来栖さんは家の前までわたしを送り届けると、今は考える暇がないのも分かっているから、と言った。ただ気持ちを伝えたくなっただけ、と言われたらイエスともノーとも答えることは出来ない。ただ、ずきずきと心臓がとても痛かった。痒いような、痛いような、泣きたいような。

「仕事のこと、今決めなくてもいいと思う。一緒に考えていこう」

 それから、と彼は念押しをする。

「避けたりするなよ?まあ俺のこと嫌いならしょうがないけど」

 そんな風にわざと拗ねたような顔をしたから、少しだけ笑ってしまう。嫌いなわけない。こんなに優しい人、嫌いになれるわけがなかった。

 部屋に戻りコートを脱げば、煙の匂いが鼻について慌てて消臭のスプレーをふきかけた。それから風呂場に直行する。告白なんてされたのはいつ以来だろう。嬉しくなかったわけじゃない。だけどなんだか現実味がなくて、不思議な感覚だった。シャワーで匂いも消し去れば、この戸惑いやもやもやとしたものも一緒に洗い流してくれるかもしれない。そう思ったのに、匂いは消えても心のもやもやは残ったままだ。
 濡れた髪のままベッドの上で膝を抱える。私は一体、どうしたいんだろう。仕事のこと、来栖さんのこと。もう夢を見る時期は、終わったのかもしれない。仕事も、人間関係も。
 志半ばだとしても、曲がりなりにもパーソナリティの駆け出しとしての経験はできた。恋愛だって……常連客だった彼への想いを断ち切り、DJユージさんへの憧れに統一してから時間は経っていた。

「いつまでも夢ばかりみていないで、現実を生きろってことなのかな……」

 ポツリとこぼれた独り言は、窓ガラスを通過して、寒空へと吸い込まれていく。ごろんと横になった時、目の端に小さな赤が映り込んで私の心臓は大きく揺れる。
 鮮やかに映る綺麗な赤──それはユージさんが最後にくれたお守りだ。肌身離さず持っていたけれど、もう無理かもしれないという思いが生まれてからは部屋に置き去りにしていたものだ。
 ふとそれに手を伸ばす。ユージさんを感じたくて、ぎゅっと手の中で握った時に私は気が付いた。中に何かが入っているということに。全身の血流がどくどくと流れるのを感じる。これって──。
 ごめんなさいと神様に断りを入れ、お守りの紐を解いていく。そのまま掌の上で逆さにすると、コロンとUSBが転がった。急いでパソコンを起動してそれを差し込む。読み込む時間がスローモーションに感じる。目の前の光景はスローなのに、私の心臓は異常な速さで脈を打つ。
 
 これが何かのデータならば、ユージさんからの、何かならば──。

 表示されたたったひとつのファイル。"タピちゃんへ"と書かれた音声ファイルを震える指先で開く。ジジジという電子音の後、軽くマイクを叩く音。すぅっと息を吸い込む音が耳に響いた。