一睡もできないまま、次の日の朝を迎えた。
朝食をとる気にもなれず、部屋で時間を潰してからいつもより早めに学校へ向かった。
風に当たれば気分が良くなる、と聞いたことがあったから実行してみたものの、どうやら効果はなかったらしい。
学校に着いたのは、8時丁度。靴を履き替えて、人影もまばらな廊下を歩いて教室に向かう。だが、階段を上ったところで生徒指導担当とかいう先生に捕まり、襟をつかまれ職員室に連行された。
原因は、まあ昨日のこと。で、今は――
「だからお前は駄目なんだ!」
職員室の真ん中に位置する生徒指導担当の先生の机で、説教されている。かれこれ、十分は過ぎただろうか。
しかも、この間に隣に座っていた女の先生まで参加してきて、二対一になった。
「ちょっと、鈴橋くん。聞いていますかっ?」
「はいはい。聞いてます」
「鈴橋! なんだその態度は! はい、は一回だ!」
「……はい」
正直、話を聞くのは疲れた。
この人達の口から出てくるのは、余計なことをしてくれたな、的なことばかり。まあ連絡が来てるから仕方ないんだけど、俺の話を聞いてくれてもいいだろうに。
それに、この先生方は人のことを『駄目駄目』言い過ぎな気がする。もう三十回以上はその単語を聞いた。
「はぁ、この歳になって返事もできないなんて……。いつも注意してるでしょ?」
いつもって、何だろう。この先生方とお話するのは今日が始めてなんだけど……。
「はい、すみません」
「まったく。本当に困ったやつだ」
もうこの二人、仕事のストレスを俺にぶつけてるだけじゃないのか? とすら思ってくる。時々、関係のないこと挟んでくるし。
――ところで――。ここの職員室には、3タイプの先生がいることに気がついた。
まず1タイプ目は、珍獣を見るような眼でこっちを見てる先生。2タイプ目は、ちらちらこっちを見ながら、隣の机の先生と談笑する先生。3タイプ目は、不安そうにこっちを見る先生。
1と2は置いておくとして、3の先生は心配してくれているのかもしれない。けど、若いから口出しできないんだろう。この世界も年功序列なのだから。
「あれ~。先生、どうしたんですか?」
ここにきて三人目の先生がやってきた。しかも運が悪いことに、小太り眼鏡で髪を後ろでお団子状にした中年女性。俺達が最も忌み嫌う、去年の英語の先生だ。
やはりこの先生は、たちが悪い。さも知らないを装っているが、すでに薄笑いを浮かべてる。
「ああ先生、実はですね――」
なぜか大きな声で、俺が小学生に手を出した、ということを改めて説明された。自分で言った時は咄嗟だったから気にならなかったけど、人から聞かされるとキツイな。
「ははぁ。そうなんですか」
聞き終えると彼女は、ポジションを俺の右斜めに移す。やはり、本格的に参戦するつもりらしい。
「先生からも何か言ってやってくださいよ」
「そう、ですね……」
顎に手を当てて真剣に考えてるふりしてるけど、眼が笑ってる。この人、確実に楽しんでるよな。
「だから、私はいつも言ってるんです。成績は生活態度と比例するって」
でたよ。それは去年何回も聞いた。
「成績が良い生徒はみんな真面目。授業態度だっていいし、服装の乱れもない。けど、この鈴橋君のように成績が芳しくない人に限ってそんなことするの」
「確かに。その傾向はありますよね」
この人達、裏ではそんなこと思ってたの? そりゃ、成績が良いに越したことないけどさ、成績が悪い人=不良みたいなこと言われても困る。
てか、絶対に間違ってる。成績悪くても良いヤツや、良くても悪いヤツはいた。だから、結局その人次第なんだって。
まあ、成績が良くない俺が言ったら、ひがみにしか聞こえないけど。
「鈴橋君。聞いてます?」
「……はい」
その後も、まだまだ続く。
三人に増えた分、説教パターンも増えた。
……はぁ。あと何分、この拷問は続くのか。何か気を逸らせることはないかと思い、視線を移動させていると、
ピーンポーンパーンポーン
連絡事項を知らせる放送のチャイムが鳴った。とりあえず、これでも聞いておこう。
《二年四組 鈴橋修君は、至急校長室まで来てください》
うあっ、また俺のことだ。しかも校長室!? あでも、ここよりはましかもしれない。
「皆様。お聞きの通り呼ばれましたので、失礼します」
俺は礼をして、さっさと脱出する。背後で、停学かも、という声と笑い声が聞こえたけど、無視しよう。
スタスタ、トコトコ。
先生方の興味の視線を浴びながら職員室を歩き――ふと、妙なことに気がついた。
放送は職員室か放送室にあるマイクを使ってできるんだけど、今回は放送室からだった。
なぜわざわざ放送室を使ったのか? おじさんの声だったから、生徒に頼んだってワケじゃなさそうだし……。何か理由があるのだろうか?
「まあ、いいや」
とりあえず、職員室から出るためにドアを開けた。すると数メートル先の部屋の前――校長室前で俺の担任、坂本先生が仁王立ちしていた。
どうやら先生も呼ばれたみたいで、あ~。こっぴどく怒られるんだろうな。
「お、おはようございます」
「おう。おはよう、鈴橋」
あれ? 今、鈴橋って……。
「ん、どうした?」
「あ、いや……。その、そういえば、校長室に入るのって初めてです」
「そうかそうか。じゃあこの機会に見ておくといい。さあ入れ」
ガラガラと扉を開けてもらったので、先に入ることに。
「失礼しま~――。………………」
職員室に入って、呆然となった。
これは昨日の、再現だろうか。入ってすぐの三人掛けのソファーに、俺のよく知っている女の子達が座っていた。
「愛梨、あや――」
「おにーちゃん!!」
俺が言い終わらないうちに、愛梨が胸に飛び込んできた。
「えっ。愛梨、これは……」
どうして……? 何が起こってるんだ?
「すみません。私達、来てしまいました」
「は? え? どうして――」
「おにーちゃんが、嘘付いてくれて……。愛梨を、庇って、くれたから……」
愛梨の声が、震えていた。そしてシャツ越しに、生暖かい水気が伝わってくる。
「愛梨……」
「あのね、おにーちゃ、が……酷いこと言わ……のは、嫌なの。愛梨もね、違うってお話してもね、信じてくれない……。だから……」
それは、搾り出すような声だった。
「………………」
俺はようやく、俺は馬鹿だと悟った。
自分が良いと思って勝手にやったことで、愛梨を悲しませてしまった。余計に悲しませて、涙を流させてしまった。
まったく……。俺は何やってたんだよ。
「ごめんね。そして、ありがとう」
そっと抱きしめて、空いている右手で頭を撫でた。
「ん~ん、いいの。愛梨も、何もできなくてごめんなさい」
「それこそ、いいんだよ。わざわざ来てくれてありがとうね。それにしてもよく、ここまで来れたね」
「あのね。おにーさんがね……」
おにーさん? おにーさんって……
「僕のことだよ!」
待ってましたとばかりに視界の端で、校長仕様の背もたれが高いイスが回転。ふんぞり返ってイスに座っていたのは、俺の悪友だった。
「正樹……」
「修の気持ちは分かってたんだけどさ、愛梨ちゃんと綾音ちゃんの悲しむ顔見ちゃったらこうするしかないでしょ。余計なお世話かと思ったけど、正解だったみたいだね」
「ああ。サンキュ」
ホント、大正解だよ。そうしてくれなかったら、俺は自己満足で勘違いをしたままだったから。
「ところでどうだい? 似合うでしょ?」
「いや、似合うというか、何で正樹が座ってんの? もしかしてお前、校長の関係者?」
「木本正樹! 誰が座っていいと言った!」
坂本先生に怒鳴られ、しぶしぶ立ち上がる正樹。まあそうですよね。
「先生。ところで、校長先生はどちらに?」
見たところ、校長先生はいませんが。
「ああ、校長先生は放送室だ。俺が頼んで、この部屋を空けていただいた」
放送室……。さっきの放送は校長!?
「な、どうして?」
「いやねー、実はさー。学校に案内したのは僕だけど、ここに入れたのは先生のおかげなんだよね」
「先生が? どうして?」
「それは、な……」
先生が俺の傍までゆっくり歩いてきて、少し間を空けてから、再び口を開いた。
「お前が下手な芝居をうつからだ」
「はっ!? どういうことです!?」
「鈴橋。大変だったな」
ポン。肩にそっと、手を置かれた。
「えっ、ええ!?」
「鈴橋。何を驚いているんだ」
「い、いや……。まさか、そんなこと言われるとは……」
「思ってなかったか」
「はい」
殴られるかも、と思ってたくらいだからね。予想だにしていなかった。
「例の話は、この子達から聞かせてもらった」
「え……。全部、聞いたんですか?」
「ああ。呆れるような内容だったが、評価はするぞ」
再度、今度は強めに肩を叩かれる。
「それはどうも――ってちょっ! 先生は信じてるんですか!?」
「そうだが。それがどうした?」
「いや、だって、さっき職員室では……。殆どの先生は、小学生に手を出したって」
「昨日学校に、連絡があったからな。殆どの先生方の意見は、確かにそうだ」
「でしょ? だったらなんで、俺達みたいな子供のことを信じて……」
「何だ? 違うというのか?」
「いやいやっ。そうその通りなんですけどっ!」
思わず、声が大きくなってしまう。けど、俺には分からない。どうして先生はそこまで信じてくれるんだ?
「……だって、証拠、ないんですよ? なのにどうして」
「…………はぁ。お前は何もわかってないな」
坂本先生は大きなため息を付き、呆れたような顔をした。
「先生?」
「あのな、俺は去年の一年間、担任としてお前を見てきたんだぞ。お前がそんな下らんことをする人間じゃあないことくらい、すぐに分かる。それにな、信じるに子供も大人も関係ない!」
そして言い終えた後、優しい目で微笑んだ。
「…………」
「どうした?」
なんだろう、この気持ち。
なんつーか、嬉しかった。俺を見ててくれたことが、分かってくれてたことが。
初めてだ。今まで生きてきて、先生からこんなこと言われたのは。
やべ。たったこれだけの言葉のはずなのに、涙でそうになってきたぞ……っ。
「………………。ありがとうございます」
これが精一杯の感謝の言葉。月並みだけど、これ以上のこと浮かんでこないや。
「何ガラにもないこと言っているんだ。俺は当然のことをした、言っただけだ。感謝される覚えはないぞ」
「……はい」
先生、ありがとう。
「あの~、ちょっといい雰囲気のところ悪いんだけど。僕、ずっとここにいたから状況が掴めてないんだよね。先生、今どんな感じになってんです?」
「そうだな……。中には、退学、停学、なんてことを仰る方もいるのが現状だ」
「そんな……。おにーちゃん、どうなっちゃうの?」
「どうにか、ならないのでしょうか?」
愛梨と綾音が、先生をじっと見つめる。
「大丈夫。まだ話は終わりじゃないから、心配しなくてもいいんだよ」
二人を安心させるように、笑顔を交えながら話す先生。なんだか、先生の意外な面を見た気がする。背後から「おお、新種のツンデレ!」と聞こえたから、正樹も同じ考えみたいだ。
「でだ。その処遇を決めるために今日の放課後、西美小学校で会議が開かれることになった。向こうは……自称被害者とその母。後は担任と校長、教頭だったか」
なるほど。相手はやる気満々ってことか。
「ほほぅ、修を潰す気だね。で、こっちの先生陣は誰が行くんです?」
「今のところは俺が一人だ。本当は数人で行く予定だったのだが……どの先生方も都合が悪くてな」
珍しく歯切れが悪い。
もう、先生も演技が下手だね。正直に、『味方がいない』って言ってくれていいのに。
「先生。迷惑をかけますが、よろしくお願いします」
せめてもの感謝の気持ちを込めて、頭を下げる。
出来の悪い生徒の尻拭いを、よろしくお願いします。
「ん? 何を言っているんだ。鈴橋、お前も来るんだろう?」
「えっ!?」
俺、も……?
「何だその間抜けな顔は? 自分の無実が証明できる最後の、絶好の機会なんだぞ?」
「はぁ、でも……。俺、呼ばれてないですし……」
「それに関しては先生が責任を持つから、遠慮はするな。お前らしくもない」
「いやぁ……。でも、ですね……」
「さっきから、中途半端な返事ばかりだな。まさかお前は、このままにしておくつもりじゃないだろうな?」
「………………」
すぐに、返事をできなかった。
そりゃあ、俺だって正しいことを言いたい。けど、もう何を言ったってアイツらには無駄なんだ。
「気持ちは有り難いんですけど、もういいんです。俺が何を言ったところで、信じてもらえないですから」
「だっ、ダメだよおにーちゃん! 大丈夫だよ!」
「そうです鈴橋さん。まだ……っ」
「不安なら、僕も一緒に行くけど? また自転車で突っ込んでみる?」
「いいや、気持ちだけ受け取っておくよ。先生。そういうワケなので、すみません」
愛梨達が励ましてくれるけど、ごめん。これでいいんだ。
「…………。周りがこれだけ説得しても、気持ちは変わらないのか?」
「…………はい」
力なく、言葉を返す。
そうすると訪れるのは、静寂。愛梨達は俯いたままで、俺はただただ天井を見ることしかできない。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………なあ」
そんな時間が、一分ほど続いた頃。先生が、その沈黙を破った。
「お前がそういうなら仕方ないが、一つ、これもお前を見ていてずっと言おうと思っていたことがある。それを言っていいか?」
「は、はあ。なんですか?」
視線を天井から先生に移すと、しっかりとこっちを見据えていた。
なん、なんだ……?
「鈴橋。あのな」
「は、はい」
「お前は、すぐに『諦めてしまう』ところがある」
低い声で、ゆっくりと発せられたその言葉。それを聞いた瞬間、俺の全身に鳥肌がたった。
「この前のテストの時もそうだったが、なぜ最後まで足掻いてみせない。なぜそこで終わりにしてしまう。特に今回は、大切なものがかかっているはずだ」
「そ、それは……」
「失敗を――先のことを考えて恐れるのは当然だ。だがな、お前はまだ若い。たまには後先考えずに、全力でぶつかっていく、というのも必要じゃないのか?」
「…………。言うのは、簡単ですよ……」
「そうだ、言うのは簡単だ。だが、諦めてしまうのも簡単なこと。考えがどうであれ、逃げているのだからな」
「俺は逃げてなんか! ……ない」
「ならば、今、一度だけでも、最後まで立ち向かっていけ。ここでやらないと、お前は一生そのままだぞ」
「…………そんなの、分かってますよ。けど……俺は……以前……」
あの時に――小学生の時に、嫌というほど実感したんだ。
「俺はお前に何があったかなんて知らないが、一度や二度失敗したからと言ってそれが絶対ではない! 時は流れている! 日々変わり続けているんだ!」
「………………」
「鈴橋。今、お前の周りには仲間がいるんだぞ? 人間の心理として『きっと同じことになる』という不安があるだろうが、一人で背負い込むな。確かに肝心な部分は自分次第ではあるが、サポートはできる」
「…………。サポート?」
「そうだ。困った時は周り頼れ。この子達、木本もそうだ。それに、俺はお前の担任なんだぞ? お前のことは、最後まで責任を持って見守る。それが先生というものだ。だから、お前の思いを残らずぶつけてみろ! めちゃくちゃにしてみろ! 何度も言うが、後のことは気にするな! 逃げるんじゃないっ! 一度でいいから、自分が納得できるまで向き合ってみろ!!」
先生の言葉一つ一つが、まるで電流のように身体を走っていった。
そうか……。俺は、恐れていたんだ。諦めることでこれ以上、傷つかないようにしていたんだ。
今、それにようやく気が付いた。……いや。実際はあの時から知ってたんだ。けど、気付かないフリをしていた。
そうだ。俺は――あの時のまま、止まっていた。自分の殻に閉じこもって、現実から逃げていた。
愛梨を助けたのだって、ただの自己満足だったのかもしれない。もしかすると、心のどこかに、自分は変わったと自分自身に認めさせたい、気持ちがあったのかもしれない。
なにもかも、先生の言う通りだ。
今回も、形は違えどあの時と同じようになっている。
俺は……。俺は、また繰り返してもいいのか? このまま『諦めて』、『逃げて』しまってのいいのか?
………………その答えは決まってる。
「先生、俺を一発、ぶん殴ってください」
これが、鈴橋修の答えだ。
「おにーちゃん!?」
「鈴橋さん!?」
「……鈴橋。いいのか?」
「はい。遠慮せずに、全力でお願いします」
「………………よし。歯を食い縛れよ、鈴橋っっ!!」
パアン!
そんな乾いた音がした後、左頬に激しい痛みが走った。
当たり所が悪かったのか、目がチカチカする。フラフラもする。
だけど――。スッキリした。
「ひゅー♪ やるねぇ♪」
「おにーちゃん。大丈夫?」
「とても、赤くなっていますが……。大丈夫、ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。……正樹は、余計な反応するなっての」
まったくコイツときたら。嬉しそうに口笛なんか吹きやがって。
「坂本先生。どうもありがとうございました」
「うむ、目が変わったな。ようやく吹っ切れたか」
「はいっ!」
吹っ切れたというか、眼が覚めましたよ。六年間の眠りから。
「よし! それじゃあもう授業が始まるから、鈴橋と木本は教室へ帰れ。俺はこの子達を学校まで送ってくる」
「はい。よろしく頼みます」
「あいよ~。アイアイサーってね」
「決戦は、放課後だからな。うっかり忘れるんじゃないぞ?」
「もちろん、ですよ」
俺は先生に一礼し、愛梨達に手を振ってから、正樹と共に校長室を後にした。
今の修は、さっきまでの修とは違うんだ。今更、うっかり忘れるはずがありませんよ。
朝食をとる気にもなれず、部屋で時間を潰してからいつもより早めに学校へ向かった。
風に当たれば気分が良くなる、と聞いたことがあったから実行してみたものの、どうやら効果はなかったらしい。
学校に着いたのは、8時丁度。靴を履き替えて、人影もまばらな廊下を歩いて教室に向かう。だが、階段を上ったところで生徒指導担当とかいう先生に捕まり、襟をつかまれ職員室に連行された。
原因は、まあ昨日のこと。で、今は――
「だからお前は駄目なんだ!」
職員室の真ん中に位置する生徒指導担当の先生の机で、説教されている。かれこれ、十分は過ぎただろうか。
しかも、この間に隣に座っていた女の先生まで参加してきて、二対一になった。
「ちょっと、鈴橋くん。聞いていますかっ?」
「はいはい。聞いてます」
「鈴橋! なんだその態度は! はい、は一回だ!」
「……はい」
正直、話を聞くのは疲れた。
この人達の口から出てくるのは、余計なことをしてくれたな、的なことばかり。まあ連絡が来てるから仕方ないんだけど、俺の話を聞いてくれてもいいだろうに。
それに、この先生方は人のことを『駄目駄目』言い過ぎな気がする。もう三十回以上はその単語を聞いた。
「はぁ、この歳になって返事もできないなんて……。いつも注意してるでしょ?」
いつもって、何だろう。この先生方とお話するのは今日が始めてなんだけど……。
「はい、すみません」
「まったく。本当に困ったやつだ」
もうこの二人、仕事のストレスを俺にぶつけてるだけじゃないのか? とすら思ってくる。時々、関係のないこと挟んでくるし。
――ところで――。ここの職員室には、3タイプの先生がいることに気がついた。
まず1タイプ目は、珍獣を見るような眼でこっちを見てる先生。2タイプ目は、ちらちらこっちを見ながら、隣の机の先生と談笑する先生。3タイプ目は、不安そうにこっちを見る先生。
1と2は置いておくとして、3の先生は心配してくれているのかもしれない。けど、若いから口出しできないんだろう。この世界も年功序列なのだから。
「あれ~。先生、どうしたんですか?」
ここにきて三人目の先生がやってきた。しかも運が悪いことに、小太り眼鏡で髪を後ろでお団子状にした中年女性。俺達が最も忌み嫌う、去年の英語の先生だ。
やはりこの先生は、たちが悪い。さも知らないを装っているが、すでに薄笑いを浮かべてる。
「ああ先生、実はですね――」
なぜか大きな声で、俺が小学生に手を出した、ということを改めて説明された。自分で言った時は咄嗟だったから気にならなかったけど、人から聞かされるとキツイな。
「ははぁ。そうなんですか」
聞き終えると彼女は、ポジションを俺の右斜めに移す。やはり、本格的に参戦するつもりらしい。
「先生からも何か言ってやってくださいよ」
「そう、ですね……」
顎に手を当てて真剣に考えてるふりしてるけど、眼が笑ってる。この人、確実に楽しんでるよな。
「だから、私はいつも言ってるんです。成績は生活態度と比例するって」
でたよ。それは去年何回も聞いた。
「成績が良い生徒はみんな真面目。授業態度だっていいし、服装の乱れもない。けど、この鈴橋君のように成績が芳しくない人に限ってそんなことするの」
「確かに。その傾向はありますよね」
この人達、裏ではそんなこと思ってたの? そりゃ、成績が良いに越したことないけどさ、成績が悪い人=不良みたいなこと言われても困る。
てか、絶対に間違ってる。成績悪くても良いヤツや、良くても悪いヤツはいた。だから、結局その人次第なんだって。
まあ、成績が良くない俺が言ったら、ひがみにしか聞こえないけど。
「鈴橋君。聞いてます?」
「……はい」
その後も、まだまだ続く。
三人に増えた分、説教パターンも増えた。
……はぁ。あと何分、この拷問は続くのか。何か気を逸らせることはないかと思い、視線を移動させていると、
ピーンポーンパーンポーン
連絡事項を知らせる放送のチャイムが鳴った。とりあえず、これでも聞いておこう。
《二年四組 鈴橋修君は、至急校長室まで来てください》
うあっ、また俺のことだ。しかも校長室!? あでも、ここよりはましかもしれない。
「皆様。お聞きの通り呼ばれましたので、失礼します」
俺は礼をして、さっさと脱出する。背後で、停学かも、という声と笑い声が聞こえたけど、無視しよう。
スタスタ、トコトコ。
先生方の興味の視線を浴びながら職員室を歩き――ふと、妙なことに気がついた。
放送は職員室か放送室にあるマイクを使ってできるんだけど、今回は放送室からだった。
なぜわざわざ放送室を使ったのか? おじさんの声だったから、生徒に頼んだってワケじゃなさそうだし……。何か理由があるのだろうか?
「まあ、いいや」
とりあえず、職員室から出るためにドアを開けた。すると数メートル先の部屋の前――校長室前で俺の担任、坂本先生が仁王立ちしていた。
どうやら先生も呼ばれたみたいで、あ~。こっぴどく怒られるんだろうな。
「お、おはようございます」
「おう。おはよう、鈴橋」
あれ? 今、鈴橋って……。
「ん、どうした?」
「あ、いや……。その、そういえば、校長室に入るのって初めてです」
「そうかそうか。じゃあこの機会に見ておくといい。さあ入れ」
ガラガラと扉を開けてもらったので、先に入ることに。
「失礼しま~――。………………」
職員室に入って、呆然となった。
これは昨日の、再現だろうか。入ってすぐの三人掛けのソファーに、俺のよく知っている女の子達が座っていた。
「愛梨、あや――」
「おにーちゃん!!」
俺が言い終わらないうちに、愛梨が胸に飛び込んできた。
「えっ。愛梨、これは……」
どうして……? 何が起こってるんだ?
「すみません。私達、来てしまいました」
「は? え? どうして――」
「おにーちゃんが、嘘付いてくれて……。愛梨を、庇って、くれたから……」
愛梨の声が、震えていた。そしてシャツ越しに、生暖かい水気が伝わってくる。
「愛梨……」
「あのね、おにーちゃ、が……酷いこと言わ……のは、嫌なの。愛梨もね、違うってお話してもね、信じてくれない……。だから……」
それは、搾り出すような声だった。
「………………」
俺はようやく、俺は馬鹿だと悟った。
自分が良いと思って勝手にやったことで、愛梨を悲しませてしまった。余計に悲しませて、涙を流させてしまった。
まったく……。俺は何やってたんだよ。
「ごめんね。そして、ありがとう」
そっと抱きしめて、空いている右手で頭を撫でた。
「ん~ん、いいの。愛梨も、何もできなくてごめんなさい」
「それこそ、いいんだよ。わざわざ来てくれてありがとうね。それにしてもよく、ここまで来れたね」
「あのね。おにーさんがね……」
おにーさん? おにーさんって……
「僕のことだよ!」
待ってましたとばかりに視界の端で、校長仕様の背もたれが高いイスが回転。ふんぞり返ってイスに座っていたのは、俺の悪友だった。
「正樹……」
「修の気持ちは分かってたんだけどさ、愛梨ちゃんと綾音ちゃんの悲しむ顔見ちゃったらこうするしかないでしょ。余計なお世話かと思ったけど、正解だったみたいだね」
「ああ。サンキュ」
ホント、大正解だよ。そうしてくれなかったら、俺は自己満足で勘違いをしたままだったから。
「ところでどうだい? 似合うでしょ?」
「いや、似合うというか、何で正樹が座ってんの? もしかしてお前、校長の関係者?」
「木本正樹! 誰が座っていいと言った!」
坂本先生に怒鳴られ、しぶしぶ立ち上がる正樹。まあそうですよね。
「先生。ところで、校長先生はどちらに?」
見たところ、校長先生はいませんが。
「ああ、校長先生は放送室だ。俺が頼んで、この部屋を空けていただいた」
放送室……。さっきの放送は校長!?
「な、どうして?」
「いやねー、実はさー。学校に案内したのは僕だけど、ここに入れたのは先生のおかげなんだよね」
「先生が? どうして?」
「それは、な……」
先生が俺の傍までゆっくり歩いてきて、少し間を空けてから、再び口を開いた。
「お前が下手な芝居をうつからだ」
「はっ!? どういうことです!?」
「鈴橋。大変だったな」
ポン。肩にそっと、手を置かれた。
「えっ、ええ!?」
「鈴橋。何を驚いているんだ」
「い、いや……。まさか、そんなこと言われるとは……」
「思ってなかったか」
「はい」
殴られるかも、と思ってたくらいだからね。予想だにしていなかった。
「例の話は、この子達から聞かせてもらった」
「え……。全部、聞いたんですか?」
「ああ。呆れるような内容だったが、評価はするぞ」
再度、今度は強めに肩を叩かれる。
「それはどうも――ってちょっ! 先生は信じてるんですか!?」
「そうだが。それがどうした?」
「いや、だって、さっき職員室では……。殆どの先生は、小学生に手を出したって」
「昨日学校に、連絡があったからな。殆どの先生方の意見は、確かにそうだ」
「でしょ? だったらなんで、俺達みたいな子供のことを信じて……」
「何だ? 違うというのか?」
「いやいやっ。そうその通りなんですけどっ!」
思わず、声が大きくなってしまう。けど、俺には分からない。どうして先生はそこまで信じてくれるんだ?
「……だって、証拠、ないんですよ? なのにどうして」
「…………はぁ。お前は何もわかってないな」
坂本先生は大きなため息を付き、呆れたような顔をした。
「先生?」
「あのな、俺は去年の一年間、担任としてお前を見てきたんだぞ。お前がそんな下らんことをする人間じゃあないことくらい、すぐに分かる。それにな、信じるに子供も大人も関係ない!」
そして言い終えた後、優しい目で微笑んだ。
「…………」
「どうした?」
なんだろう、この気持ち。
なんつーか、嬉しかった。俺を見ててくれたことが、分かってくれてたことが。
初めてだ。今まで生きてきて、先生からこんなこと言われたのは。
やべ。たったこれだけの言葉のはずなのに、涙でそうになってきたぞ……っ。
「………………。ありがとうございます」
これが精一杯の感謝の言葉。月並みだけど、これ以上のこと浮かんでこないや。
「何ガラにもないこと言っているんだ。俺は当然のことをした、言っただけだ。感謝される覚えはないぞ」
「……はい」
先生、ありがとう。
「あの~、ちょっといい雰囲気のところ悪いんだけど。僕、ずっとここにいたから状況が掴めてないんだよね。先生、今どんな感じになってんです?」
「そうだな……。中には、退学、停学、なんてことを仰る方もいるのが現状だ」
「そんな……。おにーちゃん、どうなっちゃうの?」
「どうにか、ならないのでしょうか?」
愛梨と綾音が、先生をじっと見つめる。
「大丈夫。まだ話は終わりじゃないから、心配しなくてもいいんだよ」
二人を安心させるように、笑顔を交えながら話す先生。なんだか、先生の意外な面を見た気がする。背後から「おお、新種のツンデレ!」と聞こえたから、正樹も同じ考えみたいだ。
「でだ。その処遇を決めるために今日の放課後、西美小学校で会議が開かれることになった。向こうは……自称被害者とその母。後は担任と校長、教頭だったか」
なるほど。相手はやる気満々ってことか。
「ほほぅ、修を潰す気だね。で、こっちの先生陣は誰が行くんです?」
「今のところは俺が一人だ。本当は数人で行く予定だったのだが……どの先生方も都合が悪くてな」
珍しく歯切れが悪い。
もう、先生も演技が下手だね。正直に、『味方がいない』って言ってくれていいのに。
「先生。迷惑をかけますが、よろしくお願いします」
せめてもの感謝の気持ちを込めて、頭を下げる。
出来の悪い生徒の尻拭いを、よろしくお願いします。
「ん? 何を言っているんだ。鈴橋、お前も来るんだろう?」
「えっ!?」
俺、も……?
「何だその間抜けな顔は? 自分の無実が証明できる最後の、絶好の機会なんだぞ?」
「はぁ、でも……。俺、呼ばれてないですし……」
「それに関しては先生が責任を持つから、遠慮はするな。お前らしくもない」
「いやぁ……。でも、ですね……」
「さっきから、中途半端な返事ばかりだな。まさかお前は、このままにしておくつもりじゃないだろうな?」
「………………」
すぐに、返事をできなかった。
そりゃあ、俺だって正しいことを言いたい。けど、もう何を言ったってアイツらには無駄なんだ。
「気持ちは有り難いんですけど、もういいんです。俺が何を言ったところで、信じてもらえないですから」
「だっ、ダメだよおにーちゃん! 大丈夫だよ!」
「そうです鈴橋さん。まだ……っ」
「不安なら、僕も一緒に行くけど? また自転車で突っ込んでみる?」
「いいや、気持ちだけ受け取っておくよ。先生。そういうワケなので、すみません」
愛梨達が励ましてくれるけど、ごめん。これでいいんだ。
「…………。周りがこれだけ説得しても、気持ちは変わらないのか?」
「…………はい」
力なく、言葉を返す。
そうすると訪れるのは、静寂。愛梨達は俯いたままで、俺はただただ天井を見ることしかできない。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………なあ」
そんな時間が、一分ほど続いた頃。先生が、その沈黙を破った。
「お前がそういうなら仕方ないが、一つ、これもお前を見ていてずっと言おうと思っていたことがある。それを言っていいか?」
「は、はあ。なんですか?」
視線を天井から先生に移すと、しっかりとこっちを見据えていた。
なん、なんだ……?
「鈴橋。あのな」
「は、はい」
「お前は、すぐに『諦めてしまう』ところがある」
低い声で、ゆっくりと発せられたその言葉。それを聞いた瞬間、俺の全身に鳥肌がたった。
「この前のテストの時もそうだったが、なぜ最後まで足掻いてみせない。なぜそこで終わりにしてしまう。特に今回は、大切なものがかかっているはずだ」
「そ、それは……」
「失敗を――先のことを考えて恐れるのは当然だ。だがな、お前はまだ若い。たまには後先考えずに、全力でぶつかっていく、というのも必要じゃないのか?」
「…………。言うのは、簡単ですよ……」
「そうだ、言うのは簡単だ。だが、諦めてしまうのも簡単なこと。考えがどうであれ、逃げているのだからな」
「俺は逃げてなんか! ……ない」
「ならば、今、一度だけでも、最後まで立ち向かっていけ。ここでやらないと、お前は一生そのままだぞ」
「…………そんなの、分かってますよ。けど……俺は……以前……」
あの時に――小学生の時に、嫌というほど実感したんだ。
「俺はお前に何があったかなんて知らないが、一度や二度失敗したからと言ってそれが絶対ではない! 時は流れている! 日々変わり続けているんだ!」
「………………」
「鈴橋。今、お前の周りには仲間がいるんだぞ? 人間の心理として『きっと同じことになる』という不安があるだろうが、一人で背負い込むな。確かに肝心な部分は自分次第ではあるが、サポートはできる」
「…………。サポート?」
「そうだ。困った時は周り頼れ。この子達、木本もそうだ。それに、俺はお前の担任なんだぞ? お前のことは、最後まで責任を持って見守る。それが先生というものだ。だから、お前の思いを残らずぶつけてみろ! めちゃくちゃにしてみろ! 何度も言うが、後のことは気にするな! 逃げるんじゃないっ! 一度でいいから、自分が納得できるまで向き合ってみろ!!」
先生の言葉一つ一つが、まるで電流のように身体を走っていった。
そうか……。俺は、恐れていたんだ。諦めることでこれ以上、傷つかないようにしていたんだ。
今、それにようやく気が付いた。……いや。実際はあの時から知ってたんだ。けど、気付かないフリをしていた。
そうだ。俺は――あの時のまま、止まっていた。自分の殻に閉じこもって、現実から逃げていた。
愛梨を助けたのだって、ただの自己満足だったのかもしれない。もしかすると、心のどこかに、自分は変わったと自分自身に認めさせたい、気持ちがあったのかもしれない。
なにもかも、先生の言う通りだ。
今回も、形は違えどあの時と同じようになっている。
俺は……。俺は、また繰り返してもいいのか? このまま『諦めて』、『逃げて』しまってのいいのか?
………………その答えは決まってる。
「先生、俺を一発、ぶん殴ってください」
これが、鈴橋修の答えだ。
「おにーちゃん!?」
「鈴橋さん!?」
「……鈴橋。いいのか?」
「はい。遠慮せずに、全力でお願いします」
「………………よし。歯を食い縛れよ、鈴橋っっ!!」
パアン!
そんな乾いた音がした後、左頬に激しい痛みが走った。
当たり所が悪かったのか、目がチカチカする。フラフラもする。
だけど――。スッキリした。
「ひゅー♪ やるねぇ♪」
「おにーちゃん。大丈夫?」
「とても、赤くなっていますが……。大丈夫、ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。……正樹は、余計な反応するなっての」
まったくコイツときたら。嬉しそうに口笛なんか吹きやがって。
「坂本先生。どうもありがとうございました」
「うむ、目が変わったな。ようやく吹っ切れたか」
「はいっ!」
吹っ切れたというか、眼が覚めましたよ。六年間の眠りから。
「よし! それじゃあもう授業が始まるから、鈴橋と木本は教室へ帰れ。俺はこの子達を学校まで送ってくる」
「はい。よろしく頼みます」
「あいよ~。アイアイサーってね」
「決戦は、放課後だからな。うっかり忘れるんじゃないぞ?」
「もちろん、ですよ」
俺は先生に一礼し、愛梨達に手を振ってから、正樹と共に校長室を後にした。
今の修は、さっきまでの修とは違うんだ。今更、うっかり忘れるはずがありませんよ。