夜ご飯が終わりお風呂に入り、部屋に戻っても公志の姿はなかった。
もうすぐ午後九時になろうとしている。
今頃、武田さんと会っているのかな……。でも武田さんに公志の姿は見えないだろうし、どんなに彼が話しかけても届かない。
「なんだか切ないな」
今の私には公志の恋を応援する強さはないし、武田さんとは今日もひとことも話をしていない。だけど、ふたりの悲しみに同調しそうになる。
電気を消してベッドに横になった。目を閉じると、静かな雨の音が子守歌のように聞こえる——。
「おい」
「……ん?」
「おいってば」
「……なに?」
うっすら目を開けると、私の顔をのぞき込んでいる公志の顔が近い。
「キャッ」
思わず声を出すと、人差し指を口に当てて「しー」と注意される。
「ビックリさせないでよ」
文句を口にして気づく。いつの間にか眠ってたんだ……。
「今、何時?」
ドキドキする胸を落ち着かせて尋ねると、
「十一時を過ぎたところ」
少し顔を離した公志の顔半分が、オレンジに染まっている。
あれ……電気を消したはずじゃ……。そこまで考えて、ハッと飛び起きた。
「帰ってきたら光ってたんだ」
公志の視線の先には、ゆらゆらと光っているラジオ。
ジジッ ジジ
ノイズを発している向こうで、誰かの声が聴こえた。慌ててラジオの前に行くと、すぐ隣に公志も並んだ。
「なんだか、生きてるみたいだな」
冗談っぽく言う公志に、今度は私が人差し指を口に当ててみせるとムッとした顔をしている。笑いながら、コーティングがまたひと塗り重ねられたことを感じる。
耳を澄ますと、徐々にノイズは小さくなる。
《もう……たい……》
まだ声変わりもしていないような男の子の声が聴こえた。ノイズが消え、音がクリアになっていくなか、
《もう、死んでしまいたい》
と、はっきり男の子の声が聴こえた。
「おい……これって」
公志が私を見てくるけれど、眉をひそめることしかできなかった。
死んでしまいたい、ということはまだ彼は生きているってことになる。霊界とつながるラジオだと思っていたから、この展開は意外すぎた。
《みんなキライだ。クラスのみんなも、赤メガネもみんなキライ》
男の子の言葉のなかに、聞き覚えのある単語を見つけた私は、思わずその疑問を口に出していた。
「今、“赤メガネ”って言った?」
隣を見ると、公志も思い当たったらしく、
「赤メガネって、安藤先生のことか?」
と質問で返すのでうなずいた。
安藤先生とは、中学の時の私の担任の先生だ。赤いメガネをかけていて『赤メガネ』と生徒から陰で呼ばれていた。
「てことは、俺たちが通ってた中学校の生徒ってことか」
公志が同意を求めてきたその時、
パタン パタン
と、床を踏み鳴らす音がラジオから聴こえた。この声の主は今、歩いているのかもしれない。
《もう死んでしまいたい……。家も学校も、ぜんぶキライだ》
はあはあ、と息を切らしながら彼がブツブツとつぶやいている。やがて、ガチャガチャとカギを開けるような音がした。
「こいつ、どこにいるんだろう」
公志と同じことを私も思っていた。なんとなく耳にしたことのある音のような気がする……。じっと音に集中していると、
《死んでしまおう……死のう》
震える声がすぐそばで聴こえ、ゾッとした。
「この子、自殺しようとしているんじゃ……」
口に出した推測が正しく思え、すがるように公志を見た。ギイイイと、扉を開けるような音に続いて、
ザザザザ
と、すごい雑音が耳を襲った。ノイズかと思ったけれど、違う。
思わず窓のほうを振り向いた。これは……雨の音だ。彼は重い扉を開けて雨降る外に出たんだ。さっきの歩く音は、ひょっとしたら階段をのぼっている足音かも……。
「ねえ、これって中学校の屋上なんじゃない?」
「まさか」
半笑いで返した公志の顔が、徐々に真顔になる。
「おい、マジかよ……」
「どうすればいいの?」
「俺に聞いたってわかんねぇよ」
投げやりな公志に反して、私は無意識に立ち上がっていた。
「どうすんだよ」
「わからない。だけど、このまま放っておいちゃいけないのはたしかだと思う」
パジャマを着替えようとして気づく。
「あっち向いてて!」
「あ、ああ」
慌てて身体ごと壁を向く公志を確認して、急いで着替える。
「絶対見ないでよ」
「見るかよ」
着替え終わった私は、手ぶらのまま音を立てないように一階に降りる。寝室でもうお母さんたちは寝ているらしい。そっと外に出ると、ひどい雨が降っている。
「行くのか?」
雨のなかに入っても、公志は濡れない。身体を雨がすり抜けているみたい。
「とにかく行くしかないよ。考えるのはそれからにする」
——どうか、間に合って。
強く願いながら、傘をさして飛び出した。
もうすぐ午後九時になろうとしている。
今頃、武田さんと会っているのかな……。でも武田さんに公志の姿は見えないだろうし、どんなに彼が話しかけても届かない。
「なんだか切ないな」
今の私には公志の恋を応援する強さはないし、武田さんとは今日もひとことも話をしていない。だけど、ふたりの悲しみに同調しそうになる。
電気を消してベッドに横になった。目を閉じると、静かな雨の音が子守歌のように聞こえる——。
「おい」
「……ん?」
「おいってば」
「……なに?」
うっすら目を開けると、私の顔をのぞき込んでいる公志の顔が近い。
「キャッ」
思わず声を出すと、人差し指を口に当てて「しー」と注意される。
「ビックリさせないでよ」
文句を口にして気づく。いつの間にか眠ってたんだ……。
「今、何時?」
ドキドキする胸を落ち着かせて尋ねると、
「十一時を過ぎたところ」
少し顔を離した公志の顔半分が、オレンジに染まっている。
あれ……電気を消したはずじゃ……。そこまで考えて、ハッと飛び起きた。
「帰ってきたら光ってたんだ」
公志の視線の先には、ゆらゆらと光っているラジオ。
ジジッ ジジ
ノイズを発している向こうで、誰かの声が聴こえた。慌ててラジオの前に行くと、すぐ隣に公志も並んだ。
「なんだか、生きてるみたいだな」
冗談っぽく言う公志に、今度は私が人差し指を口に当ててみせるとムッとした顔をしている。笑いながら、コーティングがまたひと塗り重ねられたことを感じる。
耳を澄ますと、徐々にノイズは小さくなる。
《もう……たい……》
まだ声変わりもしていないような男の子の声が聴こえた。ノイズが消え、音がクリアになっていくなか、
《もう、死んでしまいたい》
と、はっきり男の子の声が聴こえた。
「おい……これって」
公志が私を見てくるけれど、眉をひそめることしかできなかった。
死んでしまいたい、ということはまだ彼は生きているってことになる。霊界とつながるラジオだと思っていたから、この展開は意外すぎた。
《みんなキライだ。クラスのみんなも、赤メガネもみんなキライ》
男の子の言葉のなかに、聞き覚えのある単語を見つけた私は、思わずその疑問を口に出していた。
「今、“赤メガネ”って言った?」
隣を見ると、公志も思い当たったらしく、
「赤メガネって、安藤先生のことか?」
と質問で返すのでうなずいた。
安藤先生とは、中学の時の私の担任の先生だ。赤いメガネをかけていて『赤メガネ』と生徒から陰で呼ばれていた。
「てことは、俺たちが通ってた中学校の生徒ってことか」
公志が同意を求めてきたその時、
パタン パタン
と、床を踏み鳴らす音がラジオから聴こえた。この声の主は今、歩いているのかもしれない。
《もう死んでしまいたい……。家も学校も、ぜんぶキライだ》
はあはあ、と息を切らしながら彼がブツブツとつぶやいている。やがて、ガチャガチャとカギを開けるような音がした。
「こいつ、どこにいるんだろう」
公志と同じことを私も思っていた。なんとなく耳にしたことのある音のような気がする……。じっと音に集中していると、
《死んでしまおう……死のう》
震える声がすぐそばで聴こえ、ゾッとした。
「この子、自殺しようとしているんじゃ……」
口に出した推測が正しく思え、すがるように公志を見た。ギイイイと、扉を開けるような音に続いて、
ザザザザ
と、すごい雑音が耳を襲った。ノイズかと思ったけれど、違う。
思わず窓のほうを振り向いた。これは……雨の音だ。彼は重い扉を開けて雨降る外に出たんだ。さっきの歩く音は、ひょっとしたら階段をのぼっている足音かも……。
「ねえ、これって中学校の屋上なんじゃない?」
「まさか」
半笑いで返した公志の顔が、徐々に真顔になる。
「おい、マジかよ……」
「どうすればいいの?」
「俺に聞いたってわかんねぇよ」
投げやりな公志に反して、私は無意識に立ち上がっていた。
「どうすんだよ」
「わからない。だけど、このまま放っておいちゃいけないのはたしかだと思う」
パジャマを着替えようとして気づく。
「あっち向いてて!」
「あ、ああ」
慌てて身体ごと壁を向く公志を確認して、急いで着替える。
「絶対見ないでよ」
「見るかよ」
着替え終わった私は、手ぶらのまま音を立てないように一階に降りる。寝室でもうお母さんたちは寝ているらしい。そっと外に出ると、ひどい雨が降っている。
「行くのか?」
雨のなかに入っても、公志は濡れない。身体を雨がすり抜けているみたい。
「とにかく行くしかないよ。考えるのはそれからにする」
——どうか、間に合って。
強く願いながら、傘をさして飛び出した。