「ごめん、もうしないから。だから、もう放して」


 あまりにも速い鼓動に、倒れてしまうのではないかと頭の隅で思う。


「放して、あっくん」

「〝あっくん〟も、もうやめてよ」

「……敦大くん」

「……」


 すると、ゆっくりと身体が解放された。
 彼はもう彼女を見ていない。敦大は少し(うつむ)きかげんで離れると、ガスコンロまで歩いて行って火を止めた。
 そしてそのまま花菜を見ずに、小さく口を開いた。


「突然抱きしめたりして、悪かった」


 そう言うと、少し早足で入口まで行ってドアを開けた。
 その瞬間、ログハウス内に強風が入り込みカーテンを大きく揺らす。
 すでに外は豪雨に見舞われている。


「ごめん、何かあったら呼んで」


 敦大は俯いたままでそう言い残すと、この部屋から出て行ってしまった。


「……」


 一体、自分の身に何が起こったというのだろうか。花菜は先程までの自分たちを思い返す。

 自然と吸い寄せられてしまう、苦しくなるくらいに綺麗な瞳。
 力強く掴まれた腕、体温を感じた胸と、そしてしっかりと背中に回された腕の感覚。

 顔へと集まる熱が再びぶり返した。花菜は(しばら)くの間、まるで体が固まってしまったかのように、その場に立ち尽くした。






 思いきり玄関のドアを閉めた。
 ほんの数メートルを走っただけなのに、頭はおろか、服も足元もびしょ濡れになってしまった。


「何やってんだよ、俺。でも……」


 限界だった。

 こんなに想っているのに、花菜は全く自分のことを恋愛対象に見てくれてはいない。
 彼女を困らせたくはないのに、思わず腕をつかんで抱き締めてしまった。
 早く振り向かせなければ、誰かに奪われてしまうのではないかと焦ってしまう。
 花菜を絶対に誰にも渡したくない。

 絶対に。


「これじゃ、子供扱いされたって仕方ねぇよな。ったく、なに困らせてんだよ……」


 敦大は自嘲気味に微笑(わら)う。

 ふと、花菜が言った言葉が脳裏(のうり)をよぎった。


〝大丈夫だよ。私はいつまでも、あっくんのお姉さんでいてあげるから。昔みたいに、いつでも甘えてきていいんだよ?〟


「……甘える、か……」


 彼女は甘えてもいいと言った。だったら――。


「……」


 無理に敬也と並ぼうとする必要なんてないじゃないか。
 自分には自分専用の武器があった。
 どうして今まで気が付かなかったのだろうか。


「花菜、その言葉、後悔するなよ?」


 敦大は心を決めると、靴下を脱いで家へ上がり、洗濯機がある脱衣所へと足を向けた。