この恋心が手垢にまみれるくらいならば、いっそ誰にも知られずに死んでしまおうと思った。
たぶんそれが真実の愛なのだと、そう信じていた。
1章 キセキの死と電脳つくも神
昔から、中古品が苦手だった。
だって、それは永遠に自分のものにはならないから。
初めて中古品というものを手に取ったのは、古本だった。
ぺたぺたとした独特の感触の表紙。
紙に染み付いた煙草の匂い。
時間を吸い込んで変色した紙。
どれもこれもが元の持ち主の思い出だとか、あるいは情念だとか。
そういったものをたっぷりとまとっているような気がして。
それがなんというか、とても気味の悪いものに思えた。
お小遣いではどうしても手が届かないコミックのシリーズを揃えるために手にした古本だった。
けれど、結局それきりその古本屋に足を踏み入れることはなかった。
少女漫画のシリーズの第八巻。
中古で手にしたその巻だけが、いまでも「私のもの」になったという気はしない。
何年も本棚に並んでいるそれは、いつまで経っても他人のものだ。
どれだけ中古品を所持し続けていても。
元の持ち主がどんな人だったのか。
どういうしてそれを買ったのか。
何故それを手放すことになったのか。
……それがわかることはない。
その事実は、私を不安にさせる。
わからないものは、気味が悪い。
「契約者様の変更、ということでよろしいでしょうか」
携帯ショップ。
完璧に優しげなスマイルを浮かべたスタッフの淀みない言葉に、無言でうなずく。
目の前のテーブルには、時代に取り残されたような二つ折りの携帯電話が置かれている。
いわゆる、ガラケーだ。白くつるりとして、そっけないフォルムをしている。
「承知いたしました。それでは、こちらの機種の契約者様変更をさせていただきますね」
「お手数をおかけします」
「お名前とお電話番号を確認ください。……神崎はるか様、で間違いございませんか」
「はい、間違いないです」
神崎はるか。
見慣れた私の姓名である。
ちらり、と時計を確認する。
午後四時。
このまま順調に契約が終われば、大学の課題レポートの提出には差しさわりなさそうだ。
早く帰って作業にいそしまなくてはいけない。期末レポートを落としたら単位がやばいので。
スタッフさんに書類の束を手渡しながら、視線をもう一度、ビロード風の布が張られたトレイに置かれた携帯電話に落とす。
今は電源が落とされているそれは、白くつるりとしているけれどもよく見ると細かい傷が浮かんでいる。
――そう。中古品である。
この携帯電話は、私が苦手な中古品で、これからどれだけ長く所持したとしても芯から「自分のもの」になることはない借りものだ。
「それでは、名義変更の手続きをさせていただきます。書類も、確かに承ります」
この中古の携帯電話の元の持ち主は、神崎奇跡という。
彼女は私の姉であり……、
「神崎様。この度は、ご愁傷様でございます」
……先月急死した故人である。
神崎奇跡の訃報が届いたのは、ちょうど大学の昼休みだった。
スマートフォンの電源を入れると同時に着信があり、うわずった声の母が彼女の死を告げた。
まずは、素直に驚いた。
姉は今年二十六才だ。
それが、急死なんて。
次にやってきたのは、疑念だった。
持病があったとは聞いていない。彼女は美しく健康だった。
そんな姉さんが急死ということは事故か、それとも自殺か。
とにかく、「普通じゃない」ことが起きているのではないかという気分になった。
後から冷静に考えれば、人間なんて普通に死ぬのに。
知らせを受けてからたっぷり数分間、姉の死にまつわるミステリーとサスペンスを夢想してーー
そして最後に、安堵した。
もう、彼女はいない。
神崎奇跡。
彼女は私の姉であり、我が家の神様だったのだ。
神様はときに、平凡なヒトを不幸にする。