糸のようにか細い声だけど、琴音はしっかりとした声で説明してくれた。
琴音は公園で、岳くんに絵を教えていた。だけど元々センスがずば抜けていているのと、それをも超える努力する才能に満ちていた岳くんは、あっという間に琴音と同等の実力まで上り詰めてしまった。そのせいで琴音は嫉妬し、焦ってしまった。
だから琴音は岳くんの告白を断り、大学や専門学校にも行かず、フリーのイラストレーターとして夢を目指すことにした。でもそんなにイラストレーターの世界は甘くなく、琴音はいつまで経っても話題になることすらないままだった。
それに比べて、岳くんは『アガ』として順調に人気になっていく。
琴音はたった一年も持たずして、夢を諦めしまった。
そんな自暴自棄になっていたとき、琴音が憂さ晴らしに逆ナンした相手が、大樹だったらしい。琴音は体の関係になろうとも構わなかったのだけど、とはいえ相手は大樹。体の関係を持つことはなく、ただ普通に楽しく遊んで、おいしいご飯を食べて終わったらしい。大樹のおかげで、それ以降、そういうことは一切していないらしい。噂はほとんどでまかせで、大樹は気付いていたから、ああ言っていたのだろうか。今度お礼するとき、琴音も呼ぼうと思った。大樹なら満面の笑みで喜んでくれるだろう。あいつは、そういうやつだ。
琴音が岳くんに会えないのは、嫉妬して振ったくせに、今は趣味でしかイラストを描いていないから。それでいて岳くんはプロデビューしているのだから、会わせる顔もないということだろう。私は全てをかけて、なにかを成し遂げようとしたことなんてないから、琴音がどういう気持ちで岳くんを思っていたのか分からない。だけど、告白を終えた相手と会いにくいという気持ちは分かる。たとえ、親しい仲だったとしても。
だけど、そんなのひどくもったいない。
だから私は笑顔でこう言った。
「やっぱり、会いたいんじゃない?」
琴音は一度こっちを見て目を見開いていたけど、すぐにまたそっぽを向いてしまった。
「会いたいよ、そんなの。でも逃げちゃった私に、そんな資格ない」
私は「でも」と言いかけたけど、口をそっと閉ざした。琴音の瞳は涙目で揺らいでいるように見えるけど、その奥には真っ直ぐな意志が垣間見えた気がした。今までなら肯定していくという、ずるがしこいという信念を下になにも言わなかったけど、今回は違った。
琴音の意志を尊重したかった。
それでも、私は変わらない。
あくまで、私のモットーはずるがしこく。
琴音と親友でいたいから、私は琴音を信じようと思った。
「じゃあさ、会いたくなったら言ってよ」
私は気軽に言って、琴音はゆっくり頷いた。だけどふと、私はとても重要なことを思い出し、「そういえば」と声を漏らしてしまった。
「岳くんのLINE、消しちゃったんだった」
「え、なんで?」
琴音は小首を傾げていたけど、ここで理由を言うべきではない。ここで言ってしまえば、ただの嫌味でしかなくて、相手を煽るだけ。ここはずるがしこく、うっかり消しちゃったと、嘘を吐くべき。
だとしても。
私は、勇気を振り絞った。
「あのさ、私、岳くんに告白されたんだよね」
琴音は唇をきゅっと固めたけど、紐解くようにゆっくりと口角は上がっていった。
「そっか。そーだよね」
琴音は微笑んだ。それはいつも見ていたもので、私のために笑ってくれている。それは私を受け入れてくれているということで、それが嬉しくて。私もつられて笑っていた。
「返事はどーしたの?」
「それは、まだなんだよね」
「岳のこと、好き?」
「うん、好きだよ」
即答した。それは私の中で定まっていることだから。でも一つだけ、覚悟が決まっていないことがあった。告げてしまったら、なにもかも終わってしまう気がして、怖くてとても迷っていた。そのことに気づいたのか、琴音は眉を顰めた。
「じゃあなんで? まさか、わたしに遠慮してる?」
私は少し間を開けてしまってから、ゆっくり首を縦に振った。
「違うって、言いたいけど、たぶん、それもあったと思う。琴音の好きな人だからって、無意識に押さえつけてた。分かんなかったの。好きな人ができたの、初めてだから」
言葉を一つずつ掘り下げていくと、琴音は納得してくれたのか笑みを浮かべて、頷いてくれた。
「そっか。でも、わたしのことは気にしないで。ちゃんと、好きって言ってあげて?」
「うん、分かった」
私が頷くと、琴音はよいしょと立ち上がった。日差しは出ていても、もうとっくに冷えてしまった風が、琴音の真っ白なシャツワンピをふわりと浮かして、私の視線を誘う。ひらりと舞っている枯れ葉が、琴音のバニラの香りに誘われて、こげ茶色の髪に染まる。私も立って、そっと指先で取ってあげる。琴音に見せてあげると、とハッと目を丸くしてから、またころりと表情を変えた。
にこりと、花のように微笑んだ。
私の、大好きな笑顔。
「結果は、教えてね。そしたらわたし、きっと頑張れるから」
私は「うん」と二つ返事で頷いた。私を覗いている琥珀の瞳は、子どものようにすっきりしていた。そこには、どんな結末であろうと受け入れる、という意味も含まれているようだった。
琴音なら応援してくれると分かっていて、私は打ち明けた。たぶん琴音も言ってくれることを望んでくれていたと、信じていた。
黙って、琴音に抱き着くと、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。琴音の優しい熱が、私の弱い心を一押ししてくれる。一人ではたぶん、決断できなかったから、琴音を頼ってしまったんだ。相手は好きな人なのに、応援してくれる。そんな優しい琴音と親友になれて、本当に良かった。
でもどうやって会いに行こう。家に直接尋ねに行くのも良いけど、それはあまりにもハードルが高すぎた。なにかないだろうかと、私は琴音といっしょに学内を歩きながら考えていると、なにやら大掛かりな準備をしている人たちがいた。
「そういえば、そろそろ学園祭の時期だねー」
琴音はとても楽しみにしているのか、口角を上げてこっちを見た。今の私の頭の中はそれどころじゃなくて、私もなにげなく「そうだね」と返す。けど、私はあることを思い出した。
「待って、東芸って、学園祭いつだっけ?」
「たしか、あと一週間後くらいじゃない」
「そっか」
私はなにごともないかのように言ったけど、内心はすごく興奮していた。これなら岳くんと絶対に会うことができると、確信しているから。
私はそこで、岳くんに思いを告げる、そう決めた。
琴音は公園で、岳くんに絵を教えていた。だけど元々センスがずば抜けていているのと、それをも超える努力する才能に満ちていた岳くんは、あっという間に琴音と同等の実力まで上り詰めてしまった。そのせいで琴音は嫉妬し、焦ってしまった。
だから琴音は岳くんの告白を断り、大学や専門学校にも行かず、フリーのイラストレーターとして夢を目指すことにした。でもそんなにイラストレーターの世界は甘くなく、琴音はいつまで経っても話題になることすらないままだった。
それに比べて、岳くんは『アガ』として順調に人気になっていく。
琴音はたった一年も持たずして、夢を諦めしまった。
そんな自暴自棄になっていたとき、琴音が憂さ晴らしに逆ナンした相手が、大樹だったらしい。琴音は体の関係になろうとも構わなかったのだけど、とはいえ相手は大樹。体の関係を持つことはなく、ただ普通に楽しく遊んで、おいしいご飯を食べて終わったらしい。大樹のおかげで、それ以降、そういうことは一切していないらしい。噂はほとんどでまかせで、大樹は気付いていたから、ああ言っていたのだろうか。今度お礼するとき、琴音も呼ぼうと思った。大樹なら満面の笑みで喜んでくれるだろう。あいつは、そういうやつだ。
琴音が岳くんに会えないのは、嫉妬して振ったくせに、今は趣味でしかイラストを描いていないから。それでいて岳くんはプロデビューしているのだから、会わせる顔もないということだろう。私は全てをかけて、なにかを成し遂げようとしたことなんてないから、琴音がどういう気持ちで岳くんを思っていたのか分からない。だけど、告白を終えた相手と会いにくいという気持ちは分かる。たとえ、親しい仲だったとしても。
だけど、そんなのひどくもったいない。
だから私は笑顔でこう言った。
「やっぱり、会いたいんじゃない?」
琴音は一度こっちを見て目を見開いていたけど、すぐにまたそっぽを向いてしまった。
「会いたいよ、そんなの。でも逃げちゃった私に、そんな資格ない」
私は「でも」と言いかけたけど、口をそっと閉ざした。琴音の瞳は涙目で揺らいでいるように見えるけど、その奥には真っ直ぐな意志が垣間見えた気がした。今までなら肯定していくという、ずるがしこいという信念を下になにも言わなかったけど、今回は違った。
琴音の意志を尊重したかった。
それでも、私は変わらない。
あくまで、私のモットーはずるがしこく。
琴音と親友でいたいから、私は琴音を信じようと思った。
「じゃあさ、会いたくなったら言ってよ」
私は気軽に言って、琴音はゆっくり頷いた。だけどふと、私はとても重要なことを思い出し、「そういえば」と声を漏らしてしまった。
「岳くんのLINE、消しちゃったんだった」
「え、なんで?」
琴音は小首を傾げていたけど、ここで理由を言うべきではない。ここで言ってしまえば、ただの嫌味でしかなくて、相手を煽るだけ。ここはずるがしこく、うっかり消しちゃったと、嘘を吐くべき。
だとしても。
私は、勇気を振り絞った。
「あのさ、私、岳くんに告白されたんだよね」
琴音は唇をきゅっと固めたけど、紐解くようにゆっくりと口角は上がっていった。
「そっか。そーだよね」
琴音は微笑んだ。それはいつも見ていたもので、私のために笑ってくれている。それは私を受け入れてくれているということで、それが嬉しくて。私もつられて笑っていた。
「返事はどーしたの?」
「それは、まだなんだよね」
「岳のこと、好き?」
「うん、好きだよ」
即答した。それは私の中で定まっていることだから。でも一つだけ、覚悟が決まっていないことがあった。告げてしまったら、なにもかも終わってしまう気がして、怖くてとても迷っていた。そのことに気づいたのか、琴音は眉を顰めた。
「じゃあなんで? まさか、わたしに遠慮してる?」
私は少し間を開けてしまってから、ゆっくり首を縦に振った。
「違うって、言いたいけど、たぶん、それもあったと思う。琴音の好きな人だからって、無意識に押さえつけてた。分かんなかったの。好きな人ができたの、初めてだから」
言葉を一つずつ掘り下げていくと、琴音は納得してくれたのか笑みを浮かべて、頷いてくれた。
「そっか。でも、わたしのことは気にしないで。ちゃんと、好きって言ってあげて?」
「うん、分かった」
私が頷くと、琴音はよいしょと立ち上がった。日差しは出ていても、もうとっくに冷えてしまった風が、琴音の真っ白なシャツワンピをふわりと浮かして、私の視線を誘う。ひらりと舞っている枯れ葉が、琴音のバニラの香りに誘われて、こげ茶色の髪に染まる。私も立って、そっと指先で取ってあげる。琴音に見せてあげると、とハッと目を丸くしてから、またころりと表情を変えた。
にこりと、花のように微笑んだ。
私の、大好きな笑顔。
「結果は、教えてね。そしたらわたし、きっと頑張れるから」
私は「うん」と二つ返事で頷いた。私を覗いている琥珀の瞳は、子どものようにすっきりしていた。そこには、どんな結末であろうと受け入れる、という意味も含まれているようだった。
琴音なら応援してくれると分かっていて、私は打ち明けた。たぶん琴音も言ってくれることを望んでくれていたと、信じていた。
黙って、琴音に抱き着くと、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。琴音の優しい熱が、私の弱い心を一押ししてくれる。一人ではたぶん、決断できなかったから、琴音を頼ってしまったんだ。相手は好きな人なのに、応援してくれる。そんな優しい琴音と親友になれて、本当に良かった。
でもどうやって会いに行こう。家に直接尋ねに行くのも良いけど、それはあまりにもハードルが高すぎた。なにかないだろうかと、私は琴音といっしょに学内を歩きながら考えていると、なにやら大掛かりな準備をしている人たちがいた。
「そういえば、そろそろ学園祭の時期だねー」
琴音はとても楽しみにしているのか、口角を上げてこっちを見た。今の私の頭の中はそれどころじゃなくて、私もなにげなく「そうだね」と返す。けど、私はあることを思い出した。
「待って、東芸って、学園祭いつだっけ?」
「たしか、あと一週間後くらいじゃない」
「そっか」
私はなにごともないかのように言ったけど、内心はすごく興奮していた。これなら岳くんと絶対に会うことができると、確信しているから。
私はそこで、岳くんに思いを告げる、そう決めた。