「え?」


 花菜の質問に答えると、彼女の反応には構わずに、敦大はまた前を向いて歩き出した。
 何か、誰にも聞かれたくない事でもあるのだろうか。それは彼女への不満なのか、それとも何かの相談なのか。
 もしも悩みの相談であるのならば、力になってあげたいと花菜は思うのだけれど。


 暫く歩いていくと、どこへ向かっているのか分かってきた。
 約一ヶ月前に花見をした、あの公園だった。

 雨のせいか、今日は人気がない。芝生の周りの坂を登り、二人で遊歩道を歩いていく。今は若葉を纏った桜の木が並んでいるだけだ。

 目的の場所に着いても、敦大は黙って歩いているだけだ。彼は彼女に用があったのではないのだろうか。


「あの、この前はごめんね。突然木に登り始めちゃって。一緒に歩くの恥ずかしくなっちゃったんだよね?」


 出来れば明るい雰囲気で話したいと思い、花菜は笑顔で話した。


「駄目だよね~。私って、昔から空気が読めないって言うか。気を付けてるつもりなんだけどね」


 すると、少し先を歩いていた敦大は、足を止めて花菜に向き直り、彼女に少し近付いてきた。

 同じ高さの視線が重なる。


「なんで笑うんだよ」

「え……?」


 この前も言っていた言葉。あの時と同じように、それは静かに響く。


「無理して笑わなくてもいいんじゃねぇの」


 彼の目元に少しだけかかる髪がさらりと揺れた。


「最近はいつ泣いた?」


(え――)


「ちゃんと泣けたのかよ」


 目の前の真っ直ぐな眼差しが、花菜の中のあるものを暴こうとする。

 彼女が一生懸命に隠していたもの。掘り起こしてほしくないものを、彼の澄んだ瞳が引っ張り出そうとしている。


「やめて……」

「俺たちは、どうしてやったらいい?」


 その眼差しは、花菜が昔に知っていたものとは比べ物にならないほどに大人になってしまっていて、彼女はどうしたらいいのか解らなくなってしまった。


「やめてよ……っ」


 何の前触れもなく突然に溢れ出る涙。ずっと我慢していたのに。

 泣いている暇なんて無かったのだ。

 状況を飲み込めないまま葬儀が終わり、すぐに引っ越しが決まった。
 一人でも生きていけるように強くならなければと思った。そうなると、心に誓った。
 泣いている暇なんて、花菜には無かったのだ。


「……っ」

「……」


 ぱらぱらと傘を打ち付ける雨音がやけに大きく聴こえる。
 この涙をどうしたらいいのか、どうやって止めたらいいのか、もう……。


「ごめん、なんか、こんな、年下の前で泣くなんて、格好悪いよね」


 花菜は涙を拭いながら、なんとか無理やり笑ってみせる。


「何だよそれ! じゃあ、兄貴の前でなら泣いたわけ?」


 いらだったような敦大の声が近付いたかと思うと、彼は傘を持つ彼女の腕を強く引き寄せた。
 彼の顔がぐっと近付く。


「すっきりするまで泣けばいいだろ! 隠しててやるから!」

「あっくん……」

「泣けよ! 毎日毎日、変な顔で笑いやがって! こっちは笑えねぇって言ってんだろ!」


 そんなに酷い顔をしていたのだろうか。
 みんなはどんな思いで自分に接していたのだろう。


「そういうの遠慮するなよな! もう家族の一員なんだし。泣きたい時は泣けばいいし、怒りたい時は怒ればいい。俺は、平瀬家の人間は、全部を受け止めてやるから」


 その言葉に瞼の熱が上昇した。


「私……っ、どうしたらいいのか……っ」


 この不安を、どこにぶつけたらいいのか解らなかった。
 どこなら許されるのか知りたくて、きっと、ずっと探していたのだ。

 花菜は、見知らぬ場所で迷子になった幼い子供のように泣いた。心の中に渦巻く不安を全て吐き出すように、力一杯、体中で泣いていた。


「なあ、気が済むまで泣いたら、また昔みたいに笑えよな……」


 彼の腕にしがみついて泣いていた時、そんな言葉が聞こえた気がした。