「そんなこともあるさね」
新聞を眺めながら、この間と同じことを言う千恵ちゃんに頬を膨らませた。 千恵ちゃんは『ジャイロ磐田快勝』の見出しが躍る記事を、今日も穴が空くくらい見ている。
本格的な夏がきそうな暑さの夕暮れ。なのに、まだ窓から見える空には、この部屋の壁と同じくらい青い空が広がっている。
「でも、どうしてラジオから勇気くんの声が聴こえたんだろう?」
千恵ちゃんに尋ねてみる。
あの日からずっと考えている疑問の答えは見つからないまま。公志の声だけでなく、生きている勇気くんの声まで伝えたあのラジオ。不思議なラジオ、という結論で済ませていいのかな……。
ようやく老眼鏡を外した千恵ちゃんが、「まあ」と口を開いた。
「なにか意味はあるんだろうね」
「勇気くんの声が聴こえたことに?」
「そう考えるのが普通だろ? それ以来、声は聴こえてないのかい?」
あの豪雨の夜から一週間が過ぎようとしていた。毎晩公志とラジオの前で待機しているけれど、本体に電源が入ることはなかった。
最近では気づけば私は先に寝てしまっていて、眠気のこない公志が見張り番をしてくれているほど。初めはふたりきりでいることに緊張もしたけれど、慣れとはおそろしいもので、今では平気で熟睡できるようになっていた。
「公志は、例の探し物についてはなんと言っとる?」
「思い出せないみたい。勇気くんの声が聴こえたことにも心当たりがないって」
「ふーん」
鼻を鳴らして千恵ちゃんは少し考えるように目を閉じた。答えが出るのを待つ間、千恵ちゃんが読んでいた新聞を何気なく見る。
……あれ?
『ジャイロ磐田快勝』の見出しに違和感を覚えた。
くるたびに千恵ちゃんが眺めているけれど、毎回同じ見出しってことがあるのだろうか?
そういえばカラーの写真も、前に見たものと似ている。デジャヴかと錯覚しそうになり、紙面をじっと観察すると、
【五月一日】
右上に明朝体で書かれた文字が目に入って息を呑んだ。もうすぐ七月になるから、これは二カ月近く前の新聞だ。まだ目を閉じている千恵ちゃんを見て、ひとつの考えが浮かんだ。
——ひょっとして……認知症がはじまっている?
今日が何日かもわからなくなって、同じ新聞ばかりを見ているのかもしれない。
そう考えれば、二階にあったたくさんの古い本や家電も納得がいく。前に見たテレビで、ゴミ屋敷の住人が認知症だと診断されていたっけ……。
ああ、どうしよう。
ひとりでオロオロしていると、千恵ちゃんと目が合った。
「あ……」
短く声をあげた私に、千恵ちゃんは「言っておくけど」と私をまっすぐに指さす。
「最近のジャイロは負けてばかりだから、そんな試合結果が載った新聞なんて見たくないだけやて。最後に勝った日の新聞を次に勝つまで読む、それがあたしのポリシーだよ」
「あ、うん」
「どうせ、ボケたとか思ってたんだら? 残念ながら、あたしはまだまだしっかりしてるからね」
してやったり顔でにらんでくるので、両手を上げて降参のポーズをとった。なんて紛らわしいポリシーなのだろう。
気が済んだのか、千恵ちゃんはタバコを口にくわえた。
「次のラジオからの声を待つしかないと思うわ」
「やっぱそうかぁ」
話が戻りホッとしてうなずいた。
「まあ、次の声が生きている人からなのか、死んでいる人からなのかはわからんけれど、誰かに助けを求めているんだろうね。だからこそラジオが伝えてくれたんよ」
公志と勇気くんに共通しているのは、助けを求めていたってことだ。
なんとなく納得した私に、千恵ちゃんはほほ笑む。
「茉奈果が思ったようにやってみなさい」
「思ったように……」
繰り返す私に、千恵ちゃんは満足そうに白い煙を吐いた。煙が部屋を漂っていくのを見て思う。
——声が聴こえれば、公志との別れがまた一日早くなる。
悲しい予感が、部屋を包んでいるようだった。
新聞を眺めながら、この間と同じことを言う千恵ちゃんに頬を膨らませた。 千恵ちゃんは『ジャイロ磐田快勝』の見出しが躍る記事を、今日も穴が空くくらい見ている。
本格的な夏がきそうな暑さの夕暮れ。なのに、まだ窓から見える空には、この部屋の壁と同じくらい青い空が広がっている。
「でも、どうしてラジオから勇気くんの声が聴こえたんだろう?」
千恵ちゃんに尋ねてみる。
あの日からずっと考えている疑問の答えは見つからないまま。公志の声だけでなく、生きている勇気くんの声まで伝えたあのラジオ。不思議なラジオ、という結論で済ませていいのかな……。
ようやく老眼鏡を外した千恵ちゃんが、「まあ」と口を開いた。
「なにか意味はあるんだろうね」
「勇気くんの声が聴こえたことに?」
「そう考えるのが普通だろ? それ以来、声は聴こえてないのかい?」
あの豪雨の夜から一週間が過ぎようとしていた。毎晩公志とラジオの前で待機しているけれど、本体に電源が入ることはなかった。
最近では気づけば私は先に寝てしまっていて、眠気のこない公志が見張り番をしてくれているほど。初めはふたりきりでいることに緊張もしたけれど、慣れとはおそろしいもので、今では平気で熟睡できるようになっていた。
「公志は、例の探し物についてはなんと言っとる?」
「思い出せないみたい。勇気くんの声が聴こえたことにも心当たりがないって」
「ふーん」
鼻を鳴らして千恵ちゃんは少し考えるように目を閉じた。答えが出るのを待つ間、千恵ちゃんが読んでいた新聞を何気なく見る。
……あれ?
『ジャイロ磐田快勝』の見出しに違和感を覚えた。
くるたびに千恵ちゃんが眺めているけれど、毎回同じ見出しってことがあるのだろうか?
そういえばカラーの写真も、前に見たものと似ている。デジャヴかと錯覚しそうになり、紙面をじっと観察すると、
【五月一日】
右上に明朝体で書かれた文字が目に入って息を呑んだ。もうすぐ七月になるから、これは二カ月近く前の新聞だ。まだ目を閉じている千恵ちゃんを見て、ひとつの考えが浮かんだ。
——ひょっとして……認知症がはじまっている?
今日が何日かもわからなくなって、同じ新聞ばかりを見ているのかもしれない。
そう考えれば、二階にあったたくさんの古い本や家電も納得がいく。前に見たテレビで、ゴミ屋敷の住人が認知症だと診断されていたっけ……。
ああ、どうしよう。
ひとりでオロオロしていると、千恵ちゃんと目が合った。
「あ……」
短く声をあげた私に、千恵ちゃんは「言っておくけど」と私をまっすぐに指さす。
「最近のジャイロは負けてばかりだから、そんな試合結果が載った新聞なんて見たくないだけやて。最後に勝った日の新聞を次に勝つまで読む、それがあたしのポリシーだよ」
「あ、うん」
「どうせ、ボケたとか思ってたんだら? 残念ながら、あたしはまだまだしっかりしてるからね」
してやったり顔でにらんでくるので、両手を上げて降参のポーズをとった。なんて紛らわしいポリシーなのだろう。
気が済んだのか、千恵ちゃんはタバコを口にくわえた。
「次のラジオからの声を待つしかないと思うわ」
「やっぱそうかぁ」
話が戻りホッとしてうなずいた。
「まあ、次の声が生きている人からなのか、死んでいる人からなのかはわからんけれど、誰かに助けを求めているんだろうね。だからこそラジオが伝えてくれたんよ」
公志と勇気くんに共通しているのは、助けを求めていたってことだ。
なんとなく納得した私に、千恵ちゃんはほほ笑む。
「茉奈果が思ったようにやってみなさい」
「思ったように……」
繰り返す私に、千恵ちゃんは満足そうに白い煙を吐いた。煙が部屋を漂っていくのを見て思う。
——声が聴こえれば、公志との別れがまた一日早くなる。
悲しい予感が、部屋を包んでいるようだった。