四月になり、僕は大学生になった。
大学は高校と違って全て自己責任だ。
時間割も自分で作り、時間管理も全部自分でやる。次の授業がどこでやるかの指示はなく、全て掲示物などを見て動く。
大学生活には、なかなか慣れず、苦労したが、5月の連休明けには少し慣れてきて、少ないが友達もできた。
5月の終わりになると、僕はバイトをするようになった。
ずっとしたかった書店のバイトだ。
レジをしたり、新しく送られてきた本を並べたり、期間の過ぎた本を送り返したり、店内を掃除したりとかなり忙しい。
コンビニでバイトをした経験が多少役に立つ。
高校の時の図書委員と違い、本を読むことなどはできないが、本に携わる仕事ができて嬉しかった。
バイトでもらったお金は昼食代や本代、滅多には行かないが友達との飲食代に使い、残ったお金は貯金した。
樹里に会いにアメリカへ行くための貯金だ。
僕は初めてのバイト代をもらった時、両親と一緒に樹里が連れて行ってくれたあのフレンチレストランに行った。
本当は紹介者がいないとダメなんだそうだが、樹里と一緒に来たことがあるのをスタッフの人が覚えていてくれて特別に入ることができた。
僕はさらに図々しくも、もし樹里のお兄さんが来たら、樹里に会いたがっていると伝えてもらえないかと頼んだ。
スタッフの人は最初は渋っていたが、最後は根負けして、もし、樹里のお兄さんが来たら伝えるだけは伝えてくれると言ってくれた。
スタッフの人に頼んでからもなんの連絡もなく、やはり無理だったかと諦めかけた夏休みも終わろうとする9月の終わりに思いかけない人が家を尋ねて来た。
バイトが終わり、家に帰って、玄関に入ると、母さんと女性の笑い声が聞こえてくる。
玄関には黒いハイヒールがあった。
誰だろうと思い、ダイニングに入ると、腰まである黒髪の女の人の後姿が目に入ってきた。
「あら、隆司、お帰り」
母さんが言うと、その黒髪の女性が振り返った。
高津アンナさんだ。
「アンナさん、どうしたんですか? 日本にはいつ?」
「昨日、日本に来たところです」
相変わらず綺麗なソプラノの声で囁くように言う。
「せっかく、アンナさんが来てくれたから腕によりをかけて、夕食を作るわ。ちょっと買い物に行ってくる」
母さんは買い物に行ってしまう。
ひどいよ。二人っきりにするなんて。
アンナさんは俯いて何も喋らない。
「アンナさんは何かご用事で日本に来られたんですか?」
沈黙に耐えかねて僕は口を開いた。
「はい。隆司さんが私に会いたがっていると聞いたので」
囁くような小さな声だったので聞き間違いかと思った。
「僕が? アンナさんにですか?」
アンナさんは頷く。
そんなことを言った覚えがない。
「誰から聞いたんですか」
「『Avec Plaisir』の店長から隆司さんが私に会いたいと言っていると兄が聞いて、兄から連絡があったんです」
「ええー?」
僕はアンナさんのお兄さんを知らない。どうして店長はお兄さんにそんなことを言うんだ。
店長は樹里のお兄さんとアンナさんのお兄さんを間違えたのか?
「なにかの間違いでは? 僕はそんなことを言っていません」
「隆司さん、ひどいわ。私のことを忘れられない。離したくないって言ってたくせに。ひどい」
「そんなこと……」
僕は頭がおかしくなったのだろうか? アンナさんにそんなことを言った覚えも記憶もない。
初めて会ったあの日、僕ははっきりと断ったはずだ。
「ウフフ」
突然、アンナさんが笑い出した。
「まだ分からないの、隆司。相変わらず鈍いわね」
アンナさんの口から懐かしい樹里の低い声が聞こえた。
僕は驚いてアンナさんの顔を見る。
「私のことを忘れたの? 冷たいわね。隆司」
樹里が何か良からぬことが思いついた時にするニヤニヤした笑いと同じ笑いが頭を上げたアンナさんの顔に浮かんでいる。
「まさか。樹里?」
僕は信じられない思いで、アンナさんの顔を見た。
大学は高校と違って全て自己責任だ。
時間割も自分で作り、時間管理も全部自分でやる。次の授業がどこでやるかの指示はなく、全て掲示物などを見て動く。
大学生活には、なかなか慣れず、苦労したが、5月の連休明けには少し慣れてきて、少ないが友達もできた。
5月の終わりになると、僕はバイトをするようになった。
ずっとしたかった書店のバイトだ。
レジをしたり、新しく送られてきた本を並べたり、期間の過ぎた本を送り返したり、店内を掃除したりとかなり忙しい。
コンビニでバイトをした経験が多少役に立つ。
高校の時の図書委員と違い、本を読むことなどはできないが、本に携わる仕事ができて嬉しかった。
バイトでもらったお金は昼食代や本代、滅多には行かないが友達との飲食代に使い、残ったお金は貯金した。
樹里に会いにアメリカへ行くための貯金だ。
僕は初めてのバイト代をもらった時、両親と一緒に樹里が連れて行ってくれたあのフレンチレストランに行った。
本当は紹介者がいないとダメなんだそうだが、樹里と一緒に来たことがあるのをスタッフの人が覚えていてくれて特別に入ることができた。
僕はさらに図々しくも、もし樹里のお兄さんが来たら、樹里に会いたがっていると伝えてもらえないかと頼んだ。
スタッフの人は最初は渋っていたが、最後は根負けして、もし、樹里のお兄さんが来たら伝えるだけは伝えてくれると言ってくれた。
スタッフの人に頼んでからもなんの連絡もなく、やはり無理だったかと諦めかけた夏休みも終わろうとする9月の終わりに思いかけない人が家を尋ねて来た。
バイトが終わり、家に帰って、玄関に入ると、母さんと女性の笑い声が聞こえてくる。
玄関には黒いハイヒールがあった。
誰だろうと思い、ダイニングに入ると、腰まである黒髪の女の人の後姿が目に入ってきた。
「あら、隆司、お帰り」
母さんが言うと、その黒髪の女性が振り返った。
高津アンナさんだ。
「アンナさん、どうしたんですか? 日本にはいつ?」
「昨日、日本に来たところです」
相変わらず綺麗なソプラノの声で囁くように言う。
「せっかく、アンナさんが来てくれたから腕によりをかけて、夕食を作るわ。ちょっと買い物に行ってくる」
母さんは買い物に行ってしまう。
ひどいよ。二人っきりにするなんて。
アンナさんは俯いて何も喋らない。
「アンナさんは何かご用事で日本に来られたんですか?」
沈黙に耐えかねて僕は口を開いた。
「はい。隆司さんが私に会いたがっていると聞いたので」
囁くような小さな声だったので聞き間違いかと思った。
「僕が? アンナさんにですか?」
アンナさんは頷く。
そんなことを言った覚えがない。
「誰から聞いたんですか」
「『Avec Plaisir』の店長から隆司さんが私に会いたいと言っていると兄が聞いて、兄から連絡があったんです」
「ええー?」
僕はアンナさんのお兄さんを知らない。どうして店長はお兄さんにそんなことを言うんだ。
店長は樹里のお兄さんとアンナさんのお兄さんを間違えたのか?
「なにかの間違いでは? 僕はそんなことを言っていません」
「隆司さん、ひどいわ。私のことを忘れられない。離したくないって言ってたくせに。ひどい」
「そんなこと……」
僕は頭がおかしくなったのだろうか? アンナさんにそんなことを言った覚えも記憶もない。
初めて会ったあの日、僕ははっきりと断ったはずだ。
「ウフフ」
突然、アンナさんが笑い出した。
「まだ分からないの、隆司。相変わらず鈍いわね」
アンナさんの口から懐かしい樹里の低い声が聞こえた。
僕は驚いてアンナさんの顔を見る。
「私のことを忘れたの? 冷たいわね。隆司」
樹里が何か良からぬことが思いついた時にするニヤニヤした笑いと同じ笑いが頭を上げたアンナさんの顔に浮かんでいる。
「まさか。樹里?」
僕は信じられない思いで、アンナさんの顔を見た。