「もう帰るの?」

終業式の後、慌てて荷物をしまっている私に真梨が尋ねてきた。

「今日は用事があるの。真梨も部活でしょ?」

「そうだけど、まだホームルームあるし」

眉をひそめている真梨の耳に私は顔を寄せた。

「情報通の真梨なのに知らないの?」

わざと小声で言うと、

「えーなになに?」

興味津々という顔で聞いてくるので、顔を離してカバンを肩にかけた。

「今日は公志の四十九日法要だよ。先生には許可もらってるから安心して」

「あ……」

瞬時に固まる真梨の顔、そして変わる教室の空気。

私が公志の名前を出すのは、久しぶりだから驚いているのが伝わってくる。本当に心配かけていたんだな……。

「真梨、もう私は大丈夫。悲しいけれど、ちゃんとパワーをもらえたから」

みんなに宣言するように言って「バイバイ」と手を振った。自然に笑えていることが、なんだかうれしかった。

そのまま教室の戸を開けようとした時、「おい」と、うしろから声がかかった。

見なくてもわかる、今井くんだ。

「まんなかまなかのくせに、途中退場すんのかよ」

言葉とは裏腹に、彼もきっとやさしい。その人自身を知ろうとすれば、見えなかった部分が見えてくるんだね。戸にかけた手を離して私は振り返る。

「今井くん、期末テストはどうだったの?」

「えっ?」

思ってもいない言葉だったのだろう。ギョッとした顔をした彼は、

「なんだよそれ」

狼狽した顔をしている。

「自慢じゃないけど私、全部の科目が平均点以上だったよ。情報によると、今井くんて平均点を上回った科目がなかったらしいね」

「げ……なんでそれを——」

そこまで言いかけて慌てて口を閉じているけれど、教室は笑いに包まれている。

「関係ないだろ、うるさいな」

苦虫をかみつぶしたような顔になる今井くん。

「だね。平均点より上でも下でもどうでもいいよね。私も気にするのはやめたんだ」

「……へぇ」

意味がわからずに軽くうなずく今井くんに、私は頭を下げた。

「やり方は不器用だったけど、元気づけようとしてくれたんだよね。本当にありがとう」

「別に俺は——」

「ありがとう」

もう一度繰り返して、今度こそ廊下へ。靴を履き替え校門を出ると、遠くでセミの声が聞こえていた。

公志の家に向かう途中、お母さんに電話をかける。

「もしもし? 今出たところ。お母さんは?」

『もうとっくに到着してるわよ。公志くんのお母さんと料理の支度を始めたところ。お坊さんってなにを召し上がるのかしらね?』

向こうで、公志のおばさんが『お肉でもいいんじゃない』なんて言ってる声が聞こえた。お葬式の時より、元気そうな声にホッとする。

遠くにアクトシティのビルが見え、その向こうには青空が広がっている。

まるで千恵ちゃんの家の居間みたいに真っ青だ。そうだ、と思い出した私は「ねぇ」と呼びかける。

「帰りに千恵ちゃんの家に行こうかな」

『あら、いいわね。お母さんも行こうかしら』

「そうしなよ。きっと喜ぶよ」

千恵ちゃんの家はあれ以来行ってなかった。前に言われた予言どおり、全部解決したことを報告しないと。

そんなことを考えているとお母さんの声が耳に届いた。

『もうすぐ月命日だからちょうどいいわね』

足が、止まる。

「え? あ……うん」

セミの声がさっきよりも近くで聞こえた気がした。 脳裏にグルグル映し出される千恵ちゃんの映像。

さっきまであった現実世界がぐらりと揺れている感じ。

だけど、本当はずっと前から知っていたこと……。

「千恵ちゃん……亡くなったんだよ、ね?」

つぶやく声に、お母さんは『そうね』とさみしそうに言った。

『もう三カ月なんて早いわね』

「……」 答えられずにいる私に、お母さんの声がした。

『とにかくこっちにいらっしゃい。待ってるから』

その後、なんて答えて電話を切ったのか覚えていない。

私は呆然と空を見上げていた。

——どうして千恵ちゃんが亡くなったことを忘れていたんだろう。

今思えば、違和感はいつもあった。

たくさんのガラクタ、同じ日付の新聞、タバコの白い煙にいつの間にかついていた杖……

五月に亡くなった時、私もたくさん泣いたのになぜか生きていると思い込んでいた。

「もしかして、千恵ちゃんも……私のことを心配して?」

困った時はいつも頼りにしていた千恵ちゃん。公志の死を目の当たりにして落ち込んだ私を励まそうとして、姿を見せてくれたのかもしれない。

「私はダメだな。心配かけてばっかり」 歩き出しながら、千恵ちゃんに話す。

——きっとどこかで聴いてくれているよね?

「これからはちゃんとがんばるから。ありがとう、千恵ちゃん」

青い空に雲がひとつ浮かんでいる。それが千恵ちゃんのタバコの煙に見え、私はほほ笑んでいた。