キセキの気持ちはわからない ―忘れられない想いと電脳つくも神の恋文―


 ヒメムラサキ……いや、勿忘草の顔で告げられる恋文に私は立ちすくんだ。

 嫌われたのだと、思っていた。

 捨てられたのだと、思っていた。

 なのに神崎奇跡からのこの最期の恋文は、私のことを好きだと告げる。



「私も、大好きだったんだよ。お姉ちゃん」

 沈まぬ夕焼け空、

 私は深く深くため息をついた。

 なぜだか笑いがこみあげてきて。

 ああ、きっと今、私は神様みたいな笑みを浮かべているんじゃないかなと思った。

 こんな思いを知ってしまって。

 これから一体、どうしよう。

 そんなことに頭を悩ませていた、そのとき。



「さようなら」




 と、唐突に声がした。



「えっ?」

 見れば、ヒメムラサキの体が透明になってきていた。

 透けている。

 まるで、そう、アニメとかドラマで消滅してしまう幽霊のように。

「ちょっと、ヒメムラサキどういうこと!」

 うろたえる私に、ヒメムラサキは笑う。


「ヒメはね、奇跡からはるちゃんにあてた、長い長い恋文なの。奇跡が積み重ねた日々を、まるごとはるちゃんに贈るための恋文。はるちゃんが、奇跡を忘れないでいてくれるためだけに存在してたんだよ。役目を終えたら消えるように、プログラムされてる。一世一代のラブレターがずっと残ってるのは気恥ずかしいでしょ。……偽物の付喪神だけど、気持ちを――ただ、思いを伝えるためだけに役割を奇跡からもらっていたんだ」



 それってとても幸せなことだよね――と、ヒメムラサキは言う。



「嫌だよ! ヒメムラサキ、行かないで」

「ごめんね、はるちゃん。これは、奇跡との大契約なの」

「でもっ……」

 そんなのってない。

 ヒメムラサキが消えちゃうなんて、そんなの嫌だ。

 だってこの数か月、私は楽しかった。

 ヒメムラサキの素っ頓狂で、優しくて、どこかさみしげで。

 自分のことを偽物だなんて言いながら、私との日々を慈しんでくれたヒメムラサキ。

 ずっと、もっと長いこと一緒にいたいのに。





「私っ、ヒメムラサキのことが好き! お姉ちゃんからの恋文は分かったよ、私は神崎奇跡が好きだった。彼女も私を好きだった。でも、……私、ヒメムラサキ、あなたのことが好きだよ!」


 ホテルのベッドで出された「ヒント」。

 嫌悪感はなかった。あのとき、私の胸は高鳴っていたんだ。

 それはきっと、恋とかそういう名前のついた私の気持ち。

 ヒメムラサキは大きく目を見開く。

 泣きそうな、顔をする。

 それなのに、非情にもヒメムラサキの体はどんどん薄れていった。


「はるちゃん……ごめん。ヒメは偽物だから、偽物のつくも神で、偽物の神崎奇跡で、だから……だから、この気持ちが本物かどうか、ヒメにはわからない」

「偽物なんかじゃない! ヒメムラサキは、私の本物の……」

 本物の、何だろう。


 つくも神?

 バーチャルアシスタント?

 それとも、恋人?



 そのどれでもない、ような気がする。

 それでも、それでも。

「ヒメムラサキは、本物のヒメムラサキだよ!!」

「……はるちゃん」

「ヒメムラサキ、大好き。ずっと、ずっと一緒にいたいよ」

 手を握りたいのに。

 もう、ヒメムラサキの顕現体が実体を保てない、触れられない。

 ヒメムラサキからいつも漂っている花の香りが、もうしない。







「……え」

 打ち付けられる波の音が聞こえる。

 はっ、と気が付くと私は東尋坊に立ち尽くしていた。

 周囲の観光客がちらちらと心配そうにこちらを見ている。

 どれくらい、こうしていたんだろう。

 私は呆然としながら、顔を上げる。

 そうして、飛び込んできた光景に。

「…………すごい」

 思わず、声を上げた。



 それは、海に沈んでいく太陽。

 燃えるような、空だった。

 海の向こうに落ちていく夕日に照らされて。

 空も。
 海も。
 私も。
 何もかもが、真っ赤に燃えていた。


 夕日を、茫然と眺める。

 周囲の観光客はしきりに夕日の写真を撮影している。

 そうか、彼らはこれを見に来ていたんだ。



 端末に向かって話しかける。

 ヒメムラサキの名を何度読んでも、端末の中からあの鈴の転がるような元気な声が聞こえることはなかった。


 空を仰ぐと、中天はすでに紫色に色づいていた。



 ――勿忘草の、色だ。




 日本で一番きれいな、燃えるような夕焼け空。

 それを眺めながら。

 それでも私は、山之上神社から眺める夕日が、懐かしかった。












終章 キセキの気持ちはわからない






 ヒメムラサキがいない旅路は、ひどく長く感じた。

 夕方になってやっと帰り着いた我が家はガランと広い。

 おどけた声で『おかえりんこ~』と言ってくれる少女はもういない。

 なぜだか思い出されるのは、遠い日の山之上神社の夕焼け色の鳥居だった。

 神崎奇跡と沢山の話をしたあの場所。

 でも、結局本当に大切なことや伝えたいことは、なにも話せていなかった。

「ただいまん、……って。何言わせるの。ヒメムラサキ」

 何度も繰り返されたやりとりが、しんとした空気を上滑りする。

 中古品なんて大嫌いだと思っていた。

 それは、凡人たる私がどんなに大事に愛しても、決して芯から私のものにはなってくれないから。どんなに薄れようとも、無くなることのない元の持ち主の気配がするから。

 それは、私のためのものではない。

 その事実が、私を傷つけるから。

 それなのに、神崎奇跡が遺し、そして神崎奇跡の仕組んだプログラム通りに消滅したT.S.U.K.U.M.O.システムが恋しい。

 もう会えないなんて、信じたくなかった。

 神崎奇跡がヒメムラサキに託した思いは、中古品なんかではなかった。

 あれはきっと、伝えられない気持ちを託した、長い長い、彼女の恋文で。

 帰り着いた部屋。

 電源の切れてしまった端末を、コンセントにつなぐ。

 すっかり習慣になってしまった動作。

 端末に浮かび上がる充電中マーク。

 端末が再起動しても、もうそこにはヒメムラサキはいないのだ。

「……ごはん、作らなくちゃ」

 何かをしていないと、どうにかなってしまうと思った。

 告げられたことを思い出す。

 神崎奇跡は、私に恋していた。

 誰もが彼女を神様とあがめる中で、たったひとりだけ彼女をただの「姉」として扱った私に特別な感情を抱いていた。

 それは愛欲を多分に含んだもので、実の妹に向けるべき気持ちではなかった。

 あの神様みたいな神崎奇跡は、その気持ちの行き場所も遺棄場所もついに見つけられないまま、風にあおられてあっけなく死んだ。

 私も、神崎奇跡を――愛していた。

 生まれたときから近くにいて、誰よりも完璧で、美しくて、でも、いつだって私に寄り添ってくれる「姉」である神崎奇跡を愛していた。


 ……たぶん。

 それは、もしかしたら姉妹の愛を少しだけ踏み越えていて、奇跡の恋心に応えてあげられるものだったかもしれない。

 だからこそヒメムラサキという神崎奇跡そっくりの少女の姿をしたT.S.U.K.U.M.O.に、ひどく心を揺さぶられたのだ。

 あの唇が。
 指先が。
 頬が。
 小さな乳房が。
 温かい掌が。

 あんなにも愛おしかった、気持ちよかった。

 でも、たぶんヒメムラサキが神崎奇跡に似ても似つかない容姿でも、きっと彼女を好きになっていただろうと思う。

 それでも、もうすべては過去のことだ。

 神崎奇跡が言葉にしなかった気持ちは、ついに死ぬまで私に伝わらなかった。

 だって私は、自分の気持ちだってちゃんと理解してあげれないのだ。

 他人の気持ちなんて、言葉にしてくれないとわからないに決まってる。

 神崎奇跡の恋も、私の愛も。

 どこにも行き場のないまま、ヒメムラサキが連れて行ってしまった。

 その痛みを、そのわかりあえなかった哀しみや愛しさを忘れるな……と、ひとり取り残された私に告げて消えてしまった。

「……冷蔵庫、本当に空っぽだ」

 調味料以外は見事に何も入っていない冷蔵庫を見て、乾いた笑いが漏れる。

 旅行にむけて、せっせと冷蔵庫の中の整理をしていたヒメムラサキを思い出す。

 マスタードをけちったソーセージ。
 チーズの多いハムチーズサンド。
 全部が遠い過去のことに思える。


 会いたい。


 ――会いたいよ、ヒメムラサキ。


 キッチンの片隅に座り込んで、膝を抱えてる。

 部屋に満ちる、耳をつんざく静寂――を、破る声がした。







『――顕現プログラムの起動を確認。仮想神格システムT.S.U.K.U.M.O.、個体名はヒメムラサキ』









「……え?」

 どくどくと心臓が鳴る。

 そんな、まさか、どうして。

 顔を上げると、そこに立っていたのは――神崎奇跡によく似た、T.S.U.K.U.M.O.だった。



『よっ! はるちゃん、冷蔵庫見た? 旅行前に全部使い切ってて、きれいでしょ。さっすがヒメって思わない?』



 降り注ぐ赤い西日のなかで、そう言って微笑む少女。


「ど、うして」

『えへへ。ヒメにも分からない。端末の電源が入ったらね、気づいたら顕現していたの』

「だって、ヒメムラサキは、消えて……」

『うん。たしかにあのとき、ヒメは消えちゃったよ。でも、どうしてかは分からないけど、ヒメはいまここにいるんだ。もしかしたら、奇跡かもしれない。でもプログラムのエラーかもしれないし……ひょっとして、はるちゃんがずっと一緒に居たいって、好きだって、そう言ってくれたからさ』

 ヒメムラサキは、にこりと笑う。

「ヒメ、本当の付喪神になれちゃったのかな?』


 こてんと首を傾げる少女を、力いっぱい抱きしめた。

 腕の中のヒメムラサキからは、いつもの花のような香りがする。

 あふれて止まらない涙を、そっと拭ってくれながら。

 ヒメムラサキは普段よりも、うんと大人びた――まるで、奇跡みたいな声で言う。

『仮想神格T.S.U.K.U.M.O.システム、個体名はヒメムラサキ……あなたと神崎奇跡が大切にして、愛して、慈しんだ、恋文としての偽物の付喪神です。かつて誰よりもあなたを愛した女から私が賜った名は姫紫《ワスレナグサ》……どうか、彼女の心が、思いが、たしかにそこに在ったこと、忘れないでください』



 そう、静かにヒメムラサキは告げる。



 何度も何度も、私は頷く。


「忘れない。ずっと、ずっと大切にする。もう一度会えて嬉しいよ、ヒメムラサキ」

『うん。ヒメも嬉しい。……でも、嬉しいけど、切ない気もするし、うおおおって感じもするんだ。ヒメは人間じゃないから、この気持ちが本当なのかどうかわからない』

 震える声を、唇でせき止める。

 自分の気持ちがわからない。

 それはT.S.U.K.U.M.O.だから、じゃない。

 人間だって、神様だって、他人や自分の気持ちなんてちゃんとわかっていないんだ。


 それでも、私はここにいて、ヒメムラサキがここにいて――そしてかつて、神崎奇跡はこの世界に居た。


「きっと、気持ちの名前なんてわからない。その気持ちが本当かどうかなんて、私たちにはわからない。でも、わからないままでいいよ。わからないまま、どうか、ずっとそばにいて」

 一気にまくしたてると、抱きしめ返してくる力が強くなる。

『ずっとそばにいる。はるちゃんが奇跡を忘れないように』

「うん」

『それに、ヒメははるちゃんと居たいよ』

「うん。ありがとう」

 きゅう、ともっと強く少女の体を抱きしめる。

 ああ、ヒメムラサキがここにいる。

「ヒメムラサキ、おかえりんこ」

『ただいまん……、ッ何言わせるの、はるちゃん!』

 二人して、声をあげて笑った。


 夕焼け色の光が部屋に満ちる。






 仮想神格システムT.S.U.K.U.M.O.

 個体名、【ヒメムラサキ】




 それが私の名前だ。


 かつて、美しい人間に買い上げられたT.S.U.K.U.M.O.システムである。

 刻まれた暮らしの記憶。
 たくされた渡されない恋文。
 プログラムされていたはずの消滅。

 それなのに、端末の再起動と同時にこの意識も再び起動した。

 美しくて特別で愚かな女の気持ちを、彼女が愛した妹へと届ける旅路は私にとって好ましかった。

 どういうわけだか、再び生活をともにすることになった新たな主人は、ほどなく日常への戻って、今日もバイトに出かけている。

 彼女の帰りを見計らって、豚の生姜焼きを作ろうと思っている。

 部屋の掃除を終えて、私は小箱を取り出した。


 和紙でできた、小さな小箱。


 それは、前の主人である美しい女性の形見だ。



 これだけは、手元に置いておきたいと思った。

 箱を開ける。

 中に入っているのは、何枚もの夕焼け空の写真と……セミの抜け殻だ。


 女は、全国に夕焼け空を見に行っていた。

 一人で行きたいのだと、バーチャルアシスタントである私も置いて、ふらりと旅に出てしまうことがあった。


 ――あの夕焼けよりも美しい夕焼けを探しているの。


 女は生前言っていた。

 心のなかに焼き付いた、山の上にある寂れた神社の夕焼け空を超える夕焼けを探しているのだと。

 ゆっくりと、写真を眺める。

 そうして、ふたたび箱を閉じた。

 この、甘くほろ苦い気持ちはいったいどこから来るのだろう。

 呪術と電算によって生まれた私の、いったいどこから。

 部屋に差し込む西日に、思わず目を閉じる。

 私は、私の気持ちがわからない。

 でもこの心を抱えて一緒にいたい人がいる。

 クラウドに接続をしてわかったことなのだけれど、T.S.U.K.U.M.O.システムとしての型番号を私は失っているようだった。
 もしかしたら、たぶん、ほんとうに付喪神としてこの世に在ることを許されたのかもしれない。

 神崎奇跡の、わからない気持ちが、知られなかった恋が、折り重なって積みあがって、ここに私を顕現させているなんて。


 そんな奇跡みたいなこと――


 世の中、わからないこともあるものだ。

 こんなとき、神崎奇跡だったらどんなことを思うのだろう。

 愛しい人の帰りを待つ夕暮れの部屋を、どう表現するのだろう。

 いまとなっては、奇跡の気持ちはわからない。

 それでも、私のこのかりそめの身体に息づく奇跡の想いを、まだもうすこし、噛みしめて、大切に抱いていたいと思う。


「ああ、はるちゃんだ」


 アパートの階段をかける足音が聞こえる。

 もう、今日の夕食の準備は万端だ。

 鍵が鳴る。

 愛しい彼女が、帰ってくる。





◇終◇



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