☆
放課後。俺は坂本先生の車で西美小学校へ移動。昇降口で愛梨達と落ち合い、会議が行われる3階の視聴覚室を目指す。
ちなみに正樹だが、ヤツは英語の小テストの追試に引っかかった。正樹も来る気満々だったのでかなり悔しがってたけど、気持ちはしっかり受け取った。だから安心して、待ってて欲しい。
「「「「…………」」」」
俺達は下校する小学生とすれ違いながら階段を上り、3階へ到着。そこからは進路を右へと変えて、トイレ、音楽室前を通り、視聴覚室に着いた。
「へぇ。扉にはご丁寧に、『子供を守る会議』って張り紙がありますね」
「恐らくは、自称被害者の母親が付けたものだろう。……鈴橋、入るぞ」
「はい。お世話になります」
俺は改めて先生に一礼し、4人揃って中へとお邪魔する。そうして円卓状に設置された机を目指していると、担任教師とバアアと京介が立ち上がった。
これは――。歓迎のリアクション、ではないよな。
「ちょっと! なんでアンタが来てんのよ!」
ババアが開口一番、そう叫んだ。
まあ、やっぱりそうだよね。こう、なるわな。
「まあまあお母さん。彼は、自分の処遇が気になったんでしょう」
この台詞は、当然担任。うん、相変わらずウザイ二人組みだ。
んで、京助はというと…………今日は、やけに大人しい。嫌味の一つくらい言ってくるかと思ったが、ババアに手をつながれたままじっとこっちを見てる。
「先生、どうも初めまして。私が橘さん達の担任の、谷見(たにみ)です」
「こちらこそ、どうも初めまして。この子の担任の、坂本です」
とりあえず、二人が握手する。
あの担任野郎は、谷見っていうのか。昨日は名乗らなかったから知らなかったよ。
「橘さん達も、見物に来てくれたみたいですね。さ、どうぞこちらです」
早速、席に座るように促す。が、だ。先生は動かない。
「??? どうされたのですか?」
「その前に、うちの生徒が言いたいことがあるそうです。お時間よろしいですかな?」
「は、はぁ。言い訳なら時間の無駄ですが――」
「とても、大切なことです。……鈴橋」
「はい」
ちらりとこっちを見た先生に頷き、一歩前へ出る。
その位置でまずは、深呼吸。ゆっくり呼吸をして落ち着けた俺は、はっきりと部屋全体に響き渡る声量で――
「俺は昨日、嘘をついた。一部――愛梨に興味があったから京助に暴力を振るったってのは、嘘です!」
真実を、口にした。
そうすれば担任の谷見とバアアは、もちろん仰天。バカみたいな驚いた顔を作り、会に同席していた小学校側の教師3人はキョトンとした。
「ふっ、ふざけないで! 今更何言ってるのよ!!」
だがそれも数秒のことで、即座にヒステリックな声が上がる。
やはり、コイツが真っ先に突っかかってきたか。……さあて、ここからが本当の戦いだ……!
「何って、俺は決めたんだよ。昨日は『証拠がない』と言われて諦めたけど、今日は例え絶対的な証拠がなくても、真実を貫き通す」
もう、逃げるわけにはいかないから。
「はっ! どうせ退学、停学が怖くなっての言い訳でしょっ。無駄よ無駄! もう何言っても代わりはしないわよ。ね、先生」
バアアは大げさなリアクションで同意を求め、谷見も「はい」と返事をする。
「無駄かどうかは、一度、俺の話を聞いてからでも遅くはないんじゃないか? 詳しく、丁寧にお話すすぜ?」
「今更アンタの話を聞いたって、意味はない。時間の浪費となるだけよ!」
「おやおやぁ? 本当のことを言われるのが、嫌なんですか? どうせ事実を知ってるから、話を聞こうとしないんですかねぇ?」
「はっ!? 何を言ってるのよ! 先生方っ! こんな暴力学生の相手はしないで、会議を始めましょ!」
「…………キミ、話してみなさい」
突然、だった。イスに座っていた三人の一人――白ひげをたくわえた小太りの男性が、そう言った。
「こ、校長先生っ! な、何言ってるんですか!」
たまらず、谷見が大声を上げる。
へぇ。この人が、校長先生なのか。
「そこまで真剣になるということは、何かがあるんでしょう。話くらいは聞いてあげてもいいじゃないですか。ねえお母さん」
「そ、そこまで仰るのなら……。時間の無駄と思いますけどっ」
校長の提案に、ババアもしぶしぶ了承した。
よし。まずは話す機会を得た。
「我儘を受け入れてくださり、感謝します。では高校生くん、どうぞ」
「はい」
俺は校長先生の声に頷き、いよいよだ。全てを話すことにした。
「まず。俺が愛梨を初めて見たのは、先週の月曜日の放課後。その時愛梨は、そこの京助と何人かの男子にイタズラされていた。俺が発見した時は、京助がスカートを捲っていたんだ」
「っっ! うちの京ちゃんが破廉恥なマネをするはずないわよ!」
「いいや、していた。で、俺はそのあと京助の腕を掴んで、追い払った。これが、愛梨との出会い」
愛梨は女の子で『スカートを捲る』というのは恥ずかしいだろうけど、今は我慢して欲しい。これは、大切なことなのだから。
「でだ。次の日、俺はその後が気になって帰りに昨日の場所に行った。そしたら愛梨と綾音がそこにいて、昨日のお礼にってクッキーをくれた。これはアンタがいう、暴力を振るう前の出来事。俺がチョップをしたのはそのあとで、京助が一人で走ってきて愛梨のスカートを捲り上げたままにしたから。小学生のやることだから大目に見てたけど、さすがにやり過ぎだろう――。そう思ってのチョップだった」
「何よ! 理由はどうであれ、暴力を振るったのは事実じゃないの!」
「確かに、暴力といわれたらそうかもしれない。けど、俺は間違っていたとは思ってない。子供だからって好き放題していいはずないんだ。だから、それを止めてやる、叱ってやる人間がいないといけない。俺は、自分のストレスを解消するためにチョップをしたわけじゃないんだ!」
俺の話を聞いて、イス組みがざわつき始めた。恐らくこの人達は、聞いていた内容とまったく違うから困っているのだろう。
「がっ、ガキが何を偉そうに……っ。あのねっっ! アンタがやってることは自己満足なのっ! 暴力を正当化してるだけなのよっっ! 適当な嘘までついて…………自分が子供を守ってる、とでも言いたいわけ!?」
ほぉ。まさか、コイツからそういうことが出るとはな。
「アンタだけには、言われたくない。さっき扉を見たけど、なにが『子供を守る会議』だ。アンタが守ってるのは、子供は子供でも『自分の子供』だけじゃないか!」
「い、言うに事欠いて……。私はそこの子もアンタの魔の手から救ったじゃないの! ほらっ、どこが違うっていうのよ!」
ふーん。よくもまあ、そんなでたらめを平気で言えるな。
「てめえが、愛梨を救っただと? ふざけるのも大概にしろ! 先週の金曜日に、自分の子供――京助の兄を使って、愛梨達を襲わせたくせによ!!」
「…………え!?」
この部屋の人間で真っ先に反応したのは、京助だった。しかも、どんどん顔の色が悪く――青白くなっていく。
これは、どういうことだ? まるで、初めて聞いたような……。まさか、京助は知らなかった? 俺はてっきり二人が仕組んだことと思っていたが、違うのか?
「ま、ママ。兄ちゃんが? 本当に?」
「ち、違うわよ。そんなの嘘に決まってるでしょ」
この反応……。どうやら、俺の考えは間違っていたようだ。
「残念だが京助、本当のことだ。あの日の放課後、俺のスマホに綾音から着信があった。酷く慌てて、『助けて』ってな」
「た、たす、けて……」
「このように…………俺のスマホに記録がある。で、俺は急いで二人が捕まっている、ここの近くにある空き地に行った」
コイツにもしっかりと、あの日の事実を知ってもらわないといけないからな。当時の着信履歴を――証拠を見せながら、伝えた。
「京ちゃん騙されないで! 相手にしちゃ駄目よ!」
「…………。続けて」
「そこでお前の兄と仲間が待っていた。そして、愛梨のバッグを捨てると酷いことを言い出した。理由は、ママから小遣いが貰える、それだけなんだと。まあそこから色々あって丸く収まったけどさ、愛梨も突き飛ばされたり大変だったんだぜ?」
この場では、ここまでにしておこう。京助も相当戸惑っているようだし、殴る蹴るの話は子供にも悪いからな。
「さて。これで、京助にも理解してもらえ――」
「いい加減にしなさい! これ以上言うと訴えるわよ!」
はぁ。大事なところで台無しにしてくれる。
もう少し、空気を読めないのだろうか? まあ微塵も読めないから、こうなってるんだよな。
「おいおいおい。訴えるのなにも、事実なんだから仕方ないだろ?」
「しょ、証拠は! 襲われたという確かな証拠はあるの!?」
出ました、バカの一つ覚え。言うことがなくなったら、すぐ証拠だ。
「アンタの子供は、金髪だろ? 仲間にはスキンヘッドやロン毛なんかがいる。学校は東坂高校。これだけ知ってると真実味があるだろ?」
「そ、そんなの偶然見かけたら分かるわよ! 証拠にもならない!」
偶然見かけて、アンタの子だって分かるはずはないんだが……。まあいい。じゃあこれはどうだ?
「訴えるとか物騒なこと言うから、こっちも言うけどさ。アンタの子供が愛梨のバッグを投げたから、指紋がついている。これを警察で鑑定してもらったら、証拠になるよね? まさか高校生の男が小学生のバッグを事前に偶然触ってるはずないし、通りすがりに掴むってこともありえないしねぇ」
ほら。そっちが希望した、言い逃れできない証拠だぞ。
さあ、どうする?
「そっ、そんなこと何の証拠にもならないでしょ! 偶然、ホント偶然落としたのを拾ったかもしれないでしょ? そもそも、警察がそんな事実かどうかも分かりもしないことで動くはずないのよ!」
さすがは、モンスターペアレント。動揺しているせいか支離滅裂ぎみだけど、絶対に認めはしない。なんというか……こうなったら、このババアに認めさせる、証拠というものはこの世にないような気がする。例えば現場の写真を撮ったとしても、「合成」とか言い張りそう。
モンスターとは上手く言ったものだ。
「そっすか。でもねー、まだあるんですよ。綾音のスマホにだって触ってる――」
「黙りなさい黙りなさい!! もうアンタの戯言はたくさんよっ! まったく、なんなのアンタは! この期に及んでありもしない嘘ばかり! 先生方! もう十分ですから、早く処分を決めましょっっ! 謝罪するならまだしも、私や京ちゃんに罪をなすりつけようとするなんて言語道断よ!!」
俺に話す隙を与えまいと、一気に捲くし立てる。
だが、こんな有様だ。谷見以外の先生は頷かない。
「あのさ、そろそろ認めたら? 別に俺は――愛梨達も、大事にするつもりはない。解決すればいいだけなんだからさ」
少しでも言いやすい状況にしてやろうと思って、そう言った。のだけれども、モンスターには逆効果。逆鱗に触れてしまったらしい。
「っっっ、一体何様のつもり!? あーもーやだやだ! だから元イジメられっ子は嫌よっっ! ホントしつこい! そんな態度だからイジメられてたのよっっ! イジメられる側にも問題があって――あ、そっか、イジメられていたからここまでしつこいのね。過去の自分が何もできなかったから、抵抗できない京ちゃんを標的にして、自分は強いぞ~ってヒーロー気取りをしてるんでしょっ?」
「違うっ! おにーちゃんは違うよ!」
「酷い想像です! 鈴橋さんに謝ってくださ――」
「やかましい! だれがアンタ達に喋れって言ったのよ!!」
即座に二人が抗議してくれて、そんな声をババアが掻き消す。
しかしこのババア、人が言えないことを平気で、しかもほくそ笑みながら言ってくる。
ったく、あの金髪が言いふらしやがったな。絶対にアイツは、表立っては言えないから家族に話してる。
(そうそう、ああいうヤツはするんだよなぁ。強い者の前ではペコペコしてるけど、内心は真逆なんだ)
滅茶苦茶苛立ってて、こっそりと憂さ晴らしをしようとする。家でイライラしながらババアに話している、金髪野郎の姿が目に浮かぶ――待てよ。
(これは……。そうだ……。間違いない)
墓穴を、掘ったな。
「あー、ちょっといいです? 俺と会うのは、今日が二回目ですよね?」
もちろんこれは、ババアに向けての言葉だ。
「ここはしっかり、お答えください。俺と会うのは、今日が二回目ですよね?」
「当たり前でしょ! 何が楽しくてアンタなんかと会うって言うのよっ!」
よしよし。これで、条件1はクリア。
「ではもう一つ。愛梨、綾音とは、話をしましたか?」
「一度も話してないわよ! アンタ、さっきから何が聞きたいのっ?」
「いえいえ。ちょっと参考にね」
よしよし。条件2、クリア。
「それでは今度は、谷見先生。アナタは、愛梨達からどんなこと聞きましたか? 例えば……俺についてとか」
「キミに関しては、何も。橘さん達は話してくれなかったから、橘さん達が立っていた場所でキミを待ってたんだよ」
「ほぉ、そうですか。どうも」
よしよしよし、条件は全て揃った。
これで、充分だ。
「アンタ、何のつもりっ? しょうもない時間稼ぎなら――」
「時間稼ぎなんかじゃ、ないですよ。ではでは最後に、一つだけ質問いいですか? これで終わりですから」
「はぁ、いいわよ。諦めるのなら聞いてあげるわ」
そうですかそうですか。では、俺の最後の質問をしっかり聞いてくださいね?
「ところで……。どうして俺が、元イジメられっ子だって知ってるんですか?」
わざと、ゆっくりかつ大きな声で、ほくそ笑みながら言ってやった。
「なっ……」
「俺は愛梨のバッグを守るのと引き換えに、アンタの子供にそのことを話しました。つまり、このことはあの場にいた人間――アンタの子供とその仲間、愛梨達しか知らないんですよ」
「…………っ」
「愛梨達が言いふらすはずないし、今ちゃーんと確認も取った。……あれあれ? おかししいですよね? アンタの話だと、アンタの子供はその場にいないはずなのにね」
「そ、それは……」
おーおー、口ごもっちゃって。さっきまでの勢いはどうした。
「それは? なんですか?」
「ぐ、偶然! 偶然聞いたのよ!」
またつまらない、すぐ分かる言い訳を吐く。
「偶然? 誰からです?」
「あっ、アンタの家のご近所さんよ! アンタを調べたら、ここの近くのマンションに住んでるって分かったわ! 私はね、交友関係が広いのよ! そんな情報はすぐに入ってくるわよ!!」
「へ~、それは随分おしゃべりな方がいたもんだ。まあ、いいや。それは、間違いないんですね?」
「もちろんよ! ……まあ、プライバシーで誰か、とはいえないけど」
誰かから聞いた、なんてことはどうでもいいんだよ。
だって、もう詰んでるんだから。
「いや~、随分広い交友関係なんですね。違う学校のことまで知ってるなんて」
「違う? アンタ何言ってんのよ!?」
「あのですね。俺は高校に入る前に引っ越しをしていて、通っていた小学校はここから結構離れた場所にある。なのに俺の近所の人が、そんなことまで知ってるんですねぇ」
「なっ…………っ」
もう言い逃れはできないぞ? それとも、まだ抵抗するのか?
「そっ、そうだった! 今思い出したわっ! 私の知り合いに――」
「もうやめて!!」
狼狽するババアの声を遮ったのは、京助だった。
「京ちゃん、ママの味方をしてくれるのね。いい子――」
「違う! ……俺が言ったことは、嘘なんだ! この人の言ってることが本当のことなんだよ!」
京助の声は、震えていた。
「なっ、何言ってるのよ京ちゃん!」
「兄ちゃんがそんなことしてるなんて知らなかった。それに、怖かったんだ! どんどん話が大きくなってって……学校を辞めさせる、みたいな話になって……。俺がついた嘘のせいでこんなことになっちゃって、怖い。だから……もう……」
「あっ、京ちゃん!?」
ババアの手を振りほどき、俺の目の前まで駆け寄ってくる。
「……………………ごめん」
聞こえるか、聞こえないかの声で、そう呟いた。
これがコイツなりの、精一杯の謝罪なのだろう。
「いや。気にしてないさ」
だから俺も、京助に答えてやった。
「……全然、そんなつもりじゃなかったんだ。最初は、軽い気持ちでやってただけなんだ。だから、こんなことになるなんて、思ってなかって……」
「京助。俺は、お前が正直に話してくれて嬉しいぞ」
「……でも、俺のせいで――」
「京ちゃん! 戻ってきなさい! 京ちゃんは優しいから、周りに気を遣ってるだけなのよ!」
……たくよ。話の腰を折りやがって……。
「ババアお前は黙ってろ! あのな、お前が今やってることは、京助を駄目にしてるんだ! 守ると甘やかすは違うんだぞ! 折角こうやって正直に話したのに、そうやってまた道を外させるのか!?」
「なっ! 何を知ったような――」
「京助、邪魔が入った。あのな? 俺はもう怒ってないからいいんだけど、一つだけ聞いてくれるか?」
「……うん」
「お前が『軽い』『遊びのつもり』でやっていたことでも、受ける側は感じ方が違う時もある。そのことだけは覚えておいてくれ。いいな?」
「…………うん。ごめん、なさい……」
この様子だと、もうあんなバカなことはしないだろうな。
話してみたら、こいつだって真面目なやつじゃないか。ただ少し、間違ってただけだったんだ。
「俺に謝るのはもういいって。それよりも、ちゃんと謝らないといけない相手は他にいるだろ?」
目で、後ろだと合図を送ってやる。
「うん」
京助は目に溜まりかけていた涙を服で拭いて、愛梨のもとへ行った。
ここからは何を言っているのか分からないけど、愛梨の表情――笑顔を見ると、大体は想像できる。
ちゃんとゴメンナサイをした京助は愛梨が出した手を握って、少し恥ずかしげに親の傍へと戻っていった。
「…………そんな……。京ちゃんが……」
「ふぅ。京助のお母様、貴方からも何かありますよね?」
呆然としているババアに、声をかける。さすがに懲りただろうから、少しは反省をして――
「ふんっ、ふざけないで! 今日のところは帰るわ!!」
少しも、反省してはいなかった。
ヤツは京助の手を掴むと大きい歩幅でガンガン歩き、荒っぽく扉を開け、荒っぽく閉めた。
ま、まああの歳になると、性格なんてのはそうそう変わりはしないか。別に謝罪の言葉が欲しかったワケじゃないし、まあいいだろう。
とりあえず。これで一件落着したことだし――
「いや~。誤解だったみたいだね」
いや、まだ終わりじゃない。ヘラヘラと俺に話しかけてくるバカ担任――谷見が、まだ残ってる。
「鈴橋、好きにしろ。多少のことは俺が許す」
先生から許しがでた。
じゃあ、心置きなく。
「てめぇ。なに笑ってんだよ!」
俺は谷見に詰め寄り、胸倉を掴んだ。
「な、なにするんだっ!?」
「なに、じゃねーよ。もとはといえば、お前が正直に言わないからいけないんだろ!」
「しょ、しょうじき……? なんのことだか――」
「お前は、愛梨が普段からちょっかいを出されてたことを知ってたんだろ? 『学校では他の子達も助けてくれる』ってのを、愛梨から聞いたことがあるんだよ!」
「そ、それは……」
目を、逸らした。
それは言い逃れをするためか、他の先生に助けを求めるためなのか。どちらか分からないが、どちらも無駄だ。言い逃れはさせないし、傍に坂本先生がいるから他の先生は静観している。
「京助の親が、怖かったんだろ? 聞いた話だと、休職している先生もいるって話だ。アンタは事実を知っていても、自分の身、評判が大事だから黙ってたんだよな?」
「ち、違う。ただ……あれくらいのことで、そこまで困っているとは……」
「あれくらい? ほお、どうしてそんなことが分かる」
「そ、そりゃあ。担任だから、だよ」
俺は、似たような言葉を言われたことがあるけど――。こっちは何て重みがない、薄っぺらい言葉なんだ。
「なら、お前は担任失格だ。自分の生徒のことも理解できてないヤツに、そんな資格はない。それにな、今『あれくらい』と言ったが、いいことを教えといてやろう。殴られたり蹴られたり、そんな傷は時間が経てば治るんだよ。けどな、『心の傷』ってのは時間が経っても治らない、それどころか大きくなっていく可能性だってあるんだよ!!」
それは、俺がよく分かっている。
「お、大げさな……」
「大げさ? どうしてお前がそう言える? 根拠はなんだ! そのまま意地悪がエスカレートしていって、愛梨がもし、もしも最悪の事態になったとしてもそんなことが言えるのかよ!!」
「そ、それは一種の被害妄想だよ。飛躍しすぎ」
コイツ……。笑いやがった。
「この子に、何かあってからじゃ遅いだろ!! それともなんだ? アンタに責任が取れるって言うのかよ! 一体どんな方法でとる気なんだよ! 言ってみろ!」
「そ、れは……」
「アンタは、根本から間違ってんだよ! 教師ってのは、生徒と向き合うもんだろ! それがなんだ、保護者の機嫌ばかりとって、肝心の子供の話には耳を貸そうともしない。お前は何のために教師になったんだよ! こんなんだったら、一般の人がやっても大差ないじゃないか!」
「………………」
「黙ってるってことは、心のどっかでは分かってるんじゃないのか? 俺みたいなただのガキに偉そうに言われて腹立つだろうけど、もう一度、自分の立場ってものをしっかり考えて、思い出してみろよ」
掴んでいた手を離し、踵を返す。
これで、改心してくれるか、このままなのか。あとは本人しだい。俺には分からない。けど、言いたいことは全部言った。
「先生。終わりました」
「ああ。あとは俺に任せろ。帰っていいぞ」
「……はい。ありがとうございます」
ここにいても俺ができることはもうない。けどその前に、愛梨達と話しておこう。
愛梨と綾音のもとへ行き、顔の高さが合うように少し膝を曲げる。
「二人とも、驚かしてごめんな。怖かったかな?」
「んーん。怖くないよ。愛梨、嬉しい」
「……そっか。綾音は、大丈夫だった?」
「はい。勿論です」
そっか。二人の微笑みを見て、少し安心できたよ。
「愛梨。もう今までみたいなことは絶対にないから、安心してね」
「うんっ。ありがとう、おにーちゃん」
「礼はいいよ。じゃあ、俺は先に帰るね。二人とも気をつけて帰るんだよ、バイバイ」
「……はい」
「え、あ、うん。バイバイ……」
二人に別れを告げて、視聴覚室から出る。
そうして廊下を歩いて一歩目、自分の違いに気が付いた。なんだか、身体が軽くなっている。それに、心も軽い――スッキリしている。
理由はすぐに分かった。
自分なりに、過去にけじめをつけれたからだ。
あの時から、止まっていた時間が、ようやく動き出した。そんな感じ。
俺は、最後まで逃げずにやりとげた。
本当の意味で、愛梨を守ることができたんだ。
放課後。俺は坂本先生の車で西美小学校へ移動。昇降口で愛梨達と落ち合い、会議が行われる3階の視聴覚室を目指す。
ちなみに正樹だが、ヤツは英語の小テストの追試に引っかかった。正樹も来る気満々だったのでかなり悔しがってたけど、気持ちはしっかり受け取った。だから安心して、待ってて欲しい。
「「「「…………」」」」
俺達は下校する小学生とすれ違いながら階段を上り、3階へ到着。そこからは進路を右へと変えて、トイレ、音楽室前を通り、視聴覚室に着いた。
「へぇ。扉にはご丁寧に、『子供を守る会議』って張り紙がありますね」
「恐らくは、自称被害者の母親が付けたものだろう。……鈴橋、入るぞ」
「はい。お世話になります」
俺は改めて先生に一礼し、4人揃って中へとお邪魔する。そうして円卓状に設置された机を目指していると、担任教師とバアアと京介が立ち上がった。
これは――。歓迎のリアクション、ではないよな。
「ちょっと! なんでアンタが来てんのよ!」
ババアが開口一番、そう叫んだ。
まあ、やっぱりそうだよね。こう、なるわな。
「まあまあお母さん。彼は、自分の処遇が気になったんでしょう」
この台詞は、当然担任。うん、相変わらずウザイ二人組みだ。
んで、京助はというと…………今日は、やけに大人しい。嫌味の一つくらい言ってくるかと思ったが、ババアに手をつながれたままじっとこっちを見てる。
「先生、どうも初めまして。私が橘さん達の担任の、谷見(たにみ)です」
「こちらこそ、どうも初めまして。この子の担任の、坂本です」
とりあえず、二人が握手する。
あの担任野郎は、谷見っていうのか。昨日は名乗らなかったから知らなかったよ。
「橘さん達も、見物に来てくれたみたいですね。さ、どうぞこちらです」
早速、席に座るように促す。が、だ。先生は動かない。
「??? どうされたのですか?」
「その前に、うちの生徒が言いたいことがあるそうです。お時間よろしいですかな?」
「は、はぁ。言い訳なら時間の無駄ですが――」
「とても、大切なことです。……鈴橋」
「はい」
ちらりとこっちを見た先生に頷き、一歩前へ出る。
その位置でまずは、深呼吸。ゆっくり呼吸をして落ち着けた俺は、はっきりと部屋全体に響き渡る声量で――
「俺は昨日、嘘をついた。一部――愛梨に興味があったから京助に暴力を振るったってのは、嘘です!」
真実を、口にした。
そうすれば担任の谷見とバアアは、もちろん仰天。バカみたいな驚いた顔を作り、会に同席していた小学校側の教師3人はキョトンとした。
「ふっ、ふざけないで! 今更何言ってるのよ!!」
だがそれも数秒のことで、即座にヒステリックな声が上がる。
やはり、コイツが真っ先に突っかかってきたか。……さあて、ここからが本当の戦いだ……!
「何って、俺は決めたんだよ。昨日は『証拠がない』と言われて諦めたけど、今日は例え絶対的な証拠がなくても、真実を貫き通す」
もう、逃げるわけにはいかないから。
「はっ! どうせ退学、停学が怖くなっての言い訳でしょっ。無駄よ無駄! もう何言っても代わりはしないわよ。ね、先生」
バアアは大げさなリアクションで同意を求め、谷見も「はい」と返事をする。
「無駄かどうかは、一度、俺の話を聞いてからでも遅くはないんじゃないか? 詳しく、丁寧にお話すすぜ?」
「今更アンタの話を聞いたって、意味はない。時間の浪費となるだけよ!」
「おやおやぁ? 本当のことを言われるのが、嫌なんですか? どうせ事実を知ってるから、話を聞こうとしないんですかねぇ?」
「はっ!? 何を言ってるのよ! 先生方っ! こんな暴力学生の相手はしないで、会議を始めましょ!」
「…………キミ、話してみなさい」
突然、だった。イスに座っていた三人の一人――白ひげをたくわえた小太りの男性が、そう言った。
「こ、校長先生っ! な、何言ってるんですか!」
たまらず、谷見が大声を上げる。
へぇ。この人が、校長先生なのか。
「そこまで真剣になるということは、何かがあるんでしょう。話くらいは聞いてあげてもいいじゃないですか。ねえお母さん」
「そ、そこまで仰るのなら……。時間の無駄と思いますけどっ」
校長の提案に、ババアもしぶしぶ了承した。
よし。まずは話す機会を得た。
「我儘を受け入れてくださり、感謝します。では高校生くん、どうぞ」
「はい」
俺は校長先生の声に頷き、いよいよだ。全てを話すことにした。
「まず。俺が愛梨を初めて見たのは、先週の月曜日の放課後。その時愛梨は、そこの京助と何人かの男子にイタズラされていた。俺が発見した時は、京助がスカートを捲っていたんだ」
「っっ! うちの京ちゃんが破廉恥なマネをするはずないわよ!」
「いいや、していた。で、俺はそのあと京助の腕を掴んで、追い払った。これが、愛梨との出会い」
愛梨は女の子で『スカートを捲る』というのは恥ずかしいだろうけど、今は我慢して欲しい。これは、大切なことなのだから。
「でだ。次の日、俺はその後が気になって帰りに昨日の場所に行った。そしたら愛梨と綾音がそこにいて、昨日のお礼にってクッキーをくれた。これはアンタがいう、暴力を振るう前の出来事。俺がチョップをしたのはそのあとで、京助が一人で走ってきて愛梨のスカートを捲り上げたままにしたから。小学生のやることだから大目に見てたけど、さすがにやり過ぎだろう――。そう思ってのチョップだった」
「何よ! 理由はどうであれ、暴力を振るったのは事実じゃないの!」
「確かに、暴力といわれたらそうかもしれない。けど、俺は間違っていたとは思ってない。子供だからって好き放題していいはずないんだ。だから、それを止めてやる、叱ってやる人間がいないといけない。俺は、自分のストレスを解消するためにチョップをしたわけじゃないんだ!」
俺の話を聞いて、イス組みがざわつき始めた。恐らくこの人達は、聞いていた内容とまったく違うから困っているのだろう。
「がっ、ガキが何を偉そうに……っ。あのねっっ! アンタがやってることは自己満足なのっ! 暴力を正当化してるだけなのよっっ! 適当な嘘までついて…………自分が子供を守ってる、とでも言いたいわけ!?」
ほぉ。まさか、コイツからそういうことが出るとはな。
「アンタだけには、言われたくない。さっき扉を見たけど、なにが『子供を守る会議』だ。アンタが守ってるのは、子供は子供でも『自分の子供』だけじゃないか!」
「い、言うに事欠いて……。私はそこの子もアンタの魔の手から救ったじゃないの! ほらっ、どこが違うっていうのよ!」
ふーん。よくもまあ、そんなでたらめを平気で言えるな。
「てめえが、愛梨を救っただと? ふざけるのも大概にしろ! 先週の金曜日に、自分の子供――京助の兄を使って、愛梨達を襲わせたくせによ!!」
「…………え!?」
この部屋の人間で真っ先に反応したのは、京助だった。しかも、どんどん顔の色が悪く――青白くなっていく。
これは、どういうことだ? まるで、初めて聞いたような……。まさか、京助は知らなかった? 俺はてっきり二人が仕組んだことと思っていたが、違うのか?
「ま、ママ。兄ちゃんが? 本当に?」
「ち、違うわよ。そんなの嘘に決まってるでしょ」
この反応……。どうやら、俺の考えは間違っていたようだ。
「残念だが京助、本当のことだ。あの日の放課後、俺のスマホに綾音から着信があった。酷く慌てて、『助けて』ってな」
「た、たす、けて……」
「このように…………俺のスマホに記録がある。で、俺は急いで二人が捕まっている、ここの近くにある空き地に行った」
コイツにもしっかりと、あの日の事実を知ってもらわないといけないからな。当時の着信履歴を――証拠を見せながら、伝えた。
「京ちゃん騙されないで! 相手にしちゃ駄目よ!」
「…………。続けて」
「そこでお前の兄と仲間が待っていた。そして、愛梨のバッグを捨てると酷いことを言い出した。理由は、ママから小遣いが貰える、それだけなんだと。まあそこから色々あって丸く収まったけどさ、愛梨も突き飛ばされたり大変だったんだぜ?」
この場では、ここまでにしておこう。京助も相当戸惑っているようだし、殴る蹴るの話は子供にも悪いからな。
「さて。これで、京助にも理解してもらえ――」
「いい加減にしなさい! これ以上言うと訴えるわよ!」
はぁ。大事なところで台無しにしてくれる。
もう少し、空気を読めないのだろうか? まあ微塵も読めないから、こうなってるんだよな。
「おいおいおい。訴えるのなにも、事実なんだから仕方ないだろ?」
「しょ、証拠は! 襲われたという確かな証拠はあるの!?」
出ました、バカの一つ覚え。言うことがなくなったら、すぐ証拠だ。
「アンタの子供は、金髪だろ? 仲間にはスキンヘッドやロン毛なんかがいる。学校は東坂高校。これだけ知ってると真実味があるだろ?」
「そ、そんなの偶然見かけたら分かるわよ! 証拠にもならない!」
偶然見かけて、アンタの子だって分かるはずはないんだが……。まあいい。じゃあこれはどうだ?
「訴えるとか物騒なこと言うから、こっちも言うけどさ。アンタの子供が愛梨のバッグを投げたから、指紋がついている。これを警察で鑑定してもらったら、証拠になるよね? まさか高校生の男が小学生のバッグを事前に偶然触ってるはずないし、通りすがりに掴むってこともありえないしねぇ」
ほら。そっちが希望した、言い逃れできない証拠だぞ。
さあ、どうする?
「そっ、そんなこと何の証拠にもならないでしょ! 偶然、ホント偶然落としたのを拾ったかもしれないでしょ? そもそも、警察がそんな事実かどうかも分かりもしないことで動くはずないのよ!」
さすがは、モンスターペアレント。動揺しているせいか支離滅裂ぎみだけど、絶対に認めはしない。なんというか……こうなったら、このババアに認めさせる、証拠というものはこの世にないような気がする。例えば現場の写真を撮ったとしても、「合成」とか言い張りそう。
モンスターとは上手く言ったものだ。
「そっすか。でもねー、まだあるんですよ。綾音のスマホにだって触ってる――」
「黙りなさい黙りなさい!! もうアンタの戯言はたくさんよっ! まったく、なんなのアンタは! この期に及んでありもしない嘘ばかり! 先生方! もう十分ですから、早く処分を決めましょっっ! 謝罪するならまだしも、私や京ちゃんに罪をなすりつけようとするなんて言語道断よ!!」
俺に話す隙を与えまいと、一気に捲くし立てる。
だが、こんな有様だ。谷見以外の先生は頷かない。
「あのさ、そろそろ認めたら? 別に俺は――愛梨達も、大事にするつもりはない。解決すればいいだけなんだからさ」
少しでも言いやすい状況にしてやろうと思って、そう言った。のだけれども、モンスターには逆効果。逆鱗に触れてしまったらしい。
「っっっ、一体何様のつもり!? あーもーやだやだ! だから元イジメられっ子は嫌よっっ! ホントしつこい! そんな態度だからイジメられてたのよっっ! イジメられる側にも問題があって――あ、そっか、イジメられていたからここまでしつこいのね。過去の自分が何もできなかったから、抵抗できない京ちゃんを標的にして、自分は強いぞ~ってヒーロー気取りをしてるんでしょっ?」
「違うっ! おにーちゃんは違うよ!」
「酷い想像です! 鈴橋さんに謝ってくださ――」
「やかましい! だれがアンタ達に喋れって言ったのよ!!」
即座に二人が抗議してくれて、そんな声をババアが掻き消す。
しかしこのババア、人が言えないことを平気で、しかもほくそ笑みながら言ってくる。
ったく、あの金髪が言いふらしやがったな。絶対にアイツは、表立っては言えないから家族に話してる。
(そうそう、ああいうヤツはするんだよなぁ。強い者の前ではペコペコしてるけど、内心は真逆なんだ)
滅茶苦茶苛立ってて、こっそりと憂さ晴らしをしようとする。家でイライラしながらババアに話している、金髪野郎の姿が目に浮かぶ――待てよ。
(これは……。そうだ……。間違いない)
墓穴を、掘ったな。
「あー、ちょっといいです? 俺と会うのは、今日が二回目ですよね?」
もちろんこれは、ババアに向けての言葉だ。
「ここはしっかり、お答えください。俺と会うのは、今日が二回目ですよね?」
「当たり前でしょ! 何が楽しくてアンタなんかと会うって言うのよっ!」
よしよし。これで、条件1はクリア。
「ではもう一つ。愛梨、綾音とは、話をしましたか?」
「一度も話してないわよ! アンタ、さっきから何が聞きたいのっ?」
「いえいえ。ちょっと参考にね」
よしよし。条件2、クリア。
「それでは今度は、谷見先生。アナタは、愛梨達からどんなこと聞きましたか? 例えば……俺についてとか」
「キミに関しては、何も。橘さん達は話してくれなかったから、橘さん達が立っていた場所でキミを待ってたんだよ」
「ほぉ、そうですか。どうも」
よしよしよし、条件は全て揃った。
これで、充分だ。
「アンタ、何のつもりっ? しょうもない時間稼ぎなら――」
「時間稼ぎなんかじゃ、ないですよ。ではでは最後に、一つだけ質問いいですか? これで終わりですから」
「はぁ、いいわよ。諦めるのなら聞いてあげるわ」
そうですかそうですか。では、俺の最後の質問をしっかり聞いてくださいね?
「ところで……。どうして俺が、元イジメられっ子だって知ってるんですか?」
わざと、ゆっくりかつ大きな声で、ほくそ笑みながら言ってやった。
「なっ……」
「俺は愛梨のバッグを守るのと引き換えに、アンタの子供にそのことを話しました。つまり、このことはあの場にいた人間――アンタの子供とその仲間、愛梨達しか知らないんですよ」
「…………っ」
「愛梨達が言いふらすはずないし、今ちゃーんと確認も取った。……あれあれ? おかししいですよね? アンタの話だと、アンタの子供はその場にいないはずなのにね」
「そ、それは……」
おーおー、口ごもっちゃって。さっきまでの勢いはどうした。
「それは? なんですか?」
「ぐ、偶然! 偶然聞いたのよ!」
またつまらない、すぐ分かる言い訳を吐く。
「偶然? 誰からです?」
「あっ、アンタの家のご近所さんよ! アンタを調べたら、ここの近くのマンションに住んでるって分かったわ! 私はね、交友関係が広いのよ! そんな情報はすぐに入ってくるわよ!!」
「へ~、それは随分おしゃべりな方がいたもんだ。まあ、いいや。それは、間違いないんですね?」
「もちろんよ! ……まあ、プライバシーで誰か、とはいえないけど」
誰かから聞いた、なんてことはどうでもいいんだよ。
だって、もう詰んでるんだから。
「いや~、随分広い交友関係なんですね。違う学校のことまで知ってるなんて」
「違う? アンタ何言ってんのよ!?」
「あのですね。俺は高校に入る前に引っ越しをしていて、通っていた小学校はここから結構離れた場所にある。なのに俺の近所の人が、そんなことまで知ってるんですねぇ」
「なっ…………っ」
もう言い逃れはできないぞ? それとも、まだ抵抗するのか?
「そっ、そうだった! 今思い出したわっ! 私の知り合いに――」
「もうやめて!!」
狼狽するババアの声を遮ったのは、京助だった。
「京ちゃん、ママの味方をしてくれるのね。いい子――」
「違う! ……俺が言ったことは、嘘なんだ! この人の言ってることが本当のことなんだよ!」
京助の声は、震えていた。
「なっ、何言ってるのよ京ちゃん!」
「兄ちゃんがそんなことしてるなんて知らなかった。それに、怖かったんだ! どんどん話が大きくなってって……学校を辞めさせる、みたいな話になって……。俺がついた嘘のせいでこんなことになっちゃって、怖い。だから……もう……」
「あっ、京ちゃん!?」
ババアの手を振りほどき、俺の目の前まで駆け寄ってくる。
「……………………ごめん」
聞こえるか、聞こえないかの声で、そう呟いた。
これがコイツなりの、精一杯の謝罪なのだろう。
「いや。気にしてないさ」
だから俺も、京助に答えてやった。
「……全然、そんなつもりじゃなかったんだ。最初は、軽い気持ちでやってただけなんだ。だから、こんなことになるなんて、思ってなかって……」
「京助。俺は、お前が正直に話してくれて嬉しいぞ」
「……でも、俺のせいで――」
「京ちゃん! 戻ってきなさい! 京ちゃんは優しいから、周りに気を遣ってるだけなのよ!」
……たくよ。話の腰を折りやがって……。
「ババアお前は黙ってろ! あのな、お前が今やってることは、京助を駄目にしてるんだ! 守ると甘やかすは違うんだぞ! 折角こうやって正直に話したのに、そうやってまた道を外させるのか!?」
「なっ! 何を知ったような――」
「京助、邪魔が入った。あのな? 俺はもう怒ってないからいいんだけど、一つだけ聞いてくれるか?」
「……うん」
「お前が『軽い』『遊びのつもり』でやっていたことでも、受ける側は感じ方が違う時もある。そのことだけは覚えておいてくれ。いいな?」
「…………うん。ごめん、なさい……」
この様子だと、もうあんなバカなことはしないだろうな。
話してみたら、こいつだって真面目なやつじゃないか。ただ少し、間違ってただけだったんだ。
「俺に謝るのはもういいって。それよりも、ちゃんと謝らないといけない相手は他にいるだろ?」
目で、後ろだと合図を送ってやる。
「うん」
京助は目に溜まりかけていた涙を服で拭いて、愛梨のもとへ行った。
ここからは何を言っているのか分からないけど、愛梨の表情――笑顔を見ると、大体は想像できる。
ちゃんとゴメンナサイをした京助は愛梨が出した手を握って、少し恥ずかしげに親の傍へと戻っていった。
「…………そんな……。京ちゃんが……」
「ふぅ。京助のお母様、貴方からも何かありますよね?」
呆然としているババアに、声をかける。さすがに懲りただろうから、少しは反省をして――
「ふんっ、ふざけないで! 今日のところは帰るわ!!」
少しも、反省してはいなかった。
ヤツは京助の手を掴むと大きい歩幅でガンガン歩き、荒っぽく扉を開け、荒っぽく閉めた。
ま、まああの歳になると、性格なんてのはそうそう変わりはしないか。別に謝罪の言葉が欲しかったワケじゃないし、まあいいだろう。
とりあえず。これで一件落着したことだし――
「いや~。誤解だったみたいだね」
いや、まだ終わりじゃない。ヘラヘラと俺に話しかけてくるバカ担任――谷見が、まだ残ってる。
「鈴橋、好きにしろ。多少のことは俺が許す」
先生から許しがでた。
じゃあ、心置きなく。
「てめぇ。なに笑ってんだよ!」
俺は谷見に詰め寄り、胸倉を掴んだ。
「な、なにするんだっ!?」
「なに、じゃねーよ。もとはといえば、お前が正直に言わないからいけないんだろ!」
「しょ、しょうじき……? なんのことだか――」
「お前は、愛梨が普段からちょっかいを出されてたことを知ってたんだろ? 『学校では他の子達も助けてくれる』ってのを、愛梨から聞いたことがあるんだよ!」
「そ、それは……」
目を、逸らした。
それは言い逃れをするためか、他の先生に助けを求めるためなのか。どちらか分からないが、どちらも無駄だ。言い逃れはさせないし、傍に坂本先生がいるから他の先生は静観している。
「京助の親が、怖かったんだろ? 聞いた話だと、休職している先生もいるって話だ。アンタは事実を知っていても、自分の身、評判が大事だから黙ってたんだよな?」
「ち、違う。ただ……あれくらいのことで、そこまで困っているとは……」
「あれくらい? ほお、どうしてそんなことが分かる」
「そ、そりゃあ。担任だから、だよ」
俺は、似たような言葉を言われたことがあるけど――。こっちは何て重みがない、薄っぺらい言葉なんだ。
「なら、お前は担任失格だ。自分の生徒のことも理解できてないヤツに、そんな資格はない。それにな、今『あれくらい』と言ったが、いいことを教えといてやろう。殴られたり蹴られたり、そんな傷は時間が経てば治るんだよ。けどな、『心の傷』ってのは時間が経っても治らない、それどころか大きくなっていく可能性だってあるんだよ!!」
それは、俺がよく分かっている。
「お、大げさな……」
「大げさ? どうしてお前がそう言える? 根拠はなんだ! そのまま意地悪がエスカレートしていって、愛梨がもし、もしも最悪の事態になったとしてもそんなことが言えるのかよ!!」
「そ、それは一種の被害妄想だよ。飛躍しすぎ」
コイツ……。笑いやがった。
「この子に、何かあってからじゃ遅いだろ!! それともなんだ? アンタに責任が取れるって言うのかよ! 一体どんな方法でとる気なんだよ! 言ってみろ!」
「そ、れは……」
「アンタは、根本から間違ってんだよ! 教師ってのは、生徒と向き合うもんだろ! それがなんだ、保護者の機嫌ばかりとって、肝心の子供の話には耳を貸そうともしない。お前は何のために教師になったんだよ! こんなんだったら、一般の人がやっても大差ないじゃないか!」
「………………」
「黙ってるってことは、心のどっかでは分かってるんじゃないのか? 俺みたいなただのガキに偉そうに言われて腹立つだろうけど、もう一度、自分の立場ってものをしっかり考えて、思い出してみろよ」
掴んでいた手を離し、踵を返す。
これで、改心してくれるか、このままなのか。あとは本人しだい。俺には分からない。けど、言いたいことは全部言った。
「先生。終わりました」
「ああ。あとは俺に任せろ。帰っていいぞ」
「……はい。ありがとうございます」
ここにいても俺ができることはもうない。けどその前に、愛梨達と話しておこう。
愛梨と綾音のもとへ行き、顔の高さが合うように少し膝を曲げる。
「二人とも、驚かしてごめんな。怖かったかな?」
「んーん。怖くないよ。愛梨、嬉しい」
「……そっか。綾音は、大丈夫だった?」
「はい。勿論です」
そっか。二人の微笑みを見て、少し安心できたよ。
「愛梨。もう今までみたいなことは絶対にないから、安心してね」
「うんっ。ありがとう、おにーちゃん」
「礼はいいよ。じゃあ、俺は先に帰るね。二人とも気をつけて帰るんだよ、バイバイ」
「……はい」
「え、あ、うん。バイバイ……」
二人に別れを告げて、視聴覚室から出る。
そうして廊下を歩いて一歩目、自分の違いに気が付いた。なんだか、身体が軽くなっている。それに、心も軽い――スッキリしている。
理由はすぐに分かった。
自分なりに、過去にけじめをつけれたからだ。
あの時から、止まっていた時間が、ようやく動き出した。そんな感じ。
俺は、最後まで逃げずにやりとげた。
本当の意味で、愛梨を守ることができたんだ。