なんとなく暗い気持ちで家に帰ってきた。
 樹里みたいな性格の女子は大嫌いだったはずなのにキスまでしてしまった。
 どうしてだろう?
 付き合うなんて信じられないとあんなに思っていたのに、樹里と一緒にいる時間が楽しくなっているような気がする。

「ただいま」
 沈んだ声で家の中に入ると、思いつめたような顔をして母さんが食卓に座っていた。
「お帰り」
 僕をチラッと見た母さんの目は何か言いたげに見える。

「どうしたの? なんか暗いよ」
「フーッ。お父さんが帰ってきてから、話をするわ」
 母さんが盛大なため息をついた。

 なんの話だろう? 何かあったのかな?
 今まで、あんな深刻な顔をした母さんを見たことがない。
 父さんが帰ってきて、しばらくすると、夕食だと母さんが呼びに来た。

 ダイニングへ行き、椅子に座ると、母さんが口を開いた。
「最近、朝早いけど、どこに行ってるの?」
「学校だよ」
「学校に行く前にどこか寄り道してない? 学校へ行く途中に女性専用マンションがあるわよね。そこに隆司とよく似た高校生が入っていくのを見たって。近所の人が言ってたんだけど……」
 母さんがいつもよりきつめの口調で問い質してきた。

 あのマンションの前の道は通勤や通学に使う人が多い。
 見られる危険性はあったのにそれを全然考えていなかった。
「うん。行ってる」
 もう隠せないと思った。

「どうして、そんな所に行ってるの? まさか誰かをストーカーとかしてるんじゃないんでしょね? それとも下着を盗んでるとか?」
 母さんの顔が青くなっている。
 なんでそうなるの?

「正直に言いなさい。警察には父さんもついていくから。子のしでかしたことは親にも責任がある。ちゃんと償おう。真面目な人間ほど過ちを犯したりするもんだ」
 父さんが諭すように言う。
 どうしてうちの親はすぐに悪い方に考えるんだろうか。
 僕はよっぽど信頼がないらしい。

「違うよ。友だちがあのマンションにすんでるから、一緒に学校に行っているだけだよ」
「女の子?」
 母さんがまだ納得できないという感じで聞く。
 女性専用マンションに男が住んでいたら、それは問題だろう。

「そうだよ」
「まさかカノジョ?」
「違うよ。単なる友だちだよ」
 一応、口ではカレシと言っているが、樹里が本当に僕のことをそう思っているかは怪しい。
 それに両親、特に母さんには友だちと言っておいたほうが無難だ。
 カノジョとか言ったら、大騒ぎしそうな気がする。

「どうして、母さんに言わなかったの?」
「なんとなく言いそびれて」
「そうか……だが、前にも言ったように隆司には許嫁がいる。不本意かもしれないが」
 父さんがそう言った瞬間、自分が忘れていた重大なことが何だったかが分かった。

「それだ!!」
 僕は叫んだ。
「何よ、急に大声を上げてビックリするじゃない」
「何が『それだ』なんだ?」
 父さんと母さんが不審げに僕を見る。

「その……そのことをすっかり忘れていたなあと思って……」
「だが、隆司がどうしても好きな人ができたなら、それは仕方ないことだと思う。その時は、父さんも母さんも向こうに謝りに行こうと思っている」
「そうよ。正直に言ってね。そうしたら、父さんとアメリカに謝りに行くわ。そのついでに観光もして。父さんと旅行するなんて何年ぶりかしら。父さんと一緒の海外旅行は初めてよ。楽しみだわ」
 すごく母さん嬉しそうなんですけど。父さんと二人で旅行したいだけじゃないの。

「母さんは少し黙っててくれるかな」
 母さんの天然ぶりに父さんの顔も渋くなる。
「隆司、お前は好きなようにしていいんだぞ。ただ、許嫁をどうするかということもちゃんと考えて行動して欲しい。向こうはきちんと誠意を見せてくれている。こちらも誠意ある態度を見せたいと思っている」
 母さんも頷いている。

「大丈夫。カノジョができたら、できたってちゃんと言うよ」
 ちゃんと樹里に言おう。僕には許嫁がいて、いずれその子と結婚することになるだろう。
 だから、もう付き合いをやめようと言おう。
 きっと樹里は納得してくれると思う。嫌がらせで僕と付き合っているだけなんだから。
 そう心の中で決めた時、なぜかチクチクと胸が痛んだ。