喫茶店を出ると、映画を見にくという紀夫たちと別れて、樹里と2人っきりになった。
「着物って苦しいのよね。早く帰って着替えたい」
 紀夫に一緒に映画を見に行かないかと誘われたが、樹里はそう言って家に帰りたがったので、樹里を家まで送ることにした。
「樹里は着物が似合うよね」
 心からそう思う。樹里は美人だから何を着ても似合う。
「ありがとう。でも、美容師の人がギュウギュウ締めるから苦しいのよね。それに結構食べたからな」
 樹里はお腹を撫でる。

「大変だね」
 女の人は綺麗にしようと思ったら大変だと思った。
「そうよ。女は大変なんだから。いいわよね。男はそんなラフな格好でいいんだから」
 樹里が恨めしそうにスタジャンにジーンズという僕の姿を見る。

 僕は樹里を見ながら、いつプレゼントを渡そうかと機会を伺っていたが、なかなか踏ん切りがつかず、樹里のマンションの前まで来てしまった。
「どうする。中に入る?」
 この間、樹里のお兄さんに殴られたことが頭をよぎる。
「いいよ」
僕は遠慮した。
 ここでプレゼントを渡さないと絶対渡せないと思い、ポケットから花柄の包み紙にピンク色のリボンがかけられている小さな箱を樹里に差し出す。

「なに?」
 樹里がビックリしたように僕の顔を見る。
「樹里にプレゼント」
「うそっー。ウレシィ〜」
 樹里の顔が綻んだ。
「そんなに喜んでくれるなんて」
「当たり前でしょう。今までさんざん尽くしたのになんのお返しもなかったんだから。やっと、報われたわ」
 お返しがなかった?
 たしかに、お弁当を作ってもらってたけど、僕もモーニングコールをしたり、迎えにいったりしてたんだけど。

「開けていい?」
「いいよ」
 樹里が嬉しそうに開ける。
「ピアス?」
「うん」
「よくピアスの穴を開けてるって分かったわね?」
「渡辺さんに教えてもらった」
 正直に答える。

「そうよね。隆司がそんなことに気がつくはずないもんね。でも、人に聞くっていうことを覚えただけで進歩だわ。教育した甲斐があったわね」
 僕は樹里に教育されてたの?
「わあー、可愛いじゃない。『つけて』と言いたいところだけど、耳を血だらけにされそうだから自分でつけるわ」
「うん」
 そこまでは教育されていませんから無理です。

「どう?」
 樹里がピアスをつけて、こちらを向く。
 和服姿だが、ピアスが似合っている。
「似合ってるよ。すごくキレイ」
「嬉しいわ……。キャア〜」
 何もしていないのに樹里が、突然悲鳴をあげた。
「おねえしゃん、遊ぼう」
 樹里の足元の方から声がする。
「チイちゃん……。ビックリするでしょう」
 チイちゃんが樹里の足元に抱きついていた。

 樹里がチイちゃんを抱き上げると、チイちゃんは両腕を樹里の首に回す。
「お母さんはどうしたの?」
「ねんね」
「しょうがないわね。お母さんにお姉ちゃんのところに行くって言いに行こう。隆司はどうする?」
「やっぱり帰るよ」
 樹里と一緒にチイちゃんと遊ぶのもいいが、やはり女子の部屋に入るのは、また余計な誤解を招く恐れがあるので、やめておいたほうがいい。
「バイバイ」
 チイちゃんが手を振ってくれた。
 僕も振り返す。

 樹里とチイちゃんが中に入って行く後姿を見送りながら、僕と樹里が結婚したら、あんな子どもが出来るのかなと、二人の横に自分を並べてみる。
 すぐにその妄想を頭から振り払う。
 そんなことになるはずがない。
 僕には許嫁がおり、樹里には婚約者がいる。
 そんなありえもないことを想像するのは虚しい。

 冬休みもあっという間に終わり、学年末テストも無事終わって、いいよいよ卒業旅行の日になった。
樹里を迎えに行くと、樹里はキャリーバッグを持って、マンションの入り口の前に立っている。
今日の樹里はベージュのスウェットのプルオーバーに黒のロングスカートにマキシ丈のコートを着て,僕がプレゼントしたピアスをつけてくれている。
「すごい荷物だね」
 僕はリュックサックひとつだけだ。
 樹里の荷物はどう見ても一泊旅行には見えない。
「女の子には色々荷物があるのよ」
「持つよ」
 僕はキャリーバッグを受け取ると、引っ張って歩いた。
 樹里は当然と言う感じで僕の前を歩いていく。

東京駅に着くと、14時前の新幹線の2人がけの指定席を買い、新幹線に乗り込む。
「この旅行から帰ったら、もう学校には行かないから、モーニングコールも迎えもいらないわ」
席に着くなり樹里が言った。
「どういうこと?」
「旅行から帰った次の日にアメリカに行くの」
「卒業式は?」
「出席日数は足りてるから出ないわ。だから、隆司と会うのもこの旅行で最後」
樹里はそう言うと話を打ち切るように目を瞑って、寝始める。
「最後」
 一瞬、涙が出そうになった。
 泣いたらダメだ。分かっていたことじゃないか。
 明るくしよう。
 僕は持ってきた本を開いたが、樹里の言葉がショックで全然文字が目に入ってこない。
本を読むのを諦めて、窓の外を見ていたが、いつのまにかウトウトしてきて眠ってしまっていた。

「まもなく新神戸です」のアナウンスで目が覚めた。
 横を見ると、樹里はまだ寝ている。
「樹里、もう着くよ。起きて」
「う、うん」
 樹里がやっとという感じで目を開ける。

「新神戸、新神戸」
 アナウンスが車内に響き、スーッと新幹線が駅に入っていく。
 駅へ着くと、慌てて樹里のキャリーバッグを引っ張り、リュックを背負って、まだ眠そうにしている樹里の腕を引っ張った。
 駅を出ると、タクシー乗り場に向かう。

 タクシー待ちの列の一番後ろに並んだ。
樹里はまだ眠いのか低血圧のためかもたれかかってくる。
 並んでいる間に紀夫に電話すると、ロビーで待っていると言われた。
 順番がきて、タクシーのトランクを開けてもらい、キャリーバッグを入れて、まだボーッとしている樹里を奥に押し込んで、運転手さんに行き先を告げる。
樹里はタクシーの中でもずっと目を瞑っていた。