「石野さんが……」
「石野さん? 今度そう呼んだらグーパンチ」
 眉間に皺を寄せて睨んでくる。
 体が大きいから殴られたら痛そうだ。

「……い、じゃない。じゅ、樹里がこんなに料理が上手なんて知らなかった。誰に習ったの?」
「ママよ。ママは料理上手なの」
「そうなんだ。お母さんと一緒に作ったの?」
 この美味しさは樹里が一人で作ったとはとても思えない。

「違うわよ。私が一人で作ったのよ。今、一人暮らしなんだから」
「へえ、樹里って一人暮らしなんだ」
「そうよ。ちょっとワケがあってね。家族とは別に暮らしているの」
「そうなんだ……だからか」
「何よ。だからって」
「だからよく遅刻するんだ。一人暮らしで誰も起こしてくれないからなんだね」
 僕が初めて遅刻した時、生活指導の先生が『石野。またお前か』と言っていたからよほど遅刻が多いんだろうう。

「それもあるけど、私、低血圧なの。だから、朝はなかなか起きれないの」
「低血圧?」
 樹里が低血圧とはとても信じられない。
「その顔は何よ。信じられないっていう顔ね。何も低血圧になるのはか弱いお嬢様だけじゃあないわよ」
 不満そうな顔をすると、急にニヤッと笑った。

 何かよくないことを考えついた人がする顔だ。
 嫌な予感がする。
「隆司は、朝起きるのは早いの?」
「うん。5時には起きてるよ」
「5時? そんなに早く起きて何してるの?」
「受験勉強だよ」
 僕はどうやら朝型らしく朝の方が勉強していてもよく頭に入る。だから、朝早く起きて勉強することにしている。

「だったら6時に私に電話して。出るまで鳴らし続けてね」
「えー、どうして? 目覚ましかけていたら大丈夫じゃないの?」
 僕は樹里の目覚ましじゃない。

「目覚ましで起きられたら、遅刻なんかしないわよ。カレシのモーニングコールで起こされたら、起きれるんじゃないかと思って。それぐらいいいでしょう。電話するぐらい、そんなに時間はかからないでしょう。カノジョがこんなに頼んでるんだから」
 本当のカレシならそうだろけど、嫌がらせで付き合っているカレシのモーニングコールでも起きれるのかな?
 それともこれも嫌がらせの一つか。

「わかった」
 あんまりしつこく言うので、仕方なく頷いた。電話するぐらいそんなに手間ではない。
「それから朝迎えに来て。そうしたら、絶対に遅刻しないと思うから。遅刻は悪いことでしょう。カノジョが悪いことをしないようにするのもカレシの役目だよね」
 理不尽なことを言う。
迎えに行って待たされたりしたら、僕まで遅刻してしまうかもしれない。これまでより早く家を出ないといけなくなる。
 これはすごい嫌がらせだ。

「樹里の家って、チイちゃんと同じマンションだよね。あの時、声をかけてきたのは樹里だよね」
「そうよ。部屋番号は帰りに教えるわ。今日のお弁当はモーニングコールと迎えにきてくれるお礼の前払いということで。これからも作ってあげるから」
 僕はお弁当を全部食べてしまっていた。前払いを全部食べてしまったんだから今さら断れない。
「うん。分かったよ」
仕方なく頷いた。

「お前、石野の弱みでも握っているのか?」
 教室に戻ると、紀夫が変なことを言う。
「握ってないよ」
「石野は今までいろんな男と噂があったが、一度たりとも男に弁当を作ってきたことはない」
「たまたまじゃないの」
 樹里は気まぐれだから付き合っていた時、たまたま弁当を作りたくなかったとか。

「違う。いろいろな奴から聞いているが、石野に奢らされたという奴はいるが、石野に何かしてもらったという話は聞いたことがない」
 紀夫がじっと僕の顔を見る。
「なんだよ」
「石野は本気なのかも」
「冗談はやめろ。樹里は嫌がらせで付き合うってはっきり言ったんだからな」
 そうあくまでも僕に対する嫌がらせ。それが証拠に家まで迎えに来いとまで言われた。

「『樹里』って。それは石野の名前か?」
「うん。苗字で呼んだらグーパンチって言われたからな」
 紀夫の目がまん丸になる。
「よかったかどうかは分からんが、お前にもやっと春が来たな。俺だけがカノジョが出来て、ちょっと気が引けていたんだが……」
 紀夫は一人で何度も納得したように頷いていた。
 変な奴だ。