れ縁とはいえ、イケメンの友達がいるというのは誇らしいもの。まあ調子に乗るから、決して口にはしないだろうけど。
 私たちは新宿で買い物をしていて、今はスターバックスコーヒーで休憩中だった。店内は若者やスーツ姿の大人でほぼ満席になっていて少し騒がしく、自習とかするには適さないが、ちょっと休憩するぐらいにはちょうどいい気もした。私は一度ストローを吸ってから、また浅く息を吐く。
「で、今回はどうしたんだよ」
 大樹はやれやれといった様子で鼻を鳴らしたのは癇に障るだけど、私は両手で頬杖をついて口を切った。
「この前彼氏できたって言ったよね」
「あー、一個上で慶央の」
「うん。じつは別れたんだよね」
「おー、またまた早いな」
 大樹はスマホをいじりながら、こっちに目も呉れず聞いていた。それでも気にせず私は口を走らせ続けた。
「うん。案の定、東大ってことがバレたらそっこーだったよ。なんでこうも自分が上に立ちたがるんだろうね」
「まあ、プライドだろうな。女に負けたくないっていう。とくに彼女には、な」
「それぐらい分かってるよ。ただ愚痴りたかっただけ」
 顔の前で手を握って物知り顔で言ってきて、私は目を逸らして嘆息を漏らしていた。
「だよな。でも、分からんこともないんだよなー。女の子にはかっこいいとこ見せたいっていうのは」
 浅く腰掛け、大樹は天井を見上げながら苦笑いして、私もこくこくと首を縦に振って苦笑してしまった。
「女は学力なんかにかっこよさ感じないのにね」
「男は全てで優位に立たないと気が済まない、バカな生き物なんだよ」
「大樹も?」
 唇の片端を上げ、冗談めいたふうに首を横に倒す。大樹も笑って冗談を言うかと思った。けれど、俯きがちにぽつりと、「そうだな」とだけ零した。どこか様子が変で首を傾げしまうと、大樹は急にこっちを向き、じいっと狼のような力強い瞳で見つめてきて、でもまたそっぽを向いてしまった。
「本当に好きな人だったら、俺はそんなちっぽけなプライド、躊躇なく捨てるるけどな」
 深く椅子に腰かけて足を組み換えし、大樹は言葉を紡ぐと、一気にアイスコーヒーを飲み干した。前触れなく真面目になったから、マンゴーフラペチーノを呑みながらどう返せば良いか頭を絞らせていると、突然おでこに痛みが走った。顔を上げると大樹がデコピンしたからだと気づき、睨みつけると、大樹は失笑した。
「まあ、とりあえず切り替えてこーぜ」
 大樹はにいっと口角を上げて、のけぞりながら言って、私は「そうだね」と息を吐いて笑みを浮かべていた。
 大樹はいつも最終的に笑顔にしてくれる。だからこうして気兼ねなく愚痴を言えるし、気に食わないけど女性にモテるのだと思う。取り繕ったものだけでモテるほど、世の中は甘くない。私も見習わなきゃとは思うけど、ここまで来ると才能だから、どうしようもないと諦め半分でいる。そうしなければやっていけない。私はスマホを取り出してインスタグラムを覗いていると、琴音が昨日撮った私とのツーショットを投稿していて、自慢しようと大樹に画面を見せた。
「そういえば昨日、デート行ってきたんだよね」
「あのかわいい子か。いいなぁ。紹介してよ」
「やめときなよ。散々イケメンに告白されても、だれも振り向かなかったし。それに、琴音には好きな人、いるしね」
 そう言うと大樹は「まじかー」と言った後、再び写真を見て、眉を顰めながら首を横にしならせた。
「あれ? 前に遊んだ子とすげー似てんだけど」
「いつの?」
「高三のときで、たしか年上だった」
「じゃあ違うでしょ。琴音は同級生だし」
「まあそうだよな。同じくらいかわいかったけど、髪はロングだったし」
 前に遊んでいなかったからなのか、琴音に好きな人がいるからかは定かじゃないけど、大樹は残念そうに少し眉を落としていた。
 大樹が髪はロングだったと言っていて、なんとなく琴音で想像して見れば、どう考えても似合うと思った。結論なんでも似合うんだろうなと恨めしく、マンゴーフラペチーノを飲み切り、黒い部分をトロピカルな甘みで洗い流した。
 そういえば、岳くんのペンネーム、『アガ』が描く女性は全員髪が長い気がした。ツイッターを開いて確認してみるけど、やはりそうだった。今まであまり気にしていなかったけど、もしかしたら岳くんのフェチなのだろうか。背中に流れる髪を前に持ってきて、手のひらでぼんやりと眺めてしまった。いったいなにをしているんだろうと、私は肩をすくめて髪から手を離した。
「なに見てんの?」
「ん、最近ハマってるイラスト」
 見せた画面には昨日投稿されていた、雨の中で傘をさす女子高生を後ろから描かれたイラストを見せた。とくに絵に興味がない大樹は少し見て、すぐこっちを向いた。
「あー、たしか今、絵描いてるんだってな」
「うん。あとね、この絵を描いてるのって、バイト先の後輩なんだよね」
「へー、女子?」
「ううん、男の子。岳くんっていうの」
「なんだよ、ざんねん」
「女の子でも大樹には紹介しないから」
「はいはい。で、どんな子なん?」
「えっとねー」
 不愛想なんだけど、と言おうとしたところで、とっさに私は口を閉ざした。それは以前、琴音に言われたことを想起したからで、ここでまた岳くんのことを話したら、また同じようなことを言われるかもしれない。そうなると悪戯好きの大樹は面倒だ。きっとニヤニヤと口角を釣り上げて、しつこいくらいに追及してくるに違いない。これだからガキは困る。どうやってこの話を逸らそうか頭を悩ませて窓を見遣ると、ゲリラ豪雨が止んでいることに気づいて、私は窓を指さした。
「雨あがったから、もう行こうよ。まだ買いたいものいっぱいあるし」
 そう言って私はキャンパストートバックを持つと、大樹の視線に気づいて、びくりと体を震わせてしまった。今まさに狩らんとしている獣のような、鋭利な視線が私の瞳を釘づけにし、おもわず息を呑んでしまった。
「そいつのこと、好きなの?」
 大樹は前触れなく口を開いた。私はなにを言ってるのか理解できなくて、しきりに目を瞬(しばた)かせてしまった。何度かさっきの言葉を反芻して、ようやく意味を呑み込むことができた。
「ないよ、ないない」
 私はすぐさま左右に首と手を振った。でも大樹は依然として鋭い目つきで凝視してきて、つい目を背けてしまうと、大樹は浅く息を吐いて立ち上がった。
「なんだ、つまんねーの」
「ていうか、私がだれかを好きになるわけないじゃん」
 嘆息を漏らすと、大樹はふっと小さく噴き出した。
「ずるがしこくないから?」
「そう」
 私が深く頷いていると、大樹はドアのほうへ向かって、私は急いでその後を追いついた。大樹はこっちを振り向いて、私は一息ついて口を開いた。
「まあ、友達にはなりたいと思ってるけどね」
「へえ」
 大樹はいったん立ち止まってから言い、豪快に欠伸をしてから再び歩き始めた。つい首を傾げてしまった。どうしたんだろうと思うけれど、まあどうせいつもの気まぐれだろうと、これ以上は言及せず横に並んで歩いた。
 なんで大樹は、私が岳くんを好きだと思ったのだろう。そんなこと、絶対にありえないのに。
 それは唯一、私のモットーが『ずるがしこく』であることを、大樹は知っているから。
 たしかに思ったより優しくて、ちょっとかわいい一面もあったりする。しかしずるがしこく生きるのに、イラストレーターという不安定な職では困る。いや、そもそも恋をするなんて無駄なことすらありえないのだから、好きになるかならないか、ということを考えることすら無意味だ。友人の中で付き合いだけはもっとも長い大樹だからこそ、重々知っているはず。単に気まぐれかもしれないけど、どこか普段とは雰囲気が違うようにも思えた。とはいえどうでも良くて、すぐに考えるのはやめた、けど。
 いつも単純な大樹だけど、さっきの言動だけはよく分からなかった。