翌朝、いつものように5時に起きて、受験勉強をするが一向に頭に入ってこない。
 このまま勉強を続けても意味がないと思い、勉強をやめて、本棚にある本を取り出して読んだりしてみるが、本を読んでいても集中できずに何度も同じところを読んでしまう。

 本を読むのも諦めて、重い気持ちのままダイニングに下りていく。
「おはよう」
 朝食の用意をしている母さんに声をかけた。

「おはよう。どうしたの。なんだか顔が暗いわよ。何かあったの?」
 母さんが僕の顔を見るなり言った。
「別に。寝不足かな」
「本当に?」
「うん」
「だったらいいんだけど」
 母さんはまだ心配そうに僕の顔を見ている。

「本当に大丈夫だから」
 母さんを安心させるために作り笑いをした。
 石野さんは僕の話をちゃんと聞いてくれるだろうか。
そもそも石野さんってどんな子だろう。ヒステリックに叫ばれたり、泣かれたりしたらどうしようとかいろいろなことを思い浮かべてしまう。

「どうしたの? ぼーっとして。やっぱり何かあるの?」
 ご飯茶碗を持って食べずにボーっとしている僕を見て、母さんが心配そうな顔をする。
「ちょっと学校でやらないといけないことがあるから、それが気になってただけだよ。大丈夫だから心配しないでいいよ」
「そう? 何かあるんだったらちゃんと相談してよ」
「わかっているよ」
 あんなことを引き受けるんじゃなかったと後悔しながらご飯を食べて、家を出た。


 午前中の授業は平穏に終わり、昼休みになった。
 石野さんは今日が当番だ。
 休み時間は短いので教室の移動があったりして話す時間がないかもしれないし、トイレに行ったりして席にいないかもしれないから、石野さんに話をしに行くなら昼休みしかない。

 だが、僕はなかなか立ち上がることができなかった。
「どうしたんだ? 早く行かないと食堂いっぱいになるぜ」
紀夫が声をかけてくる。
 僕はいつも昼食は食堂に食べに行く。うちの学校の食堂は安くてボリュームがあり、味もそこそこいいので弁当を持って来ずに食堂で食べる生徒が多い。
 そのため、ちょっと出遅れると並んで相当待たないといけない。
 これまでは一緒に食堂で食べていた紀夫だが、カノジョができてからは、カノジョが弁当を作ってきてくれるので、カノジョといつも一緒にどこかで食べている。

「うん。ちょっと用事があって先にそれを済ませないといけないから」
「だったら、早く済ませた方がいいんじゃないか。昼飯を食う時間がなくなるぜ」
「そうだな。紀夫、石野さんって知ってるか?」
 紀夫は友達が多い。ひょっとしたら石野さんの情報を何か持っているかもしれないと思った。
「石野って、D組のか?」
 僕が頷くと、紀夫の顔が歪んだ。

「直接は知らないが、性格は最悪らしいな。評判悪いぞ。特に、女子に。なんだ石野に用事か? 告りにいくのか?」
 物珍しそうに僕の顔を見る。
「まさか。石野さんは図書委員だからそのことでちょっと話があって……」
「そうか。まあ気をつけてな。あっ、来た。飯食ってくるわ」
 紀夫のカノジョが入口で手を振っているのが見えた。

 なんだ『気をつけてな』というのは?
 石野さんは凶暴そうには見えなかったが、凶暴なのか?
 いきなり噛み付かれたり、殴られたりするのか?
 僕はますます気が重くなっていく。
 なんとか決心をして、やっとの思いで立ち上がると、教室を出た。

 僕は文句を言ったり、突っ込んだり、愚痴ったりするが、それはあくまでも心の中だけで、実際に口に出して言うことはない。
 平和主義者だ。人と喧嘩したり、争ったりしたくない。
 僕が我慢して済むことなら我慢することにしている。
 そして、女子と話すのはすごく苦手だ。話さなくて済むなら話したくない。
 この役目に一番不適任だと思うんだが。

 グズグズと頭の中で色々考えているので、足がなかなか前に進まない。
 A組からD組に行くまでにとてつもない時間がかかってしまった。
 やっとのことで、D組の前に立つ。
 できれば石野さんが昼ご飯を食べに行って席にいないでほしい。
 そうすれば、会えなかったという言い訳ができる。