期末テストの前半は、我ながらよくできたほうだと評価している。
もちろんわからない問題もいつものように多かった。それでも、寝る前の復習やテスト対策に効果があったことは、わずかだけど実感としてあった。
明日からの後半戦に向けて、今日は一時限早く終わった。
夕方近いというのに窓越しの空に太陽がまだ主張している。
「そろそろ梅雨明けしそうだよね?」
カバンを肩にかけて真梨に話しかけた自分にハッとした。
いつの間にこんな普通の会話ができるようになったのだろう。
クラスメイトが公志のことを忘れていることに憤慨していた自分がウソのように、いないことをだんだん受け入れられるようになっている。いつだって公志のことだけを考えていたいのに、そんな自分が裏切り者のように感じてしまう。
あの日からもうすぐ一週間が経つ。公志はあの言い合いの後から姿を見せなくなっていた。でも、時々見かけることはあった。
たぶん公志は気づかれていないと思っているのだろうけれど、電柱の影や窓の外、廊下の角に隠れているのを見かける。なんだか、かくれんぼでもしているみたい。
だけど近寄ると逃げてしまう。まだやっぱり怒っているのだろうな……。
「天気がいいのは今日まで。明日からしばらく雨だって」
コキコキと肩を鳴らす真梨に、うなずきながらもあたりを自然に探している。
——公志に会いたい。 会って、ちゃんと謝りたかった。
「あたし、部室寄ってから帰るね」
テスト期間は部活禁止なのに、真梨の頭のなかは秋の文化祭でやる劇のことでいっぱいになっているそうだ。
「またね。バイバイ」
手を振って見送った後、ふと誰かの視線に気づく。
——公志?
期待して顔を向けると、見つめているのは武田さんだった。でもまたすぐに視線を逸らされ、武田さんは椅子に座り荷物をまとめ出す。
そういえばこの間武田さんに話しかけた時、彼女は何度も私に謝っていたよね……
結局あれ以来話をしていないけれど、あれはどういう意味なんだろう? 難しい顔をしている私に、
「まんなかまなか、珍しく悩み中?」
と、今井くんがまた嫌味を言ってきた。最近やたらとからんでくるので、少々うんざりしているのが本当のところ。
なんで私なんかに構うのよ……。
「悩んでなんかないよ」
笑顔をうまく作れず、そっけなく言葉を落としてしまった。思っていた反応と違ったのか、今井くんは少しひるんだ表情になったがすぐにヘラヘラと笑みを浮かべる。
「今回のテストも平均点だったらどうしよう? って?」
まだ残っている男子に向けて言う今井くんに、数人が笑い声をあげた。
いつもなら中学時代のトラウマを再体験して泣きそうになるのに、なぜか感情は穏やかだった。
一歩前に出た私に、予想外の行動だったのか今井くんは驚いた顔をした。視界の端で、遠くに座っている武田さんもこっちを見ているのがわかった。
「変わりたいと思う」
「は?」
わざとらしく耳をこっちに向けてくる今井くんに、さっきよりも大きな声を意識する。
「私は変わりたいと思っているの。みんなが公志を忘れても、私は絶対に忘れない。だけど、このままじゃ公志に心配させるだけ。だから、まんなかまなかは卒業しようと思う」
しん、と教室が静まり返るなか、カバンを手に持って急ぎ足で廊下へ出た。扉を閉めてからようやく大きく息を吐く。
口が勝手にしゃべった感覚だった……。
今さらながら鼓動が速くなっているけれど、少しスッキリした気分なのもたしか。ちゃんと自分の気持ちを言葉にするって、なんだか気持ちがいいな……。
呼吸を整えて廊下を進み、階段を降りる。そして踊り場に足をつけた時、
「茉奈果」
うしろから声がかかった。振り向かなくても誰の声かわかる。
「公志」
廊下の窓からの逆光でシルエットだけ見えている。だけど、声だけでわかるから。
「ご名答。久しぶりだな」
「だね。ていうか、たまに隠れているのを見かけたけどね」
「げ。バレてたのか」
あっけらかんと笑う公志の身体をすり抜けて、数人の生徒が階段を降りてきたので口を閉じた。何食わぬ顔で靴を履き替えて外に出ると、午後の日差しがまぶしくて目がチカチカした。
私の隣に公志が並ぶ。久しぶりに見た横顔は、前よりもずいぶん体調が悪そうに見えた。
「この間はごめんね」
前を向いて小さな声で言う私に、
「俺も悪かったな」
と、公志は言う。
昔からたわいないことでケンカしては、こうやってすぐに仲直りできていた。たったひとこと謝るだけで、空白の時間も切なさまでもが埋まるから不思議。ここしばらく重荷のようにのしかかっていた嫌な気持ちが消えたことがうれしかった。
「具合悪いの?」
「まあな。なんだか力が入らない。タイムリミットが迫ってるのかもな」
「残された時間が少ないってこと? 探し物は見つからないまま?」
首を横に振る公志に、「そう」とつぶやいた。
「あれ以来ラジオから声は聴こえないの。いったいあの声がどんなヒントになるんだろう……」
鼻から息を吐く私に公志は、
「まぁ、俺が思い出すか……茉奈果が思い出すかだよな」
なんて言うから目を丸くする。
「私が?」
驚いて立ち止まると、公志は当たり前とでも言いたそうにうなずいた。
「俺が茉奈果の前に現れたってことはそういうことじゃね?」
「それは……考えもしなかった」
素直につぶやくと、公志は青い空をあおいだ。
「探し物、っていっても物じゃないような気もするんだよな……」
「それって人ってこと? それとも記憶とか、場所とか?」
「そんなのわかんねえよ。“かも”ってだけ」
あっさりギブアップする公志をにらむと、彼は太陽の光を浴びて気持ちよさそうに目を閉じた。光の粒子が見えそうなくらい、前よりも少し透けた身体が光っている。
言葉も忘れてしばらく見とれていた私は、ハッと我に返り歩き出す。
「とにかく思い出さなきゃ。全体像を見ながらね」
「全体像? なんだそれ」
うしろから声がするけれど「なんでもないよ」と先を急いだ。
きっともうすぐ彼はいなくなる。その現実が、すぐそばまできている。
無意識で早足になってしまう私は、まだ彼がいなくなることを受け入れられずにいた。
ぬるいジュースの炭酸が喉にまとわりつく。
期末テストが明日で終わりという木曜日の夕方、私は千恵ちゃんの家にきていた。あれほどご無沙汰していたのに、一度通うとクセになっているみたい。
それにしても、未だジャイロ磐田は勝てていないらしい。二カ月も勝てないことがあるんだなぁ……。
「千恵ちゃん、もうその新聞読むのやめたら?」
「あたしのやることに文句つけるなんて百年早いよ」
老眼鏡をつけたまま文字を追う千恵ちゃんに、意見がとおったためしがない。しょうがないな、と私は話を続けた。
「千恵ちゃんのアドバイスどおり、私なりにがんばってるよ。勉強だってしてるし」
「学生が勉強するのなんて当たり前」
ぐ……と言葉に詰まりそうになるけれど、ここで負けちゃいけない。コン、とジュースを机に置くと、シュワシュワと夏の音が聞こえた。
「だけどがんばるほどに公志とのお別れが近づいてきてるんだな、って感じる」
缶のデザインを見つめながら言う私に、千恵ちゃんは新聞をたたんだ。
「じゃあなぜがんばるんかね?」
「それは……千恵ちゃんが前に言ってたとおり、自分のためにもなるからだと思う。公志に安心してほしいし、それにはやっぱり私がしっかりしないといけないから」
受け入れるのはつらくても、公志の探している物を見つけた時、しっかり胸を張って見送れる私になりたい。
「その公志は、今どこにいるんだい?」
キョロキョロと部屋を見回す千恵ちゃんに、家のある方角を指さした。
「部屋で寝ているの。もう、あまり動けないみたいで……。ラジオからの声も聴こえないし、探し物も見つからないままなの」
最近の公志は、ほとんど目を閉じて横になっていることが多くなっていた。
日ごと、その身体が透けていくのを感じている。一緒にいる時は考えないようにしているのに、離れると感じる存在の大きさが苦しかった。
公志は虹に似ている、とふと思った。遠ければ存在を感じるのに、近づくほどにぼやけていく。いつか、その虹に触れることができたならいいな……。
「もうすぐだよ」
ふいに千恵ちゃんがそう言った。
「なにが?」
「あと少しできっと、すべてが解決するさね」
「それって、公志と別れる日がくるってこと?」
不安を言葉にすれば、胸のあたりにそれはとどまって息を苦しくする。
——公志と会えなくなったら、私はどうなっちゃうんだろう?
「茉奈果は自分らしくいればいい。考えてもわからないことは、ありのまま受け止めるさね。今のまましっかりとがんばりなさい。答えはすぐそこにあるんだから」
意味のわからない言葉でも、千恵ちゃんが言うとそれらしく聞こえる。あいまいにうなずくと、なんだか少し気持ちが軽くなっている。
「じゃあ帰るね。明日はこられないの。静佳ちゃんが退院する日なんだ」
静佳ちゃんとは、あの日以来毎日のようにメッセージのやり取りをして、たまに病院にも行っている。会うごとにその年頃らしい笑顔を見せてくれるようになっていた。
「もうこなくてもいいよ」
立ち上がる私に、千恵ちゃんがぽつりと言うので笑顔のまま固まってしまった。
なんて言ったのか聞きなおすより前に、
「もうここにはこなくていいさね」
ニッと笑う千恵ちゃんに、聞き間違いじゃなかったと知る。
「急にどうしたの?」
「困った時だけあたしに会いにくる茉奈果は卒業だよ。これからはちゃんと自分と向き合って答えを探すんだよ」
まだ笑っている千恵ちゃんに、頬を膨らましてみせた。
「すぐ意地悪言って! 別に千恵ちゃんに悩みを相談するためだけにきてるんじゃないもんね」
カッカッと高らかな笑い声をあげた千恵ちゃんが、大きくうなずいた。
「じゃあ今度は蛍さんと遊びにおいで。あのバカ息子には用はないけどね」
「ふふ。お母さんに言っておくね」
部屋を出て玄関へ歩く。あいかわらず積み上げられた荷物の山。
ちっともリサイクル業者を呼んでないじゃん。今度、お母さんに相談してみないと。
外に出ると、紫色の夜がすぐそこまできていた。
もちろんわからない問題もいつものように多かった。それでも、寝る前の復習やテスト対策に効果があったことは、わずかだけど実感としてあった。
明日からの後半戦に向けて、今日は一時限早く終わった。
夕方近いというのに窓越しの空に太陽がまだ主張している。
「そろそろ梅雨明けしそうだよね?」
カバンを肩にかけて真梨に話しかけた自分にハッとした。
いつの間にこんな普通の会話ができるようになったのだろう。
クラスメイトが公志のことを忘れていることに憤慨していた自分がウソのように、いないことをだんだん受け入れられるようになっている。いつだって公志のことだけを考えていたいのに、そんな自分が裏切り者のように感じてしまう。
あの日からもうすぐ一週間が経つ。公志はあの言い合いの後から姿を見せなくなっていた。でも、時々見かけることはあった。
たぶん公志は気づかれていないと思っているのだろうけれど、電柱の影や窓の外、廊下の角に隠れているのを見かける。なんだか、かくれんぼでもしているみたい。
だけど近寄ると逃げてしまう。まだやっぱり怒っているのだろうな……。
「天気がいいのは今日まで。明日からしばらく雨だって」
コキコキと肩を鳴らす真梨に、うなずきながらもあたりを自然に探している。
——公志に会いたい。 会って、ちゃんと謝りたかった。
「あたし、部室寄ってから帰るね」
テスト期間は部活禁止なのに、真梨の頭のなかは秋の文化祭でやる劇のことでいっぱいになっているそうだ。
「またね。バイバイ」
手を振って見送った後、ふと誰かの視線に気づく。
——公志?
期待して顔を向けると、見つめているのは武田さんだった。でもまたすぐに視線を逸らされ、武田さんは椅子に座り荷物をまとめ出す。
そういえばこの間武田さんに話しかけた時、彼女は何度も私に謝っていたよね……
結局あれ以来話をしていないけれど、あれはどういう意味なんだろう? 難しい顔をしている私に、
「まんなかまなか、珍しく悩み中?」
と、今井くんがまた嫌味を言ってきた。最近やたらとからんでくるので、少々うんざりしているのが本当のところ。
なんで私なんかに構うのよ……。
「悩んでなんかないよ」
笑顔をうまく作れず、そっけなく言葉を落としてしまった。思っていた反応と違ったのか、今井くんは少しひるんだ表情になったがすぐにヘラヘラと笑みを浮かべる。
「今回のテストも平均点だったらどうしよう? って?」
まだ残っている男子に向けて言う今井くんに、数人が笑い声をあげた。
いつもなら中学時代のトラウマを再体験して泣きそうになるのに、なぜか感情は穏やかだった。
一歩前に出た私に、予想外の行動だったのか今井くんは驚いた顔をした。視界の端で、遠くに座っている武田さんもこっちを見ているのがわかった。
「変わりたいと思う」
「は?」
わざとらしく耳をこっちに向けてくる今井くんに、さっきよりも大きな声を意識する。
「私は変わりたいと思っているの。みんなが公志を忘れても、私は絶対に忘れない。だけど、このままじゃ公志に心配させるだけ。だから、まんなかまなかは卒業しようと思う」
しん、と教室が静まり返るなか、カバンを手に持って急ぎ足で廊下へ出た。扉を閉めてからようやく大きく息を吐く。
口が勝手にしゃべった感覚だった……。
今さらながら鼓動が速くなっているけれど、少しスッキリした気分なのもたしか。ちゃんと自分の気持ちを言葉にするって、なんだか気持ちがいいな……。
呼吸を整えて廊下を進み、階段を降りる。そして踊り場に足をつけた時、
「茉奈果」
うしろから声がかかった。振り向かなくても誰の声かわかる。
「公志」
廊下の窓からの逆光でシルエットだけ見えている。だけど、声だけでわかるから。
「ご名答。久しぶりだな」
「だね。ていうか、たまに隠れているのを見かけたけどね」
「げ。バレてたのか」
あっけらかんと笑う公志の身体をすり抜けて、数人の生徒が階段を降りてきたので口を閉じた。何食わぬ顔で靴を履き替えて外に出ると、午後の日差しがまぶしくて目がチカチカした。
私の隣に公志が並ぶ。久しぶりに見た横顔は、前よりもずいぶん体調が悪そうに見えた。
「この間はごめんね」
前を向いて小さな声で言う私に、
「俺も悪かったな」
と、公志は言う。
昔からたわいないことでケンカしては、こうやってすぐに仲直りできていた。たったひとこと謝るだけで、空白の時間も切なさまでもが埋まるから不思議。ここしばらく重荷のようにのしかかっていた嫌な気持ちが消えたことがうれしかった。
「具合悪いの?」
「まあな。なんだか力が入らない。タイムリミットが迫ってるのかもな」
「残された時間が少ないってこと? 探し物は見つからないまま?」
首を横に振る公志に、「そう」とつぶやいた。
「あれ以来ラジオから声は聴こえないの。いったいあの声がどんなヒントになるんだろう……」
鼻から息を吐く私に公志は、
「まぁ、俺が思い出すか……茉奈果が思い出すかだよな」
なんて言うから目を丸くする。
「私が?」
驚いて立ち止まると、公志は当たり前とでも言いたそうにうなずいた。
「俺が茉奈果の前に現れたってことはそういうことじゃね?」
「それは……考えもしなかった」
素直につぶやくと、公志は青い空をあおいだ。
「探し物、っていっても物じゃないような気もするんだよな……」
「それって人ってこと? それとも記憶とか、場所とか?」
「そんなのわかんねえよ。“かも”ってだけ」
あっさりギブアップする公志をにらむと、彼は太陽の光を浴びて気持ちよさそうに目を閉じた。光の粒子が見えそうなくらい、前よりも少し透けた身体が光っている。
言葉も忘れてしばらく見とれていた私は、ハッと我に返り歩き出す。
「とにかく思い出さなきゃ。全体像を見ながらね」
「全体像? なんだそれ」
うしろから声がするけれど「なんでもないよ」と先を急いだ。
きっともうすぐ彼はいなくなる。その現実が、すぐそばまできている。
無意識で早足になってしまう私は、まだ彼がいなくなることを受け入れられずにいた。
ぬるいジュースの炭酸が喉にまとわりつく。
期末テストが明日で終わりという木曜日の夕方、私は千恵ちゃんの家にきていた。あれほどご無沙汰していたのに、一度通うとクセになっているみたい。
それにしても、未だジャイロ磐田は勝てていないらしい。二カ月も勝てないことがあるんだなぁ……。
「千恵ちゃん、もうその新聞読むのやめたら?」
「あたしのやることに文句つけるなんて百年早いよ」
老眼鏡をつけたまま文字を追う千恵ちゃんに、意見がとおったためしがない。しょうがないな、と私は話を続けた。
「千恵ちゃんのアドバイスどおり、私なりにがんばってるよ。勉強だってしてるし」
「学生が勉強するのなんて当たり前」
ぐ……と言葉に詰まりそうになるけれど、ここで負けちゃいけない。コン、とジュースを机に置くと、シュワシュワと夏の音が聞こえた。
「だけどがんばるほどに公志とのお別れが近づいてきてるんだな、って感じる」
缶のデザインを見つめながら言う私に、千恵ちゃんは新聞をたたんだ。
「じゃあなぜがんばるんかね?」
「それは……千恵ちゃんが前に言ってたとおり、自分のためにもなるからだと思う。公志に安心してほしいし、それにはやっぱり私がしっかりしないといけないから」
受け入れるのはつらくても、公志の探している物を見つけた時、しっかり胸を張って見送れる私になりたい。
「その公志は、今どこにいるんだい?」
キョロキョロと部屋を見回す千恵ちゃんに、家のある方角を指さした。
「部屋で寝ているの。もう、あまり動けないみたいで……。ラジオからの声も聴こえないし、探し物も見つからないままなの」
最近の公志は、ほとんど目を閉じて横になっていることが多くなっていた。
日ごと、その身体が透けていくのを感じている。一緒にいる時は考えないようにしているのに、離れると感じる存在の大きさが苦しかった。
公志は虹に似ている、とふと思った。遠ければ存在を感じるのに、近づくほどにぼやけていく。いつか、その虹に触れることができたならいいな……。
「もうすぐだよ」
ふいに千恵ちゃんがそう言った。
「なにが?」
「あと少しできっと、すべてが解決するさね」
「それって、公志と別れる日がくるってこと?」
不安を言葉にすれば、胸のあたりにそれはとどまって息を苦しくする。
——公志と会えなくなったら、私はどうなっちゃうんだろう?
「茉奈果は自分らしくいればいい。考えてもわからないことは、ありのまま受け止めるさね。今のまましっかりとがんばりなさい。答えはすぐそこにあるんだから」
意味のわからない言葉でも、千恵ちゃんが言うとそれらしく聞こえる。あいまいにうなずくと、なんだか少し気持ちが軽くなっている。
「じゃあ帰るね。明日はこられないの。静佳ちゃんが退院する日なんだ」
静佳ちゃんとは、あの日以来毎日のようにメッセージのやり取りをして、たまに病院にも行っている。会うごとにその年頃らしい笑顔を見せてくれるようになっていた。
「もうこなくてもいいよ」
立ち上がる私に、千恵ちゃんがぽつりと言うので笑顔のまま固まってしまった。
なんて言ったのか聞きなおすより前に、
「もうここにはこなくていいさね」
ニッと笑う千恵ちゃんに、聞き間違いじゃなかったと知る。
「急にどうしたの?」
「困った時だけあたしに会いにくる茉奈果は卒業だよ。これからはちゃんと自分と向き合って答えを探すんだよ」
まだ笑っている千恵ちゃんに、頬を膨らましてみせた。
「すぐ意地悪言って! 別に千恵ちゃんに悩みを相談するためだけにきてるんじゃないもんね」
カッカッと高らかな笑い声をあげた千恵ちゃんが、大きくうなずいた。
「じゃあ今度は蛍さんと遊びにおいで。あのバカ息子には用はないけどね」
「ふふ。お母さんに言っておくね」
部屋を出て玄関へ歩く。あいかわらず積み上げられた荷物の山。
ちっともリサイクル業者を呼んでないじゃん。今度、お母さんに相談してみないと。
外に出ると、紫色の夜がすぐそこまできていた。