拓海に特殊な能力はない。だけど西松のことを恐れない以外に、普通の人とは違う面がある。
 西松はこれまで数万人以上の人の思考を覗いてきた。同じ人間はいないけれど、同じような考え方をする人間が多いことに気づいた。
 結局みんな、他人に合わせ、他人に流されるのを好んでいる。色々なことに反発を覚えながら、一般論に敏感だった。
 拓海もやっぱり他人を気にしてはいるものの、他人とは違う使命を抱いている。
 たぶん最初からそうだったわけじゃない。
 鈴が能力に目覚めてから、西松に出会ってから、拓海の人生は大きく変わってしまった。
 西松はそのことにちょっとだけ責任を感じていて、だからこそ気をつけなければいけないと考えていた。

「勉強、俺が見てやろうか?」

「冗談ですよね?」

「冗談じゃねぇよ。俺の学生時代の成績は常にトップレベルだったんだぜ」

「そりゃあクラスで一番優秀な人の頭の中を覗けば楽勝でしょうね」

「そんな卑怯な真似はしてねぇよ。俺だって勉強を頑張ることでなにかを変えようと思った時期があったんだ。自分のために、真面目に勉強していたんだよ」

「もしかして、西松さんもその能力の原因を調べようとしていたんですか?」

「そうだよ」

「なんで諦めたんですか?」

「知らないほうが幸せなこともあるって気づいたからだ」

 鈴や拓海が、もしもその能力と無関係でいられたら。二人は今頃同年代の友人と遊び、やっぱり将来のことで悩んでいたのかもしれない。
 西松も思う。もしも自分にこんな力がなかったら、今頃どこでなにをしていただろうか。
 もしものことなんて、これまで何度も考えてきた。だけど何度考えたって意味がなかった。

 鈴はもう目覚めて、拓海は知ってしまったのだ。そして心配なのは二人だけじゃない。
 スタートが流行り始めて新しい能力に目覚めた人間は他にもいた。西松は目覚めに気づく度に、その人間に軽く声をかけていた。多くはなんとかやっているようで、鈴ほど追いつめられた人間は今のところいない。だから鈴が意識不明になっていると聞いた時は驚いた。
 なんとか力になりたいと思って拓海につきまとい、結果的になんとかなった。拓海のことも、なんとかなればいいと思って、だけどどうしても不安になってしまう。
 西松はいつも自分の無力さを痛感していた。こんな力があってもどうにもならないと思っている。一方、力がなくなった時の自分はそれこそなんの意味のない人間になってしまうような気がしていた。だからこそ能力を消そうとする拓海の考えに動揺してしまった。たとえ鈴のためだとして、拓海のこれからの動きでなにかが大きく変わる可能性がある。

 知るのは怖い。手放すのも怖い。

 不安定なのは拓海や鈴だけじゃなくて、西松は自分自身の危うさを自覚している。誤魔化しているつもりはないけれど、誰もそれに気づかない。思考を読まれてしまうのは恐ろしいことかもしれない。だけど西松は、時々思考を読まれる側の人間にもなってみたかった。

「それで、最近鈴はどうなんだよ」

「毎日ちゃんと学校に行っていますよ」

 西松が話題を切り替えると、拓海は素早く瞬きをして答えた。

「いじめの気配は?」

「今のところないですね。鈴のクラスメートの石神知恵の情報によると、クラスで鈴は恐れられる立場になっているそうです。だから誰も手を出そうとしない。教師さえも鈴の機嫌をうかがっているって」

「強気なのはいいが、やり過ぎるのはよくないな」

「俺もそう思います。クラスメートは鈴がどこかおかしいことに気づいてしまっているものの、実際に存在している能力のことはまだ知らない。今鈴は三年生で、もう直ぐ受験です。卒業までなにも起こらなければいいんですけど」

「本人がどうしたいのかが問題だ。一度面談をする必要があるな。今度鈴をここに呼べよ」

「呼んだところで素直に来るかどうかわかりません」

「あいつ、まだ俺にビビってるのかよ」

「西松さんのことは信頼しているって言っていました。だけど怖いものは怖いそうです。なんか最近は俺のことも怖がっているみたいなんですよ。なんで俺は西松さんといられて平気なのか意味がわからないと言われました」

 こっちのほうこそ意味がわからないしと、拓海は首を傾げて言う。西松には鈴の気持ちもわかるような気がして、増々鈴と話をしたくなった。

「ほんと、なんでお前は平気なんだよ。普通に怖いだろ。全部知られてしまうのは」

「俺だって、平気なわけじゃないですよ。なんでも知られるのは正直キモいです。ただ知られるだけならまだしも西松さんはそれをネタにからかってくるし最悪です。ただ、なにがなんでも知られたくない秘密はないからなんとかやっていけるんだろうと思います」

 西松はキモいとか最悪だとか言われたことに若干苛立った。ただ拓海が自分を怖がらない原因に納得できてしまったので怒らなかった。

「とにかく今度いつ鈴が事務所に来るかはわかりません。でも鈴に手紙を書けと言いました。だからそのうち事務所に鈴からの手紙が届くと思います。どうか適当に返事をしてやってください」

「手紙か。届くのは数日後かな」

「西松さんが携帯を持っていればスタートでいくらでも相談できるはずなんですけどね」

 拓海はチラチラと西松に視線を送る。西松に携帯電話を持たせたいらしい。父親も秋山も西松に携帯電話を持たせることを勧めていた。だけど西松は必要性を感じていなくて、今後持つつもりもなかった。

「なんで頑なに携帯を持たないんですか? 携帯を持つと体調が悪くなったりするんですか?」

「別に。俺にはスタートの声は聞こえないし、持って身体に不調が出ることはねぇよ」

「えっ。いつもなんでもわかっているような顔をしていたから、普通に聞こえているんだと思っていました」

「スタートで届いたメッセージを読む時や、メッセージを作る時、たいていの人間は文章を心の中で復唱している。俺が読んでいるのはそっちだよ」

「じゃあ相手が離れたところからメッセージを送っていたら、そのメッセージを直接目にしない限り内容はわからないってことですか?」

「あるいは受け取った人間が近くにいればわかる」

「電話だったらどうですか? 電話越しに相手の思考を覗くことはできないんですか?」

「距離によりだって言っただろ。例えば拓海が家から事務所に電話をかけた時、俺は拓海の思考を覗けない」

「マジか。帰ったら鈴に教えてやろう。電話越しでならば気軽に西松さんと会話ができるってことですよね。だったら手紙を書く必要もなくなります」

 良いことを聞いたと、拓海は笑顔を浮かべる。今後増々携帯電話を持つことを勧めてきそうで、西松は教えたことを少し後悔した。

「だからってくだらない用件で電話をかけてくるなよ。俺だって暇じゃないんだ」

 拓海は、はいはいと適当に相槌を打って掃除に取りかかった。