昨日は、久しぶりに深い眠りにつくことができた。
朝起きても、ラジオで公志の声を聴いたことは現実に起きたことと信じていた。だってあんなリアルな夢、絶対にないから。
曇り空の下、久しぶりに登校した私にみんなが声をかけてくれた。
「ありがとう。もう大丈夫」
笑顔を作るのには少し苦労したけれど、席につくとすぐに違和感が襲った。
右にあったはずの公志の席には、ひとつうしろだったはずの男子が座っていた。前にずれたらしく、いちばんうしろの席はなかった。
「大丈夫?」
席につくなり尋ねた真梨に、戸惑いながらうなずいた。
「初七日までは机に花を飾ってあったんだけどね……」
私の杞憂を察してか、教えてくれた真梨に「うん」と答えた。
さっきまで私を心配してくれていた女子は、もうテレビの話題で笑い声を立てている。公志と仲がよかった男子も、他のクラスメイトと駅前にできた新しい店の話で盛り上がっている。
……公志がいなくても、毎日は続いているんだ。
言葉にしなくともみんなの心の奥底には、クラスメイトを失った悲しみがあるのだろう。
それでも、楽しそうな笑い声に耳をふさぎたくなった。
授業がはじまっても休み時間になっても、誰ひとり欠けたクラスメイトのことを口にしない。まるで、最初からいなかったかのように。
お昼の放送も担当が変わったらしく、夏休みの過ごし方を冗談交じりに話している。公志だったらもっと上手なのに。
午後からの授業も、先生の冗談でみんなが笑うたびに泣きたくなった。
——公志はまだ存在している。
「そうだ……」
昨晩、公志が私に伝えた言葉。
《俺が見える、と明日心から信じてみてほしい》
日常に戻っている光景に唖然としてしまって、実行するのを忘れていた。
そうだよ、公志はまだここにいる。私だけは信じているから。
丸々と太ったメガネの先生がまたジョークを飛ばし、教室に小さな笑いが生まれた。それを無視して、私は目を閉じ両手を祈るように組んだ。
「私には公志が見える。公志のことが見える」
何度もつぶやいてからそっと目を開けると、真梨が振り向いていた。
「ちょっと、大丈夫?」
小声で心配そうに聞いてくる。ひとり言をブツブツ言ってるから変に思われてしまったのかも。
「ごめん。違うの、あのね……」
言い訳を考えつつ黒板のあたりを見た私は、瞬時に息が吸えなくなった。
黒板に向かっている先生の前にある教壇。その上に座って足を投げ出している男子生徒がいた。
それは間違いなく公志だった。
ガタッ!
椅子が大きく鳴る。
気づけば私は立ち上がっていた。きっと、みんなビックリした顔をしているだろう。
けれど、まっすぐに公志しか見えない。息が荒くなり、苦しくて胸を押さえた。彼は今、にこやかな笑みで窓のほうを眺めている。目を線にして穏やかな表情。
「公志……」
つぶやく声に、周りから「えっ」というざわめきが生まれたけど、視線を外すことができない。幻なんかじゃないと信じられるのは、私の呼びかけに公志がゆっくりと視線を合わせてくれたから。
——公志がきてくれた。やっぱりあのラジオからの声は本物だったんだ!
近づこうとした私の肩を、
「どうしたの?」
と、いつの間にか立ち上がっていた真梨がつかんできた。公志が見えなくなり、押しのけようとしたけれど、真梨は動いてくれなかった。
「どうした、高橋」
ヒソヒソ話が大きくなっていき、先生が問いかける。 みんなに公志は見えないんだ……。
「保健室」
よく通る声にハッとして見ると、教壇から軽やかに降り立った公志が指先を床に向けていた。公志がイタズラっぽい笑みを浮かべている……。
でも『保健室』ってどういう意味? 保健室……。
あ、そうかとようやく公志の意図する内容を理解した私は、ごくりとつばを飲み込んだ。
ふと周りを見渡すと、みんなが私をじっと見ていることに、ようやく気づいた。みんなに、おかしくなったと思われてはいけない。
「あの、先生……。具合が悪くて、保健室に行かせてもらっていいですか?」
気弱な声で言うと、それが病気っぽく聞こえたのか、先生はすんなりOKを出してくれた。
ついてこようとする真梨に「大丈夫だから」と断ると、だるそうな演技をしながら教室の外に出る。だけど、胸の鼓動は聞こえるくらいドキドキしていた。
廊下を見回すけれど、公志の姿はどこにもない。たしかにいたはずなのに。
早足で廊下を歩き、階段を降りる。一階まできた私は、もう保健室まで走り出していた。
保健室の外には【授業中で不在です】のプレートがかかっていた。なかに入るとやはり先生はおらず、三つあるベッドも空いていた。
「公志?」
見回して尋ねるけれど、無人の保健室に姿はない。
「どこにいるの……?」
狭い保健室に隠れられそうな場所もなく途方に暮れる。
それでもまだ信じていた。公志が言ったとおり、存在を信じたら姿を見せてくれたから。
ベッドに腰をおろして息を整えていると、
「お待たせ」
と、声が聴こえた。耳になじんだ私の大好きな声。
ゆるやかな足取りで近づいてきた公志に思わずハッと息を呑んだ。
——やっぱり生きてたの? ぜんぶ、悪い冗談だったの!?
「公志、公志!」
手を伸ばして抱きしめようとした私は、そのままベッドから派手に落ち、思いっきり両手を床について転げた。
「痛いっ」
「生きている人には触れないみたいなんだよ」
両膝をついたまま振り返ると、困った顔をしている。
「……触れないって?」
「浮遊霊ってやつ? なんかわかんないけど、誰も俺の姿は見えてないみたい」
肩をすくめている公志を見上げると、涙が込み上げてきた。
よく見ると、公志の身体は少し薄い色になっていた。
それでもいいよ、こうして現れてくれたんだから。会いたかった、と言おうとしてギリギリのところで口を閉じた。
例えこの世にいなくても彼は武田さんのものだから、そんなこと言ってしまっては迷惑がかかるだろう。
気持ちを抑えてベッドに腰かけると、当然のように隣に座る公志。ベッドとかの物には座れるんだ……。
「なんかさ、俺、死んじまったみたいなんだよ」
世間話でもするかのような口調に、こんな非現実な状況にもかかわらず思わず笑ってしまった。
「なにそれ」
「いや、あっという間だったからさ、最初は意味わかんねぇってなったよ。気づけば俺の葬式をやってんだぜ」
ああ、たしかに隣にいるのは公志なんだ。ジンと心がしびれて涙が出そうになるのを必死にこらえた。
「ずっとこのあたりをさまよっていたの?」
「いや。こんな機会ないだろうから、一日中ラジオを聴いてた」
あっけらかんとした言い方に、笑い声をあげてしまう。
「公志らしいね」
そう、私たちはいつもこんなふうだった。くだらない話でお互いにツッコミを入れたり笑ったり。あの日々と同じようにできることが、こんなにもうれしい。
だけど……。公志はもう死んじゃったんだよね?
「おい」
呼ばれて横を見ると、公志の身体はさっきよりも薄くなっていた。
「言ったろ? 今は俺の存在を信じろって。そんな暗い顔してたら、見えなくなるぞ」
「そういうものなの?」
焦って今一度『公志が存在する』と心に言い聞かせると、また輪郭がはっきりしたのでホッと胸をなでおろす。
「よくわかんねぇけどさ、とにかく探し物を探さなくちゃあの世に行けないみたいなんだよ」
「ラジオでも言ってたよね? なにを探しているの?」
うーん、と両腕を組んだ公志が首をひねった。
「俺もわからないんだ。でも、それを見つけなくちゃいけない気はしている」
探さなくていいよ……。
うなずきながら、そう思った。
見つからないなら、ずっとここにいられるんでしょう? だったら、探さないでここにいてほしい。
例え誰かのものでもこの世には存在しなくても、ここにいる限りは私だけの公志なのだから。
「時間がないのもわかるんだ」
公志の言葉に「時間?」と聞き返すと、彼は立ち上がり向かい側の壁にもたれた。
「こうしている間にも、あっちの世界に連れていかれそうな気がしている。なんだか苦しいし、身体もひどくだるい。たぶん、本当に時間がないと思う」
たしかに、少し顔をゆがめている公志にいつもの元気はなかった。
「だから茉奈果、手伝ってくれないか?」
「私になにができるの? 私なんかよりもっと役に立ってくれる人はいると思うよ」
本心だった。だって私はなにをやっても平均点だから、公志の足を引っ張ってしまうかもしれない。最後に公志にまで、まんなかまなかだと思われたくないよ。
「バカ」
公志の声に顔を上げた。
「俺はお前にお願いしてるんだ。他にこんなこと頼めるヤツなんていない」
大好きな公志が、私をまっすぐに見ている。
ふ、と笑ってから私もベッドから降りた。
「しょうがない、手伝ってあげるよ」
好きな気持ちを隠して、恩着せがましく言うと、
「サンキュ」
うれしそうに公志は白い歯を見せた。
……これでいいんだ。
自分の気持ちは表に出さずに、幼なじみらしく協力をしなくちゃ。そう、思った。
朝起きても、ラジオで公志の声を聴いたことは現実に起きたことと信じていた。だってあんなリアルな夢、絶対にないから。
曇り空の下、久しぶりに登校した私にみんなが声をかけてくれた。
「ありがとう。もう大丈夫」
笑顔を作るのには少し苦労したけれど、席につくとすぐに違和感が襲った。
右にあったはずの公志の席には、ひとつうしろだったはずの男子が座っていた。前にずれたらしく、いちばんうしろの席はなかった。
「大丈夫?」
席につくなり尋ねた真梨に、戸惑いながらうなずいた。
「初七日までは机に花を飾ってあったんだけどね……」
私の杞憂を察してか、教えてくれた真梨に「うん」と答えた。
さっきまで私を心配してくれていた女子は、もうテレビの話題で笑い声を立てている。公志と仲がよかった男子も、他のクラスメイトと駅前にできた新しい店の話で盛り上がっている。
……公志がいなくても、毎日は続いているんだ。
言葉にしなくともみんなの心の奥底には、クラスメイトを失った悲しみがあるのだろう。
それでも、楽しそうな笑い声に耳をふさぎたくなった。
授業がはじまっても休み時間になっても、誰ひとり欠けたクラスメイトのことを口にしない。まるで、最初からいなかったかのように。
お昼の放送も担当が変わったらしく、夏休みの過ごし方を冗談交じりに話している。公志だったらもっと上手なのに。
午後からの授業も、先生の冗談でみんなが笑うたびに泣きたくなった。
——公志はまだ存在している。
「そうだ……」
昨晩、公志が私に伝えた言葉。
《俺が見える、と明日心から信じてみてほしい》
日常に戻っている光景に唖然としてしまって、実行するのを忘れていた。
そうだよ、公志はまだここにいる。私だけは信じているから。
丸々と太ったメガネの先生がまたジョークを飛ばし、教室に小さな笑いが生まれた。それを無視して、私は目を閉じ両手を祈るように組んだ。
「私には公志が見える。公志のことが見える」
何度もつぶやいてからそっと目を開けると、真梨が振り向いていた。
「ちょっと、大丈夫?」
小声で心配そうに聞いてくる。ひとり言をブツブツ言ってるから変に思われてしまったのかも。
「ごめん。違うの、あのね……」
言い訳を考えつつ黒板のあたりを見た私は、瞬時に息が吸えなくなった。
黒板に向かっている先生の前にある教壇。その上に座って足を投げ出している男子生徒がいた。
それは間違いなく公志だった。
ガタッ!
椅子が大きく鳴る。
気づけば私は立ち上がっていた。きっと、みんなビックリした顔をしているだろう。
けれど、まっすぐに公志しか見えない。息が荒くなり、苦しくて胸を押さえた。彼は今、にこやかな笑みで窓のほうを眺めている。目を線にして穏やかな表情。
「公志……」
つぶやく声に、周りから「えっ」というざわめきが生まれたけど、視線を外すことができない。幻なんかじゃないと信じられるのは、私の呼びかけに公志がゆっくりと視線を合わせてくれたから。
——公志がきてくれた。やっぱりあのラジオからの声は本物だったんだ!
近づこうとした私の肩を、
「どうしたの?」
と、いつの間にか立ち上がっていた真梨がつかんできた。公志が見えなくなり、押しのけようとしたけれど、真梨は動いてくれなかった。
「どうした、高橋」
ヒソヒソ話が大きくなっていき、先生が問いかける。 みんなに公志は見えないんだ……。
「保健室」
よく通る声にハッとして見ると、教壇から軽やかに降り立った公志が指先を床に向けていた。公志がイタズラっぽい笑みを浮かべている……。
でも『保健室』ってどういう意味? 保健室……。
あ、そうかとようやく公志の意図する内容を理解した私は、ごくりとつばを飲み込んだ。
ふと周りを見渡すと、みんなが私をじっと見ていることに、ようやく気づいた。みんなに、おかしくなったと思われてはいけない。
「あの、先生……。具合が悪くて、保健室に行かせてもらっていいですか?」
気弱な声で言うと、それが病気っぽく聞こえたのか、先生はすんなりOKを出してくれた。
ついてこようとする真梨に「大丈夫だから」と断ると、だるそうな演技をしながら教室の外に出る。だけど、胸の鼓動は聞こえるくらいドキドキしていた。
廊下を見回すけれど、公志の姿はどこにもない。たしかにいたはずなのに。
早足で廊下を歩き、階段を降りる。一階まできた私は、もう保健室まで走り出していた。
保健室の外には【授業中で不在です】のプレートがかかっていた。なかに入るとやはり先生はおらず、三つあるベッドも空いていた。
「公志?」
見回して尋ねるけれど、無人の保健室に姿はない。
「どこにいるの……?」
狭い保健室に隠れられそうな場所もなく途方に暮れる。
それでもまだ信じていた。公志が言ったとおり、存在を信じたら姿を見せてくれたから。
ベッドに腰をおろして息を整えていると、
「お待たせ」
と、声が聴こえた。耳になじんだ私の大好きな声。
ゆるやかな足取りで近づいてきた公志に思わずハッと息を呑んだ。
——やっぱり生きてたの? ぜんぶ、悪い冗談だったの!?
「公志、公志!」
手を伸ばして抱きしめようとした私は、そのままベッドから派手に落ち、思いっきり両手を床について転げた。
「痛いっ」
「生きている人には触れないみたいなんだよ」
両膝をついたまま振り返ると、困った顔をしている。
「……触れないって?」
「浮遊霊ってやつ? なんかわかんないけど、誰も俺の姿は見えてないみたい」
肩をすくめている公志を見上げると、涙が込み上げてきた。
よく見ると、公志の身体は少し薄い色になっていた。
それでもいいよ、こうして現れてくれたんだから。会いたかった、と言おうとしてギリギリのところで口を閉じた。
例えこの世にいなくても彼は武田さんのものだから、そんなこと言ってしまっては迷惑がかかるだろう。
気持ちを抑えてベッドに腰かけると、当然のように隣に座る公志。ベッドとかの物には座れるんだ……。
「なんかさ、俺、死んじまったみたいなんだよ」
世間話でもするかのような口調に、こんな非現実な状況にもかかわらず思わず笑ってしまった。
「なにそれ」
「いや、あっという間だったからさ、最初は意味わかんねぇってなったよ。気づけば俺の葬式をやってんだぜ」
ああ、たしかに隣にいるのは公志なんだ。ジンと心がしびれて涙が出そうになるのを必死にこらえた。
「ずっとこのあたりをさまよっていたの?」
「いや。こんな機会ないだろうから、一日中ラジオを聴いてた」
あっけらかんとした言い方に、笑い声をあげてしまう。
「公志らしいね」
そう、私たちはいつもこんなふうだった。くだらない話でお互いにツッコミを入れたり笑ったり。あの日々と同じようにできることが、こんなにもうれしい。
だけど……。公志はもう死んじゃったんだよね?
「おい」
呼ばれて横を見ると、公志の身体はさっきよりも薄くなっていた。
「言ったろ? 今は俺の存在を信じろって。そんな暗い顔してたら、見えなくなるぞ」
「そういうものなの?」
焦って今一度『公志が存在する』と心に言い聞かせると、また輪郭がはっきりしたのでホッと胸をなでおろす。
「よくわかんねぇけどさ、とにかく探し物を探さなくちゃあの世に行けないみたいなんだよ」
「ラジオでも言ってたよね? なにを探しているの?」
うーん、と両腕を組んだ公志が首をひねった。
「俺もわからないんだ。でも、それを見つけなくちゃいけない気はしている」
探さなくていいよ……。
うなずきながら、そう思った。
見つからないなら、ずっとここにいられるんでしょう? だったら、探さないでここにいてほしい。
例え誰かのものでもこの世には存在しなくても、ここにいる限りは私だけの公志なのだから。
「時間がないのもわかるんだ」
公志の言葉に「時間?」と聞き返すと、彼は立ち上がり向かい側の壁にもたれた。
「こうしている間にも、あっちの世界に連れていかれそうな気がしている。なんだか苦しいし、身体もひどくだるい。たぶん、本当に時間がないと思う」
たしかに、少し顔をゆがめている公志にいつもの元気はなかった。
「だから茉奈果、手伝ってくれないか?」
「私になにができるの? 私なんかよりもっと役に立ってくれる人はいると思うよ」
本心だった。だって私はなにをやっても平均点だから、公志の足を引っ張ってしまうかもしれない。最後に公志にまで、まんなかまなかだと思われたくないよ。
「バカ」
公志の声に顔を上げた。
「俺はお前にお願いしてるんだ。他にこんなこと頼めるヤツなんていない」
大好きな公志が、私をまっすぐに見ている。
ふ、と笑ってから私もベッドから降りた。
「しょうがない、手伝ってあげるよ」
好きな気持ちを隠して、恩着せがましく言うと、
「サンキュ」
うれしそうに公志は白い歯を見せた。
……これでいいんだ。
自分の気持ちは表に出さずに、幼なじみらしく協力をしなくちゃ。そう、思った。