「あんたは本当に、神さんみたいな人じゃのう」
「そんな、神様だなんて」
紙のように白い頬を少しだけ赤らめるゲイリー。私たちの前ではいつも明るくしてるけど、本当は人一倍重い悩みや苦しみをその華奢な背中に抱えている。
ゲイリーに初めて会ったのは去年の夏だった。その一か月ほど前に、空き家だった隣の家に静子さんが越してきていた。年齢はたぶん、四十前後。すぐに元遊女で、今も東遊郭のとある店で下働きをしている事を噂で知ったけど、隣に住んでいる私達はそれ以上に大きな秘密の存在を感じ取っていた。
一人暮らしのはずの隣の家から、時折話し声がする。誰もしゃべっていない時でないと聞こえない、押し殺したような声。あくまで隣近所には一人暮らしだと言い張ってるんだから、存在を隠したい人が一緒に住んでいるとしか思えない。
ある夜、ふわん、と優しく空気を揺るがす音がした。耳慣れない、でも温かくて、ずっと聞いていたい音だった。好奇心に抗えず、そっと布団を抜け出す。
音は裏庭のほうから聞こえていた。台所にある裏口から外に出ると、音はより輪郭をくっきりとさせて、耳に流れ込んでくる。
裏庭の、隣の家を隔てている塀の上。秋に甘い匂いを振りまく金木犀の傍で、音はしていた。ふわん、ふわん。やわらかい音が海の底のように静まった夜の空気を揺らす。幹の間に、真っ白くて長い脚が見えた。
音が止んで、濃い緑の茂みをかき分けてその人が顔を出した。満月の夜だった。青白い月の光に照らされ、くっきりと高い鼻や灰色の瞳が浮かび上がる。
思わず後ずさった。だって、明らかに日本人じゃない。
「君、千寿かい?」
きれいな日本語で言われて、少しだけ警戒心がとけた。こく、と戸惑いながら頷くと、その人はさっきの音と同じようにふわんと笑って、慣れた動きで木を下り、塀をつたって、とたん、と天使が空から降りてくるみたいに私の前に降り立った。
ものすごく高い位置に顔があり、寝間着から飛び出した腕と脚がひょろりと長い。月明りの中、金色の髪が輝いている。
美しい、と思った。今まで見た誰よりも、何よりも、美しいひとだった。
「そんな、神様だなんて」
紙のように白い頬を少しだけ赤らめるゲイリー。私たちの前ではいつも明るくしてるけど、本当は人一倍重い悩みや苦しみをその華奢な背中に抱えている。
ゲイリーに初めて会ったのは去年の夏だった。その一か月ほど前に、空き家だった隣の家に静子さんが越してきていた。年齢はたぶん、四十前後。すぐに元遊女で、今も東遊郭のとある店で下働きをしている事を噂で知ったけど、隣に住んでいる私達はそれ以上に大きな秘密の存在を感じ取っていた。
一人暮らしのはずの隣の家から、時折話し声がする。誰もしゃべっていない時でないと聞こえない、押し殺したような声。あくまで隣近所には一人暮らしだと言い張ってるんだから、存在を隠したい人が一緒に住んでいるとしか思えない。
ある夜、ふわん、と優しく空気を揺るがす音がした。耳慣れない、でも温かくて、ずっと聞いていたい音だった。好奇心に抗えず、そっと布団を抜け出す。
音は裏庭のほうから聞こえていた。台所にある裏口から外に出ると、音はより輪郭をくっきりとさせて、耳に流れ込んでくる。
裏庭の、隣の家を隔てている塀の上。秋に甘い匂いを振りまく金木犀の傍で、音はしていた。ふわん、ふわん。やわらかい音が海の底のように静まった夜の空気を揺らす。幹の間に、真っ白くて長い脚が見えた。
音が止んで、濃い緑の茂みをかき分けてその人が顔を出した。満月の夜だった。青白い月の光に照らされ、くっきりと高い鼻や灰色の瞳が浮かび上がる。
思わず後ずさった。だって、明らかに日本人じゃない。
「君、千寿かい?」
きれいな日本語で言われて、少しだけ警戒心がとけた。こく、と戸惑いながら頷くと、その人はさっきの音と同じようにふわんと笑って、慣れた動きで木を下り、塀をつたって、とたん、と天使が空から降りてくるみたいに私の前に降り立った。
ものすごく高い位置に顔があり、寝間着から飛び出した腕と脚がひょろりと長い。月明りの中、金色の髪が輝いている。
美しい、と思った。今まで見た誰よりも、何よりも、美しいひとだった。