気付けば家を飛び出していた。時刻は深夜1時33分。部屋着にダウンを羽織っただけ。ムートンのブーツに足を押し込んで財布と携帯、そしてあの小さなお守りだけを握りしめて玄関を出た。後ろでお母さんが何か言うのが聞こえたけれど、答える暇もなかった。

 大通りまでひた走る。もう電車は止まっている。とにかく行かなきゃ行かなくちゃ。

 こんな時間なのに無数のライトが私のことを追い越しては吸い込まれていく。雨が降ったらしい。地面は黒く光っていて、そこに車のライトが反射しては消えていった。コンクリートの湿った匂いが鼻について、私は大きく息を吐き出しながら手をあげる。目の前で止まった黒いタクシーの後部座席に私は飛び乗ったのだった。

「BaysideKOKOのスタジオまでお願いします」

 どくどくと嫌な心臓の音が響いてめまいがした。スマホがさっきから手の中で震えている。ディスプレイを見れば、カフェ子からの着信。運転手さんに一言ことわりをいれて、深呼吸をしてから通話ボタンをタップした。

「ねえ!ユージさん!!どういうことなの!?」

 電話の向こうでカフェ子がどんな顔をしているか、容易に想像できる。後ろでは、どうなってんだよ、ネットでも詳しいこと書いてねえよと焦るキラキラさんの声も聞こえた。ユージさんが番組のエンディングぎりぎりで番組終了のお知らせをしたため、リスナーたちによってネットで大きな騒ぎになっているらしい。

「わかんない。だから今から、行ってくる」

 カフェ子に話す声が小さく震えてしまって、もう一度わたしは大きく深呼吸をした。
 番組が終わってしまう。それは何を指すのだろうか。あの番組はとても人気でいつも高い数字をとっていた。局側からの打ち切りなんて絶対にありえない。

 別の番組をリスタートする?
 別の局で番組を持つことになった?
 それとも──

 嫌な想像に頭をぶんぶんと振った。そんなわけがない。あれだけ実力のあるパーソナリティなんだから──絶対にこれからも、番組や局が変わったって、パーソナリティとして人と人を繋ぎ続けるに決まっている。
 絶対そうに、決まっている。


「お客さん、着きましたよ。」

 深夜のラジオ局の前。お釣りはいりませんと言って、わたしはタクシーから飛び降りる。
 人気のないエントランスは、電気も3割ほどしかついていない。1人になった警備員さんに入館証を見せてエレベーターホールへと進むも、どのエレベーターも上階に停まったままで動く気配がない。ミッドナイトスターのスタジオは5階だ。私は我慢できずに階段を駆け上がった。

「お前……」

 勢いよく階段の扉を開けば、ちょうどそこにいたヒロさんと出くわす。

「ユージさんっ……ユージさんはどこですか!?」

 階段を駆け上がった私の息はうまく言葉も紡げない。気を抜けば泣き出してしまいそうになる自分を奮い立たせ、わたしは強く唇を噛む。ヒロさんは眉を寄せたあと、しばらくこちらを見つめると「よし」と小さく呟い私の手首をつかんだ。

「来い」


 ヒロさんに連れられたのは地下駐車場。わたしは彼の背の高い車の助手席に押し込まれていた。質問なんて、何も出来ていない。それでもヒロさんが、誰のもとへ向かおうとしているのかだけは分かった。

「しっかりシートベルト締めろよ」

 カチッとそれをセットすれば、目視で確認した彼はアクセルを踏み込んだ。



「……本当は、お前には黙っててほしいって言われてたんだ」

 深夜の高速道路をヒロさんはものすごいスピードで駆け抜けていく。もう酸素は足りているはずなのに、呼吸はきちんとできるのに、心臓だけはバクバクバクと変わらずに騒ぎ続ける。息苦しくなった私は小さく窓を開けた。

「ユージさん、アメリカに行くんだよ」

 ひっ、と喉の奥から声にならない息が漏れた気がした。アメリカに、行く──?

「早朝の便だから、生放送終わった後そのまま向かった。多分、まだ、間に合うと思う……」

 ギリギリのスピードで、車は空の玄関口へと滑り込む。エントランスで私を降ろすと、ヒロさんは窓を開けた。

「駐車場で待っててやるから。早く会いに行って来い」
「ヒロさん……ありがとうございます……」

 いいから早く行けと手で払われた私は、空港の中へ吸い込まれるように駆け出したのだった。