日比谷公園は桜はまだ完全には咲いていないが、チューリップが咲いていて綺麗だった。
 しばらく歩いて、着物であまり長く歩くのも大変だろうと思い、ベンチに座ることにする。
「座りましょうか」
「はい」
 ハンカチを広げてベンチに敷く。
「ご親切にありがとうございます」
 アンナさんが座った。
 アンナさんはあまり喋らない。
こちらが話しかけないとずっと黙っていそうだ。

「アンナさんは何かクラブをしてたんですか?」
「中学の時には、演劇部に入ってました」
「演劇ですか?」
 大人しい感じのアンナさんが舞台の上で、大声でセリフを言っている姿が思い浮かばない。
「はい。自分と全然違う性格の人を演じたりするのは楽しいかったです」
「そうですか」
 そういうことを俳優が言っているのを聞いたことがある。
「高校ではしなかったんですか?」
「高校ですか? 私は高校には行ってません」
 不思議そうな顔で僕を見る。
「えっ? でも、アンナさんのお父さんからの手紙に今年の春、高校を卒業すると書いてあったと聞いていますが……」
 アンナさんは中学を卒業してから働いたのか? 家は相当金持ちみたいだけど。

「私は高校には行かず、飛び級で大学に入って、今は専門課程を勉強しています。父がそんなことを手紙に書いたとしたら、何か書き間違いをしたんじゃないでしょうか」
 アンナさんは首を捻る。
娘の学校を間違えるなんてどんな勘違いだろう。
「アンナさんは優秀なんですね」
 高校に行かずに大学へ行くなんて凄い。
「アメリカでは飛び級する人はわりといますよ」
 そういえば、樹里のお兄さんも飛び級をしたと言ってたな。

「大学では、何を勉強されているんですか?」
「法律を勉強しています。隆司さんは大学に行くんですか?」
「ええ。行きます」
「何を勉強されるんですか?」
「妖怪です」
 外国暮らしのアンナさんに妖怪がわかるか少し不安だった。

「ああ。座敷わらしとかあずきとぎとかのことですよね」
「妖怪のことを知っているんですか?」
「アメリカでも日本のアニメをやっていますから、小学生の時にアニメで見たことがあります」
 日本のアニメはすごいと思った。
「どういうことを勉強するんですか?」
「妖怪がなぜ日本で生まれたのかとか、妖怪が日本の社会においてどうして必要だったのかということを研究したいと思っています」
「民俗学ですか?」
「はい」
 僕がそう答えると、アンナさんは突然思いつめた表情になった。

「私は父が望んでいる通り、隆司さんと結婚してもいいと思っています。ただ、ひとつだけお願いがあります」
 今日、会ったばかりで、まだ少ししか話していないのに結婚してもいいと思っているとアンナさんが言ったことに驚いた。
「何ですか?」
「せっかく法律を勉強したので、大学院へ行ってもっと深く法律の勉強をしたいと思っています。もし、許していただけるなら、アメリカの大学院を卒業するまで待っていただけませんか?」
 まだ、僕はアンナさんと結婚するかどうか決めかねている。
「わかりました。考えてみます」
 今の僕は許す許せないと言える立場ではない。

 樹里だったら、大学院に行きたいとか言わないだろうな。そもそも勉強が嫌いみたいだし。
 アンナさんと会ってても樹里のことばかりが頭に浮かぶ。
 やっぱり樹里のことが忘れられない。
 こんな気持ちでアンナさんと結婚の約束をすることはできない。
「そろそろ戻りましょうか」
 自分の中で結論が出たように思えた。
「はい」
 アンナさんが頷いたので、ホテルへと戻った。

 部屋に戻ると、母さんと高津さんが楽しそうに笑っていた。
「おー、戻ってきたか。座りなさい」
 僕とアンナさんは自分の席に座る。
「アンナ、隆司君はどうだった?」
 高津さんがアンナさんを見つめる。
「優しい方だと思います。もし、隆司さんが結婚を望まれるなら、私に異存はありません」
 アンナさんは俯きかげんで答える。
「そうか」
 高津さんは満足そうに頷いた。
「隆司君はどうですか?」
 僕は母さんの顔を見た。
「遠慮することはないわ。思った通りに言いなさい」
 母さんが優しく言ってくれる。

「アンナさんはお淑やかで、礼儀正しい素晴らしい女性です。失礼な言い方かも知れませんが、僕のタイプです。ただ……」
 樹里と出会うまではアンナさんのような人が理想の女性だった。
「ただ、何かね」
 高津さんの顔が難しくなる。