千恵ちゃんに相談をすることを例えるならば、それは、痛みを伴う改革。辛辣な言葉に耐えさえすれば、帰り道は気持ちもラクになっている。
家に帰らずに立ち寄った私に、千恵ちゃんは開口一番、
「絶賛悩み中、って感じだね」
と言ってのけた。
表情だけで伝わっちゃうのはありがたいようでもあり、困ることでもある。
今日あった出来事を話している間、いつものごとく新聞を見ている千恵ちゃん。ジャイロ磐田はまだ負け続けているらしく、五月一日の新聞のままだ。
ひととおり話が終わった私に千恵ちゃんは老眼鏡を取ると、
「情けないね」
と、言ってのけた。
「それって私が?」
「他に誰がおるんやて。今日の茉奈果の敗因は、視野が狭すぎること。これに尽きるわ」
「狭くなんかないもん」
全面支持はありえなくとも、少しくらいは慰めてくれると思っていただけに驚いてしまう。少しの反抗を試みるけど、
「そういうところが狭い」
と、一蹴されてしまいムスッと押し黙る。
初めから期待はしていなかったけれど、静佳ちゃん、公志ときてさらに千恵ちゃんにまで悪者扱いされているようで悲しくなる。
そう、普段の私ならば攻撃されると悲しみの感情に支配されるのに、今日は変だった。公志にあんなふうに怒ったのは初めてのことで、今頃になって自己嫌悪が顔を出している。
千恵ちゃんはタバコを口にくわえライターで火をつけると、大きく吸い込んでから煙を吐き出した。
「いいかい茉奈果。物事は近づきすぎると見えなくなるんだよ。公志の役に立ちたいと思うがあまり、全体像を見失っているのかもしれんね」
白い煙の向こうで話す声に首を振って否定する。
「全体像ってどういうこと? 私は公志のために——」
「そこだよ。公志のためだけに手伝っているという考えはやめたほうがいい」
意味がわからない忠告に返事ができずにいると、千恵ちゃんはまたおいしそうにタバコを吸った。
「“おこがましい”って言葉を覚えるといい。意味は、“差し出がましい”とか“身の程知らず”ってことさね」
「私がそうだって言うの?」
「話は最後まで聞きなさいっていつも言ってるだろう? この言葉は他人から言われる言葉じゃない。自分自身で思う時に使う言葉やて。茉奈果はね、誰かのためにやっていることを無意識で表に出しすぎてるんだよ。小学生でもわかるくらいだから、相当だろうね」
そう言った千恵ちゃんは、言葉とは逆にやさしい目になった。
「公志のために必死になる気持ちはわかるよ。けれど、その思いにとらわれすぎて全体像が見えなくなっている。ちゃんと、その女の子のことも考えてあげないと」
たしかに……私は公志を助けたい一心で、静佳ちゃんの気持ちを考えていなかったのかも。ううん、考えるフリをしていたんだ。
落ち込む私に、千恵ちゃんは軽くうなずいた。
「ひょっとしたら不思議なラジオとの出会い、死んだはずの公志との出会い、自殺願望のある中学生、生きるのに絶望している小学生……全部は、ひょっとしたら茉奈果が成長するための試練かもしれないよ」
声には出さずに「私が成長するため……」とつぶやいた。そうだというふうに大きくうなずく千恵ちゃん。
「茉奈果自身がなにか変わろうとしないと、せっかくの出会いもムダになるかもしれん。前に公志が言ってくれたんだろう? 『茉奈果は平均点なんかじゃない』って」
そうだ……。
ラジオ局を見学しに行った日、彼が私を慰めてくれた言葉。千恵ちゃんに話をしていないと思ってたけれど、あの頃はこの家にもよく通ってたし相談に乗ってもらっていたのかも。
「でも……」
「その言葉はダメ。『でも』とか『どうせ』に続くのはマイナスな内容を意味する言葉なんよ。『どうせまんなかまなかだし』と言うのは、自分を守っているだけ。本気で変わろうと思うなら、与えられた試練を自分のためだと思うんだよ。そう思えば、相手に対する言葉や態度も変わってくる」
「また静佳ちゃんを傷つけてしまったらどうすればいいの?」
「そうなったら自分に言い聞かせるのさ。『おこがましい』って。アップに寄りすぎてピントが合わなくなったなら、感情を一度ズームアウトして全体を見るようにすればいいだけやて」
「そんなこと、私にできるのかな……」
「茉奈果だからできるんだよ。公志だけじゃなく、その女の子だって同じように悩んでいるんだろう?
そっちにもピントを合わせてあげなさい」
吸い殻で満タンの灰皿にタバコを押しつけて、千恵ちゃんは「それにね」と続ける。
「あたしも公志と同じで、これまで一度だって茉奈果を平均点だなんて思っちゃいないさ。誰よりもそう思っているのは、茉奈果自身かもね」
カッカッと笑ってから千恵ちゃんは椅子から立った。
「さぁ、もう帰りな。蛍さんに心配かけちゃいけないよ」
「……うん」
玄関を出る時に、千恵ちゃんの声が聞こえた。
「自分の目的のためじゃなく、その女の子の心と向き合いなさい。そうすれば、茉奈果を含めたみんなのためになるはずだから」
「わかった」
戸を閉めて歩き出すと、やはり帰り道の足取りは軽くなっていた。
たしかに、千恵ちゃんの言うことも一理ある。知らずに恩着せがましく突っ走っていたと気づかされた。公志はそれを感じて、さっきはあんなふうに厳しい口調になったのかも。
「おこがましい」
口に出してみると、魔法のように感情の波がおさまったみたい。
それぞれの立場になって考えることができれば、自分自身を変えられるかもしれない。
明日、もう一度病院へ行ってみよう。それは誰のためでもない。私がそうしたいから。
家に帰らずに立ち寄った私に、千恵ちゃんは開口一番、
「絶賛悩み中、って感じだね」
と言ってのけた。
表情だけで伝わっちゃうのはありがたいようでもあり、困ることでもある。
今日あった出来事を話している間、いつものごとく新聞を見ている千恵ちゃん。ジャイロ磐田はまだ負け続けているらしく、五月一日の新聞のままだ。
ひととおり話が終わった私に千恵ちゃんは老眼鏡を取ると、
「情けないね」
と、言ってのけた。
「それって私が?」
「他に誰がおるんやて。今日の茉奈果の敗因は、視野が狭すぎること。これに尽きるわ」
「狭くなんかないもん」
全面支持はありえなくとも、少しくらいは慰めてくれると思っていただけに驚いてしまう。少しの反抗を試みるけど、
「そういうところが狭い」
と、一蹴されてしまいムスッと押し黙る。
初めから期待はしていなかったけれど、静佳ちゃん、公志ときてさらに千恵ちゃんにまで悪者扱いされているようで悲しくなる。
そう、普段の私ならば攻撃されると悲しみの感情に支配されるのに、今日は変だった。公志にあんなふうに怒ったのは初めてのことで、今頃になって自己嫌悪が顔を出している。
千恵ちゃんはタバコを口にくわえライターで火をつけると、大きく吸い込んでから煙を吐き出した。
「いいかい茉奈果。物事は近づきすぎると見えなくなるんだよ。公志の役に立ちたいと思うがあまり、全体像を見失っているのかもしれんね」
白い煙の向こうで話す声に首を振って否定する。
「全体像ってどういうこと? 私は公志のために——」
「そこだよ。公志のためだけに手伝っているという考えはやめたほうがいい」
意味がわからない忠告に返事ができずにいると、千恵ちゃんはまたおいしそうにタバコを吸った。
「“おこがましい”って言葉を覚えるといい。意味は、“差し出がましい”とか“身の程知らず”ってことさね」
「私がそうだって言うの?」
「話は最後まで聞きなさいっていつも言ってるだろう? この言葉は他人から言われる言葉じゃない。自分自身で思う時に使う言葉やて。茉奈果はね、誰かのためにやっていることを無意識で表に出しすぎてるんだよ。小学生でもわかるくらいだから、相当だろうね」
そう言った千恵ちゃんは、言葉とは逆にやさしい目になった。
「公志のために必死になる気持ちはわかるよ。けれど、その思いにとらわれすぎて全体像が見えなくなっている。ちゃんと、その女の子のことも考えてあげないと」
たしかに……私は公志を助けたい一心で、静佳ちゃんの気持ちを考えていなかったのかも。ううん、考えるフリをしていたんだ。
落ち込む私に、千恵ちゃんは軽くうなずいた。
「ひょっとしたら不思議なラジオとの出会い、死んだはずの公志との出会い、自殺願望のある中学生、生きるのに絶望している小学生……全部は、ひょっとしたら茉奈果が成長するための試練かもしれないよ」
声には出さずに「私が成長するため……」とつぶやいた。そうだというふうに大きくうなずく千恵ちゃん。
「茉奈果自身がなにか変わろうとしないと、せっかくの出会いもムダになるかもしれん。前に公志が言ってくれたんだろう? 『茉奈果は平均点なんかじゃない』って」
そうだ……。
ラジオ局を見学しに行った日、彼が私を慰めてくれた言葉。千恵ちゃんに話をしていないと思ってたけれど、あの頃はこの家にもよく通ってたし相談に乗ってもらっていたのかも。
「でも……」
「その言葉はダメ。『でも』とか『どうせ』に続くのはマイナスな内容を意味する言葉なんよ。『どうせまんなかまなかだし』と言うのは、自分を守っているだけ。本気で変わろうと思うなら、与えられた試練を自分のためだと思うんだよ。そう思えば、相手に対する言葉や態度も変わってくる」
「また静佳ちゃんを傷つけてしまったらどうすればいいの?」
「そうなったら自分に言い聞かせるのさ。『おこがましい』って。アップに寄りすぎてピントが合わなくなったなら、感情を一度ズームアウトして全体を見るようにすればいいだけやて」
「そんなこと、私にできるのかな……」
「茉奈果だからできるんだよ。公志だけじゃなく、その女の子だって同じように悩んでいるんだろう?
そっちにもピントを合わせてあげなさい」
吸い殻で満タンの灰皿にタバコを押しつけて、千恵ちゃんは「それにね」と続ける。
「あたしも公志と同じで、これまで一度だって茉奈果を平均点だなんて思っちゃいないさ。誰よりもそう思っているのは、茉奈果自身かもね」
カッカッと笑ってから千恵ちゃんは椅子から立った。
「さぁ、もう帰りな。蛍さんに心配かけちゃいけないよ」
「……うん」
玄関を出る時に、千恵ちゃんの声が聞こえた。
「自分の目的のためじゃなく、その女の子の心と向き合いなさい。そうすれば、茉奈果を含めたみんなのためになるはずだから」
「わかった」
戸を閉めて歩き出すと、やはり帰り道の足取りは軽くなっていた。
たしかに、千恵ちゃんの言うことも一理ある。知らずに恩着せがましく突っ走っていたと気づかされた。公志はそれを感じて、さっきはあんなふうに厳しい口調になったのかも。
「おこがましい」
口に出してみると、魔法のように感情の波がおさまったみたい。
それぞれの立場になって考えることができれば、自分自身を変えられるかもしれない。
明日、もう一度病院へ行ってみよう。それは誰のためでもない。私がそうしたいから。