「そ、それにしてもこの猫、本当にトシ先輩に似てますよね!」
直ぐに目に入ったマグカップを見て沖田さんに同意を求めるけれど、想像していた答えは返ってこない。
「本当ですよね」なんて可笑しそうに笑う沖田さんの姿を思い浮かべていたけれど――反対に、沖田さんの纏う雰囲気は少しだけ重たくなったように感じられる。
――――数秒、沈黙が室内を支配する。
堪らずに沖田さん、と呼び掛けようとすれば――前髪に隠れて見えなくなっていた飴色の瞳が真っ直ぐに向けられた。
「結月さん……好きな人はいますか?」
「っ、え……突然どうしたんですか?」
“好きな人”
その言葉に、心臓が小さく音を立てる。
「結月さんは……土方さんを好いているんですか?」
――――だけど次に発せられた言葉に、何故かは分からないけれど……先程とは違う痛みを伴って、より大きく心臓が音を立てた。
「……土方さんに恋情を抱いているんじゃないですか?」
恋情――私がトシ先輩に?
突然の話題に呆けてしまう。
だけど言葉の意味を噛み砕いて直ぐに否定の声を上げようとすれば、私が口を開くよりも先に沖田さんの口火が切られた。
「っ、すみません、突然。……少し出てきますね」
「……え、こんな時間にですか?もう遅いですよ。出掛けるならまた明日でも、」
突然立ち上がった沖田さんに驚いて静止の言葉を掛けるけれど、私の言葉も届いていないのか沖田さんの姿はあっという間に視えなくなってしまった。
――沖田さんってば、どうして突然トシ先輩が好きなのかなんて聞いてきたのだろう。
トシ先輩のことはもちろん好きだけれど、それは恋ではない。
私にとって兄の様に慕える存在であり、良い先輩だ。
沖田さんの考えていることが分からなくて何だかモヤモヤしながら、すっかり冷めてしまった紅茶を一口含んだ。
――好きな人、か。
今まで恋人の一人もできたことのない私には、少し難しい話題だ。
幼い頃に初恋は経験済みだけれど、それが本当に恋だったのかと言われると自信を持って頷くこともできない。
でも――沖田さんにトシ先輩が好きだと勘違いされているのは、嫌だなと思う。
……何だろう、この胸いっぱいに広がるモヤモヤとした感じ。
何かが胸につかえているような感覚。
“結月さん……好きな人はいますか?”
沖田さんから聞かれた時、直ぐに脳裏に浮かんだのは――。
……彼のことは好きだけれど、これは恋愛感情なんかじゃないはずだ。
――だって彼は、好きになってはいけない相手、なのだから。
もし好きになったとしても、絶対に届くことはない。触れることもできない。
――――いつか、サヨナラの日はやってくる。
自分に言い聞かせるように残っていた紅茶を一気に飲み干してから、就寝の支度をするために態と勢いをつけてソファから立ち上がった。
「結月さん、おはようございます」
「沖田さん……おはようございます」
「今日はいい天気ですね」と朗らかな笑顔を浮かべる沖田さんは、窓から差し込む光に眩しそうに目を細めている。
――昨日突然家を出て行った沖田さんは、数十分して帰ってきた。
何事もなかったかのような笑顔で「ただいま帰りました」なんて言われてしまえば、話を蒸し返すようなこともできなくて。
結局、私がトシ先輩を好きという誤解も解けていないままだ。
いつも通り二人分の朝食を用意して、私が食べている様子をにこやかに眺めている沖田さんと談笑してから、そのまま共に大学に行く。
サークルに顔を出せばもちろんトシ先輩の姿も見えるけれど、「土方さんってば今日も恐い顔して……もうちょっと愛想よくすればいいのに」なんて言いながら楽しそうに本人の周りをうろうろしたりしている沖田さんは、いつもと変わりないように見える。
あの夜のことは夢だったのではと思うくらいに――――平穏な毎日を過ごしている。
***
今日は久しぶりに壬生寺の方に散策に行くと言って、沖田さんは朝から一人出掛けて行った。
沖田さんの居ない大学での一日に味気なさを感じながら過ごし、最後の講義を終える。
今日はサークルに顔を出す予定もないので真っ直ぐに帰ろうと歩いていれば、前方に見慣れた背中を見つけた。
小走りで近づいて声を掛ければ、目の前の人物の足はピタリと止まる。
「トシ先輩」
「……何だ、立花か」
「何だとはなんですか」
――私に対しての扱いが日に日に雑になっているのを感じるけれど、これも親しくなれている証拠だということで、前向きに受け止めておこうと思う。
隣に並んで駅までの道を歩いていれば、急に視線を彷徨わせたトシ先輩。
私の顔から足元の方まで視線を配ってから、どこか腑に落ちない様子で眉を顰める。
「……今日は居ないのか?」
「居ないって……何のことですか?」
――もしかして、ひか先輩のことだろうか。
トシ先輩との共通の知り合いなんてサークル内の人しか思い浮かばないから、誰のことを指しているのかと一人一人頭に思い浮かべて考えてみる。
「最近いつも一緒にいるだろ。お前にくっついてるヤツ」
――――だけど、返ってきたのは予想外の言葉。
くっついてるヤツって……まさか。
「……トシ先輩、視えてたんですか?」
「ああ」
私の問い掛けに、返ってきたのは肯定の言葉。
「っ、だったら……!」
――だったら、早く言ってくださいよ。あんなに悩まずに済んだのに。
沖田さんと話してください。会って、あの人の寂しさを消してあげてほしい。あの人の後悔が、心残りが少しでもなくなるなら――どうすれば良いのか、一緒に考えてほしい。
頭の中でぐるぐるとたくさんの思いが巡る。
言いたい言葉はたくさんあるけれど何から伝えればいいのか分からなくて、胸でつかえた言の葉は中々音を成さない。
「――悪い、視えてたってのは嘘だ」
「……嘘?」
俯いていた私の頭に大きな掌を乗せたトシ先輩は、「鎌かけさせてもらった」と口にする。
「嘘って……それじゃあ、沖田さんのことは視えてないんですか?」
「ああ。ただまあ、お前と一緒に居る時に変な気配はずっと感じてた。何だか懐かしいような……よくわかんねーけど」
そう言って頭を掻いたトシ先輩は、「悪いな。お前にそんな顔させたくて嘘ついたわけじゃねーんだ」と再び謝罪の言葉を口にした。
「……トシ先輩」
呼び掛ければ、黒曜石のような澄んだ瞳に見つめられる。
「――聞いて欲しいことがあります」
***
あの後、近場のカフェに入った私たち。
そこでトシ先輩に、全てを話した。
――――新選組の沖田総司が幽霊となって私の家に居るということ。
成仏できるように力になりたいということ。
トシ先輩は、土方歳三の生まれ変わりだということ。
私の言葉を笑うことも茶化すようなこともなく真剣に聞いてくれたトシ先輩は、私が話し終えると納得がいったとでもいうように息を漏らした。
「……驚かないんですか?」
「あ?十分驚いてる」
いつもと然して表情が変わっていないように見えるけれど、これでも驚いたらしい。
「……私が言ったこと、信じてくれるんですか?」
「お前はこんな嘘つく奴じゃねーだろ」
もちろん信じてほしいとは思っていたけれど――あまりにもすんなり受け入れてもらえたので、何だか拍子抜けしてしまった。