「公志……」
記憶のフィルムを閉じ、暗い部屋でベッドに横になる。
笑うなんてムリだよ。だって今、公志はいないから……。
公志の言ったように、信じて努力すれば夢は叶うの? 私は公志にそばにいてほしい。『俺がそばにいるから』って言ってくれたのに、どこへ行ってしまったの? 守れない約束なら、しなきゃよかったのに。
「ウソつき……」
つぶやいたその時だった。
パチンッ
機械のスイッチ音が耳に届き、壁のほうからぼわっとした明かりが生まれた。
光のほうを見ると、カラーボックスの上に置いたままだった古いラジオがあった。オレンジ色の光が本体全部を包んでいる。
「え……なに、これ?」
てっきり壊れていると思って、そのまま放置していたっけ……。
ベッドから起き上がってじっとその明かりを眺めていると、
ジジ ジジッ
と、ノイズが聴こえてきた。千恵ちゃんはラジオだと言っていたけど、やっぱり壊れているみたいで途切れ途切れのノイズだけが聴こえている。
ジジジ ジジッ
電源を切ろうと本体に近づいてみると、オレンジ色の光がゆらめき出した。四角い本体からゆらゆらと燃えているように見えて、息を呑んだ。
火事になったらどうしよう。急いで丸いつまみに触れようとした時、
《……茉奈……果》
スピーカー部分から声が聴こえた。
「ひゃっ」
驚きのあまり手を離すと、また、
《聴こえる? ……茉奈果?》
声が聴こえた。
「なに? え……なに?」
慌てて耳を澄まそうとする。
ブチン
遮断する音が聴こえ、見るともうラジオから放たれていた光は消えていた。
電源が落ちてしまったみたい……。
だけど、だけど!
「……今のは」
つぶやく声が震えていた。
ラジオの向こうから私を呼ぶ声。
それが……公志の声に聴こえたから。
「でね、公志の声だったと思うの」
テーブルに両手を置いて前のめりで力説する私に、千恵ちゃんは興味を示すことなく新聞を読んでいる。
「それで?」
「こんな不思議なことってあるの? でもその後は、どのスイッチを触っても聴こえなくなっちゃったの。ていうか、そもそもなんで公志の声がラジオから聴こえるの?」
「あたしに聞いたってわかるもんか」
「千恵ちゃんがくれたラジオでしょ。それともやっぱり私の頭がおかしくなっちゃったの?」
どうしようと顔をしかめる私を一瞥してから、千恵ちゃんはわざとらしくため息をつき、新聞をたたんだ。
「まあ、あのラジオはそういう役割なんやて」
「役割ってどういうこと? わかるように言ってよ」
「うるさい。ギャーギャーわめかないでおくれ」
背もたれに身体をあずけた千恵ちゃんにふくれっ面をすると、「やれやれ」と遠くを見つめた。
「あのラジオには不思議な秘密があると、あたしは思っている」
「不思議な、ってどういう——」
「黙って聞きなさい」
ジロッとにらまれて肩をすぼめる。満足そうにうなずいてから千恵ちゃんは、ゆっくりした動作でタバコに火をつけた。
梅雨の中休みの晴れた朝。差し込む朝陽が、タバコをくゆらす煙を光らせている。
「もう何十年も前の話だよ。あたしもあのラジオから不思議な声を聴いた。それがどんな内容でなにがあったのか、今となってはまったく思い出せないけれど、あのラジオに助けられた気がしているんだ」
濃いアイラインに縁どられた瞳を閉じて、千恵ちゃんはほほ笑んだ。
「キツネに化かされる、ってあるだろう? あれみたいな感じやて。終わった後は記憶を消されてしまうんかねぇ」
おかしそうに笑ってから、千恵ちゃんは私を見た。
「当時は何度も消えた記憶をたどろうとしたさ。だけど結局ムリなことがわかってからは、ずっと考えないようにしていたんよ。ラジオの存在すらも忘れてたっけね」 」
おいしそうにタバコを吸ってから、首をかしげる千恵ちゃん。
「なんで黙ってるんや?」
「……もうしゃべっていいの?」
「許可する」
手のひらで『どうぞ』と合図を出す千恵ちゃんに、私はさっきよりもさらに前のめりになった。
「ってことは、ラジオは霊界につながっているってこと?」
「知らんよ」
「私の名前を呼んでたんだよ。武田さんじゃなくて、私の名前だよ。私に助けを求めているってこと?」
「知らんて」
「すぐに途切れちゃったんだけど、もっと長く聴く方法はないの? ううん、そんなことより、ひょっとして公志は死んでないんじゃ——」
「うるさああああい!」
大声をあげた千恵ちゃんに、心臓が飛び上がるくらい驚いてしまう。
「だって、千恵ちゃんが話をしていいって言ったからでしょ」
「人の話をよく聞きなさい。あたしは覚えてない、って言ってるだろう。記憶がごっそり抜けちゃっているんだから、質問されてもわからないんやて」
呆れた顔を隠そうともせずに、灰皿にタバコを押しつけた。
「私だってわからないもん」
なんだか悲しい気分になってくる。
公志の声が聴こえたのは間違いじゃないと思う。千恵ちゃんだって不思議な力を認めてくれたんだし。
ひょっとしたら公志は、私に助けを求めているのかもしれない。でも、どうすればいいのか、まったくわからないよ。
「まったく」とつぶやいてから、千恵ちゃんは腕を組んだ。
「茉奈果に聴こえた声の主が誰かはあたしにはわからないけどさ、その子は茉奈果に言いたいことがあるんだよ」
「うん……」
「ラジオから流れる声に耳を澄ませてごらんなさい。きっと、茉奈果の助けになるはずだから」
「助けに?」
「そう。非現実なことと疑ったりしないで、相手の存在を心から信じること。そうすれば声は聴こえるはずさ。この世に意味のないことなんてない、ってあたしは信じてるんやて」
もう千恵ちゃんは話し切ったらしく、また新聞を広げて読み出した。『ジャイロ磐田快勝』の見出しと写真がまた載っている。サッカーのルールはさっぱりな私には、どこがおもしろいのかわからないので、視線を動かして青い壁を眺めた。
あの声が公志だ、となぜか信じている私がいる。
彼は私になにかを伝えたくて、ラジオを使ったのだと。ラジオが好きだった公志らしくて、なんだかそれだけでうれしくなる。
公志がいなくなって一週間、彼の死を受け入れられなくて、寂しさだけは雪のように積もっている。はらはらと心に降る悲しみには、この先ずっと終わりがないとあきらめていた。
今日だって本当なら、泣いて千恵ちゃんにすがっていただろう。
悲しさを紛らわせているわけじゃないけれど、千恵ちゃんと話したことで、絶望にかすかな光が差し込んだ気がした。その光を、けっして見失ってはいけないと思った。
次、また公志がラジオから話しかけてきたなら、ちゃんと声を聴こう。
心に刻むんだ、大好きな彼の声を。
記憶のフィルムを閉じ、暗い部屋でベッドに横になる。
笑うなんてムリだよ。だって今、公志はいないから……。
公志の言ったように、信じて努力すれば夢は叶うの? 私は公志にそばにいてほしい。『俺がそばにいるから』って言ってくれたのに、どこへ行ってしまったの? 守れない約束なら、しなきゃよかったのに。
「ウソつき……」
つぶやいたその時だった。
パチンッ
機械のスイッチ音が耳に届き、壁のほうからぼわっとした明かりが生まれた。
光のほうを見ると、カラーボックスの上に置いたままだった古いラジオがあった。オレンジ色の光が本体全部を包んでいる。
「え……なに、これ?」
てっきり壊れていると思って、そのまま放置していたっけ……。
ベッドから起き上がってじっとその明かりを眺めていると、
ジジ ジジッ
と、ノイズが聴こえてきた。千恵ちゃんはラジオだと言っていたけど、やっぱり壊れているみたいで途切れ途切れのノイズだけが聴こえている。
ジジジ ジジッ
電源を切ろうと本体に近づいてみると、オレンジ色の光がゆらめき出した。四角い本体からゆらゆらと燃えているように見えて、息を呑んだ。
火事になったらどうしよう。急いで丸いつまみに触れようとした時、
《……茉奈……果》
スピーカー部分から声が聴こえた。
「ひゃっ」
驚きのあまり手を離すと、また、
《聴こえる? ……茉奈果?》
声が聴こえた。
「なに? え……なに?」
慌てて耳を澄まそうとする。
ブチン
遮断する音が聴こえ、見るともうラジオから放たれていた光は消えていた。
電源が落ちてしまったみたい……。
だけど、だけど!
「……今のは」
つぶやく声が震えていた。
ラジオの向こうから私を呼ぶ声。
それが……公志の声に聴こえたから。
「でね、公志の声だったと思うの」
テーブルに両手を置いて前のめりで力説する私に、千恵ちゃんは興味を示すことなく新聞を読んでいる。
「それで?」
「こんな不思議なことってあるの? でもその後は、どのスイッチを触っても聴こえなくなっちゃったの。ていうか、そもそもなんで公志の声がラジオから聴こえるの?」
「あたしに聞いたってわかるもんか」
「千恵ちゃんがくれたラジオでしょ。それともやっぱり私の頭がおかしくなっちゃったの?」
どうしようと顔をしかめる私を一瞥してから、千恵ちゃんはわざとらしくため息をつき、新聞をたたんだ。
「まあ、あのラジオはそういう役割なんやて」
「役割ってどういうこと? わかるように言ってよ」
「うるさい。ギャーギャーわめかないでおくれ」
背もたれに身体をあずけた千恵ちゃんにふくれっ面をすると、「やれやれ」と遠くを見つめた。
「あのラジオには不思議な秘密があると、あたしは思っている」
「不思議な、ってどういう——」
「黙って聞きなさい」
ジロッとにらまれて肩をすぼめる。満足そうにうなずいてから千恵ちゃんは、ゆっくりした動作でタバコに火をつけた。
梅雨の中休みの晴れた朝。差し込む朝陽が、タバコをくゆらす煙を光らせている。
「もう何十年も前の話だよ。あたしもあのラジオから不思議な声を聴いた。それがどんな内容でなにがあったのか、今となってはまったく思い出せないけれど、あのラジオに助けられた気がしているんだ」
濃いアイラインに縁どられた瞳を閉じて、千恵ちゃんはほほ笑んだ。
「キツネに化かされる、ってあるだろう? あれみたいな感じやて。終わった後は記憶を消されてしまうんかねぇ」
おかしそうに笑ってから、千恵ちゃんは私を見た。
「当時は何度も消えた記憶をたどろうとしたさ。だけど結局ムリなことがわかってからは、ずっと考えないようにしていたんよ。ラジオの存在すらも忘れてたっけね」 」
おいしそうにタバコを吸ってから、首をかしげる千恵ちゃん。
「なんで黙ってるんや?」
「……もうしゃべっていいの?」
「許可する」
手のひらで『どうぞ』と合図を出す千恵ちゃんに、私はさっきよりもさらに前のめりになった。
「ってことは、ラジオは霊界につながっているってこと?」
「知らんよ」
「私の名前を呼んでたんだよ。武田さんじゃなくて、私の名前だよ。私に助けを求めているってこと?」
「知らんて」
「すぐに途切れちゃったんだけど、もっと長く聴く方法はないの? ううん、そんなことより、ひょっとして公志は死んでないんじゃ——」
「うるさああああい!」
大声をあげた千恵ちゃんに、心臓が飛び上がるくらい驚いてしまう。
「だって、千恵ちゃんが話をしていいって言ったからでしょ」
「人の話をよく聞きなさい。あたしは覚えてない、って言ってるだろう。記憶がごっそり抜けちゃっているんだから、質問されてもわからないんやて」
呆れた顔を隠そうともせずに、灰皿にタバコを押しつけた。
「私だってわからないもん」
なんだか悲しい気分になってくる。
公志の声が聴こえたのは間違いじゃないと思う。千恵ちゃんだって不思議な力を認めてくれたんだし。
ひょっとしたら公志は、私に助けを求めているのかもしれない。でも、どうすればいいのか、まったくわからないよ。
「まったく」とつぶやいてから、千恵ちゃんは腕を組んだ。
「茉奈果に聴こえた声の主が誰かはあたしにはわからないけどさ、その子は茉奈果に言いたいことがあるんだよ」
「うん……」
「ラジオから流れる声に耳を澄ませてごらんなさい。きっと、茉奈果の助けになるはずだから」
「助けに?」
「そう。非現実なことと疑ったりしないで、相手の存在を心から信じること。そうすれば声は聴こえるはずさ。この世に意味のないことなんてない、ってあたしは信じてるんやて」
もう千恵ちゃんは話し切ったらしく、また新聞を広げて読み出した。『ジャイロ磐田快勝』の見出しと写真がまた載っている。サッカーのルールはさっぱりな私には、どこがおもしろいのかわからないので、視線を動かして青い壁を眺めた。
あの声が公志だ、となぜか信じている私がいる。
彼は私になにかを伝えたくて、ラジオを使ったのだと。ラジオが好きだった公志らしくて、なんだかそれだけでうれしくなる。
公志がいなくなって一週間、彼の死を受け入れられなくて、寂しさだけは雪のように積もっている。はらはらと心に降る悲しみには、この先ずっと終わりがないとあきらめていた。
今日だって本当なら、泣いて千恵ちゃんにすがっていただろう。
悲しさを紛らわせているわけじゃないけれど、千恵ちゃんと話したことで、絶望にかすかな光が差し込んだ気がした。その光を、けっして見失ってはいけないと思った。
次、また公志がラジオから話しかけてきたなら、ちゃんと声を聴こう。
心に刻むんだ、大好きな彼の声を。