かちっと、ホットの缶コーヒーを開け、湯気が漂う背景に映るのは、紅葉シーズンを終了間際にある、東大名物のイチョウ並木だった。真っ黄色だったはずの葉がいつの間にか茶色く染まりつつあり、枯れ葉も増えている。今年もあと一か月半で、もう一年も終わる。ベンチに座りながら、今まで感傷に浸ったことなんてないくせに、そう思わされてしまった。
 なんだか、今年は時間が経つのが早かったり、遅かったり、不思議な一年だった。濃い、一年だった。
 今までずるがしこく、ただただ肯定して生きてきた。拒絶されればそのままにしていたし、だれかに自ら歩み寄ろうとすらしてなかったし。それがずるがしこいことだと思っていたけど、なにかに抗うことも、とてもずるがしこいことなんだと、私は気づくことができた。
 大樹が、気づかせてくれた。
 だから私は、なにがなんでも待つことにした。
 たとえ琴音が来なかろうとも、私は決して後悔なんかしない。
「凛ちゃん」
 鈴の音のような、可愛らしい声が私の名前を呼んだ。振り返ると、そこには琴音がいた。いつもは大げさに手を振って、太陽のような満面の笑みで私を出迎えてくれるのだけど、今はひどくやせ細っているように見えた。ベンチを指差していたので私は頷くと、琴音は私のとなりに座った。でもその距離感はいつもと違って、人一人分だけ遠くて、ほんの少しの違いだけど、果てしなく遠く感じていた。でもとりあえず来てくれたことに一安心し、私はひとまず何気ない会話から始めようとしたのだけど。
 琴音がまず先に、口を切った。
「なんで、会おうとしたの? 噂通りだって、言ったよね?」
 琴音がときおり見せる、雨に濡れた紙のようにしおれた声。おそらくこっちの琴音が素で、いつも少しずつ無理をしていたんだろう。いつもの習慣からか、流されそうになってしまいそうだけど、私はぐっと堪えて思いを言葉にした。
「そうだけど、まだ琴音の口からはなにも聞いてないから」
「聞いたって、変わらないと思うよ?」
 琴音からは目も合わせてくれず、冷ややかな返しが来るけど、それでも私はめげず、琴音のほうに目を澄まし続けた。
「うん、そうだね」
「じゃあ、どうしてなの?」
 琴音は呆れたように、消え入るような声で言った。だけど裏腹に、私の中ではなにか熱いものが込み上がってきて、それが喉まで届くんだけど言葉にはならなくて、そのまま通り過ぎて一気に目頭に集まってきた。
 言葉より先になにかが零れ落ちていく。
 すると、琴音は目を見開き心配そうに駆け寄ってきてくれた。これが本当の琴音で、裏だろうが表だろうが、琴音の優しく健気なところはなに一つ変わらない。私は目元を拭い、どうにか熱を抑え込みながら言葉を紡いだ。
「琴音がどんなことをしていようと、そんなの、関係ないよ。今の琴音が、私の友だちであることに、変わりは、ないから」
 私はたぶん、ひどく歪んだ顔になっていると思う。涙は止まらないし、言葉もうまく出ないし、もうめちゃくちゃ。なによりそう思うのは、琴音もおばあちゃんみたいに、顔をくしゃくしゃにしているから。
「わたしも、ほん、とは凛ちゃんと、いっしょに、いたいよ」
 言葉を詰まらせながら、私よりも涙をあふれさせる琴音。
 やっぱり、私は琴音が好きだ。
 私のことを考えて、すぐに感情移入して、私のために笑って、泣いてくれる、そんな琴音のことが、大好き。私の体は知らない内に動いていて、琴音のことをぎゅっと、めいっぱい抱きしめていた。琴音の温かく柔らかい体に触れると、いっそう涙が零れ落ちてきた。
「ごめん、琴音。ほんとにごめん」
「なんで凛ちゃんが謝るの?」
「だって、琴音が辛いときに、私、私は」
 言葉を詰まらせていると、琴音は私をいっそうに引き寄せた。
「うん、うん、もう良いの。わたしのほうこそ、ごめんね。むしろ、凛ちゃんが親友でいてくれたことが、わたしにとっては奇跡なんだよ?」
 思いを伝えるように抱きしめ合い、私たちはしばらくしてから体を離した。私はまだ溜まっている涙を拭き、口を開いた。
「あのね、琴音。噂通りって言ってたけど、それは本当なの?」
 琴音はこくりと頷いた。
 一瞬、池に水滴が落ちるように瞳を揺らがしてから、そっと目を落とした。
「わたしね、岳くんに嫉妬してたの」