差し入れのお陰でお腹がいっぱいになった辰雄と三千代はぐっすり寝ている。
裏口から出るには母さんが寝ている部屋と、父さんの仕事部屋を通り過ぎなきゃならない。忍者か泥棒みたいにそうっと、呼吸さえ控えめにして、廊下を歩いた。
七月にしては寒い夜で、一歩外に出るとひんやりした空気が寝間着の隙間から入り込んできて、さあっと鳥肌が立つ。下駄を履いた足を静かに、でも素早く動かした。
ゲイリーはいつもの通り、裏庭の端っこにいた。
「ごめん、待った?」
「僕も今来たとこだよ」
そう言って、新聞紙にくるんだ包みをくれる。
「これは千寿だけに、特別」
「ありがとう……」
特別、という響きに頬が熱くなって新聞紙を広げると、モダンな、ハートの形のケーキが出てきた。こんなもの、雑誌の中でしか見たことない。うんと小さな頃。
「本当にありがとう。でもなんかいつもいつも、悪い気がするわ」
「僕があげたくてあげてるんだよ。もらってくれてありがとう」
ゲイリーはいつもそうやって、惜しみなく愛に溢れた言葉をくれる。
こんな物のない時代になんで立派なお菓子が作れるかっていうと、ゲイリーの家の倉庫にはアメリカから持ち帰った小麦粉やお砂糖がどっさりあるからだ。闇市で売ればかなりのお金になるはずなのに、私や私の家族を喜ばせる事を選んだゲイリーは、本物の優しさを持ってる人だ。
ゲイリーとふたりで分け合って、ケーキを食べた。辰雄や三千代にも分けてあげたいと、ちょっとの後ろめたさが顔を出したけど、ゲイリーと時々触れ合う手の間から生まれる熱が、罪悪感をうち消してしまう。私はすごく悪い子なのかもしれない。
「あはは。千寿、ほっぺたにケーキの屑がついてるよ」
「え、どこ」
「そっちじゃなくてほら、こっち」
長い指が私の頬を撫でて屑を払い、そのまま静止する。ゲイリーの指先の固い感触が愛しくて、じっと私を見つめる灰色の瞳に胸が高鳴った。
「千寿。もうすぐこの戦争は終わる。父さんはお金を渡して僕達を捨てた憎い人だけど、戦争の事はよく知ってた。その父さんが言ってたから、本当だと思う」
「そう……なの?」
「そうだよ。そうなったら僕は東京に出て、洋菓子屋を始めようと思ってる」
「素敵な夢やね」
「千寿にも一緒に来てほしい」
えっ、と声にならない声が出た。ゲイリーは笑ってない。一点の曇りもない、正直でまっすぐな瞳が私を覗き込む。
「僕と結婚して、一緒に洋菓子屋をやってほしいんだ。嫌かい?」
「そんな、嫌なんて……!!」
頬に触れたままのゲイリーの手を、両手で握った。ふたりとも少し震えていた。
「私で、ええの?」
「ええよ」
「ゲイリーが広島弁使うと、変な感じ」
ゲイリーの手のひらが私の手を握りしめる。その力強さが嬉しくて愛しくて、これから先の人生には幸せしかないと、少しの疑いもなく信じられた。
裏口から出るには母さんが寝ている部屋と、父さんの仕事部屋を通り過ぎなきゃならない。忍者か泥棒みたいにそうっと、呼吸さえ控えめにして、廊下を歩いた。
七月にしては寒い夜で、一歩外に出るとひんやりした空気が寝間着の隙間から入り込んできて、さあっと鳥肌が立つ。下駄を履いた足を静かに、でも素早く動かした。
ゲイリーはいつもの通り、裏庭の端っこにいた。
「ごめん、待った?」
「僕も今来たとこだよ」
そう言って、新聞紙にくるんだ包みをくれる。
「これは千寿だけに、特別」
「ありがとう……」
特別、という響きに頬が熱くなって新聞紙を広げると、モダンな、ハートの形のケーキが出てきた。こんなもの、雑誌の中でしか見たことない。うんと小さな頃。
「本当にありがとう。でもなんかいつもいつも、悪い気がするわ」
「僕があげたくてあげてるんだよ。もらってくれてありがとう」
ゲイリーはいつもそうやって、惜しみなく愛に溢れた言葉をくれる。
こんな物のない時代になんで立派なお菓子が作れるかっていうと、ゲイリーの家の倉庫にはアメリカから持ち帰った小麦粉やお砂糖がどっさりあるからだ。闇市で売ればかなりのお金になるはずなのに、私や私の家族を喜ばせる事を選んだゲイリーは、本物の優しさを持ってる人だ。
ゲイリーとふたりで分け合って、ケーキを食べた。辰雄や三千代にも分けてあげたいと、ちょっとの後ろめたさが顔を出したけど、ゲイリーと時々触れ合う手の間から生まれる熱が、罪悪感をうち消してしまう。私はすごく悪い子なのかもしれない。
「あはは。千寿、ほっぺたにケーキの屑がついてるよ」
「え、どこ」
「そっちじゃなくてほら、こっち」
長い指が私の頬を撫でて屑を払い、そのまま静止する。ゲイリーの指先の固い感触が愛しくて、じっと私を見つめる灰色の瞳に胸が高鳴った。
「千寿。もうすぐこの戦争は終わる。父さんはお金を渡して僕達を捨てた憎い人だけど、戦争の事はよく知ってた。その父さんが言ってたから、本当だと思う」
「そう……なの?」
「そうだよ。そうなったら僕は東京に出て、洋菓子屋を始めようと思ってる」
「素敵な夢やね」
「千寿にも一緒に来てほしい」
えっ、と声にならない声が出た。ゲイリーは笑ってない。一点の曇りもない、正直でまっすぐな瞳が私を覗き込む。
「僕と結婚して、一緒に洋菓子屋をやってほしいんだ。嫌かい?」
「そんな、嫌なんて……!!」
頬に触れたままのゲイリーの手を、両手で握った。ふたりとも少し震えていた。
「私で、ええの?」
「ええよ」
「ゲイリーが広島弁使うと、変な感じ」
ゲイリーの手のひらが私の手を握りしめる。その力強さが嬉しくて愛しくて、これから先の人生には幸せしかないと、少しの疑いもなく信じられた。



