その日の夜は歩けない花菜に気を遣って、敦子がログハウスまで夕飯を運んでくれた。花菜の分と、敦大の分。それから敬也の分だ。


「病院の先生からは、なるべく安静にって言われたんだよね。何かあったら、夜中でも遠慮しないで呼んでね」


 敬也が花菜に穏やかに言った。


「ありがとう」


 花菜は笑顔で返すとケーキを口へ運ぶ。
 もちろん、夜中に他人様を呼び出すようなことをするつもりはない。


「兄貴は明日、午前中からバイトでしょ。ちゃんと寝ておいた方がいいんじゃないの? 俺は明日は別に何も用事ないけど」


「敦大はおんぶしか出来ないでしょう? 横抱きの方が足首に負担がかからないんだよ。それに、睡眠時間が少しくらい減ったってまだ動けるよ。一体、僕をいくつだと思ってるの? 年寄り扱いしないの」


 いつもの見慣れた軽い口喧嘩(くちげんか)だ。
 喧嘩と言っても、敬也の方は敦大の言葉をさらりと受け流す程度なのだが。


「あ、花菜ちゃん、口元に少しクリームが付いてるよ」


 そう言うと、敬也はテーブルにあるティッシュボックスから中身を一枚引き出して、あいている方の手を花菜の顎先(あごさき)に添えた。
 彼の優しい眼差しがこちらへ向けられる。


「じっとしてて」


 敬也の指が花菜の口元に()れた瞬間、その手を(さえぎ)るように、横から紙の束が彼女の口元へと押し付けられた。


「自分で()けば? 兄貴もさ、ちょっと俺たちのこと子供扱いしすぎじゃない?」


 花菜が口元に押し付けられた紙の束を受け取って見ると、それはティッシュが何枚も鷲掴(わしづか)みにされた物だった。
 敬也が敦大へ向き直る。


「僕は花菜ちゃんを子供扱いなんてしていないよ。ちゃんと女の子として可愛いと思っているから、甘やかしたくなるだけ」

「兄貴、それって、やっぱり……」

「さてと、そろそろ食器を片付けようか。敦大も手伝って。まだここに居るのなら、冬休みに入ったとはいえ、あまり遅くならないように」

「わかってるよ」


 敦大の返事を聞くと、敬也は食器やコップなどをお盆に載せて、慎重にログハウスから出て行った。


「……」

「……」


 急に静かになったせいか、敦大が食器を重ねる音が大きく感じる。


「大晦日」

「え?」


 ふと、敦大の手が止まる。


「返事って何?」

「え……」

「……」

「……」


 部屋中に、息苦しくなるような沈黙が流れた。


「……他人(ひと)には言えない事なんだ」

「言えないというか、言いにくいというか……」

「ま、俺には関係ないもんね」


 そう言うと、敦大は食器を持って足早にログハウスを出ていってしまった。

 胸の奥を強く締め上げられるような感覚。(しばら)くの間、その感覚が花菜の胸から消えなかった。