翌朝、今日はちゃんと樹里に話をしようと心に決め、玄関で靴を履いていると、母さんが 声をかけてきた。
「お友だちを一度家に連れてきたら。母さんも一度会ってみたいわ。隆司は女の子の友達を連れてきたことないんだもん。ウチは男ばっかりだから、たまには若い女の子と喋ってみたいわ」
 ごめんね。モテない息子で。
「うん。もし、機会があったら言ってみるよ」
 たぶんないだろうけどね。

 樹里のマンションに真っ直ぐ向かった。
 いつものように部屋番号を押し、樹里が出てくるのを待つ。これも今日で最後だと思うと、何か感慨深いものがある。
 樹里が出てくると、いつものように僕の手を握って歩き出す。

「どうしたの? 顔、暗いよ」
 どうしてだろう。樹里と別れることができるのになぜか気分が沈む。
「そうかな」
 無理矢理笑った。
「分かった。昨日のキスのこと気にしてるの? 大丈夫よ。あれぐらいのキスなんて挨拶みたいなもんだから気にすることないわ。女の子同士でも挨拶であのぐらいのキスするわよ」
 ふざけて女の子同士でキスするということは聞いたことがあるが、挨拶代りにするというのは日本では聞いたことがあまりない。

「違うよ」
 首を横に振る。
「そういえばファーストキスとか言ってたものね。もう一度ちゃんとする? わたしはいいよ」
 樹里が少し屈んだ。キスをしたくないといえば嘘になるが、これ以上話をややこしくしたくない。

「昼休みにちょっと話がしたいんだ」
「いつもしてるじゃない」
 たしかにしている。樹里が作ってきたお弁当を食べながら、樹里が見た演劇の話や僕が最近読んだ本の話など他愛もない話をしていた。
 でも、今日は違う。

「ちょっと、大事な話があるんだ」
「今でもいいわよ」
「ごめん。昼休みがいいんだ」
 まだ心の準備ができていない。
「そう」
 ちょっと不満そうな顔をする。

 もちろん、樹里が泣いたり、喚いたりすることは絶対ないだろうし、僕との付き合いをやめたくないと言うこともないだろう。
 せいぜい嫌がらせができなくなることへの不満を言うぐらいだろう。
 むしろ僕が樹里と会えなくなることが寂しくなるために躊躇っているだけだ。
 僕はなんて情けない奴なんだろう。あんなに樹里のことを嫌ってたのに。


 教室に入ると、いつもの女子の刺すような視線を感じなかった。
 あれ? どうしたんだろう。
 視線に慣れて鈍感になったのかな?
 首を捻りながら席に着いた。

「どうした?」
 紀夫が僕の様子を見て声を掛けてきた。
「なんかいつもより女子の視線を感じないなあと思って」
「ああ、昨日のあれを見て、お前と石野が本気で付き合っているということが分かったからじゃないか」
「どういう意味だよ」
「文字通りの意味だ」
僕と樹里が付き合っているのは間違いない。だが、それは樹里は僕に嫌がらせをするため、僕は樹里が図書委員の仕事をちゃんとしてくれるためだ。
「そんなこと……」
「ある。お前のことはガキの頃から知っているんだ。お前が石野のことをどう思っているかぐらい俺にはわかるよ。無理するな。そうじゃないと、お前があんなことをするわけない」
 紀夫が断言するように言った。

 違う。そんなことない。僕は仕方なく樹里と付き合っているんだ。
 あのキスだって樹里と渡辺さんが喧嘩するのを見たくなかっただけだ。
 僕は心の中で、必死に紀夫の言葉を否定した。