がたん、ごとんと小さな振動が横隔膜に響く。

 デニムにパーカー、あたたかいダウンを羽織り終電でスタジオに向かう。上りの終電は人がほとんどおらず電車の抜け殻のように感じた。
 ラジオは24時間365日、何かしらの番組を放送しているため、常に局は開いている。はやく、話したい。試したい。今なら──今なら声が出る気がするから。

 ユージさんが残してくれたあの言葉。大切な言葉たち。どうしてあの人は、私のことを何でも知っているのだろうか、遠くにいるはずなのに。あの言葉を収録したのは、私の声が出ていた時のはずなのに。どうしていつも、助けてくれるのはユージさんなんだろう。
 
 局内に入ると、エントランスホールの自販機の前でドリンクを取り出すヒロさんがいた。

「お前……どうした?こんな時間に」

 ヒロさんと直接話すのは久しぶりだった。彼は約束通り、他の仕事の合間にインタビューのロケにも行ってくれていた。あの時、はやく戻ってこいとは言われたものの、その後彼から何か聞かれたことは一度もない。そっけないようで、しっかりと見守ってくれている。ユージさんがいなくなってしまった今、頼れる先輩であるヒロさんの存在は本当にありがたくて、そして心から申し訳なかった。

「練習をしたいと思って」

 どうにかそう言うと、ヒロさんはふと目を細める。

「ココアでいいか?」

 意図がわからずきょとんとすれば、彼はチャリンと自販機にコインを入れホットココアのボタンを押した。

「空いてるスタジオ、俺把握してるから。ついてこい」

 ヒロさんはホットココアを持ったまま、スタスタと廊下を進む。私はその背中を慌ててついて行ったのだった。

 それにしても、ヒロさんこそなぜ今日、こんな時間にここにいるのだろうか。今日はヒロさんの番組の日ではないはずだ。

「あの、ヒロさん……」

 返事はないしヒロさんが振り返ることもない。

「ありがとうございます」

 そうやって言ったって、歩く速度は変わらない。

「私のせいで忙しいのにインタビューまで」

 そのセリフを言った所で、彼はピタリと足を止める。それから左脇にあるスタジオをじっと見つめた。 
 この局には沢山のスタジオがある。廊下からガラスで見えるようになっているものもあれば、窓がないものもある。今私たちが立っているのは、ちょうど窓があり収録の様子が見られるスタジオだった。その中では人気のベテラン女性パーソナリティの大野さんが生放送をしている。
 先日十周年を迎えた大人気深夜番組。物事をばさりばさりと切り捨てる辛辣さと、どんな悩みも笑い飛ばしてくれる明るいトークが人気だ。大野さんとは挨拶くらいしかしたことはないけれど、ポジティブなパワーを感じた。
 ここからではスタジオの中の音は聞こえない。それでも大野さんが楽しそうに大きな口を開けて笑っている姿が見えた。楽しそうだな、羨ましい。私もあんな風に、心から楽しめたらいいのに。

「あの人さ、数日前にお父さんが亡くなったんだ」

 ガラスの向こうには数日前にそんなことが起きたなんて微塵も感じさせない光景が広がっている。

「すげえよな。これがプロってやつなんだよ。心で泣いていても、きちんとあるべき姿を演じきる」

 大野さんから視線を外さず、ヒロさんは静かに話す。心で泣いても、演じきる。心で泣いても、それを見せない。──それがプロ。

「どんな仕事でも同じだよ」

 しんどいよな、と彼は言った。