落ちた先は、見覚えのある部屋だった。

白い壁に、黄色いカーテン。全身を映す鏡やベッド、机が置いてあって、椅子にはあたしの大切な人が座っていた。


「希衣……」


 その後ろ姿は、なんとも小さなものだった。机と椅子が、無駄に大きく見える。机に向かっているくせに、手は全く動いていない。

あたしは、希衣のショートカットの間から、彼女が向き合っているものを覗いた。


「わあ。希衣、パソコンなんて持ってたの」


 小さなノートパソコンが一つ、机の上に置いてあった。やはり声は聞こえていないようで、あたしの言葉に対する返事はない。

よく見ると、これまた見覚えのあるページが開かれていた。


「え! 希衣も小説書き始めたの⁉」


 それは、以前あたしが書いていた携帯小説のサイトだった。懐かしい、楽しくて仕方のなかった日々を思い出す。


「ちょっとー、見せてよ希衣の物語。このページ、まだ何も書いてないじゃない。ほら、動かして……」


「優ちゃん……」


 突然、名前を呼ばれたことに驚いて、そのまま固まってしまった。

けれど、希衣はあたしではなく、目の前のパソコンを一点に見つめている。わけがわからず、あたしは希衣から一歩離れた。


「優ちゃんが叶えたかった夢、私が代わりに叶えなきゃ……」


 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。ようやく脳に血が巡ると、それは躊躇することなく口に出た。


「え、嫌なんだけど」


 聞こえていないとわかっていたからそう言ってしまったのか、あるいは聞こえていたとしても言ったのか。

どちらにしろ、おそらくこれは本心だ。


「あたしが通らなかったコンテストで賞とるとか……え、無理絶対いや! 悔しすぎて死ぬに死ねないんだけど! 死んでるけどさ⁉」


 あたしがそう言っている間に、希衣はカタカタとキーボードを叩く。真剣そうな顔を見て、なんだか悔しくて。そして、書けることが羨ましかった。


 あたしは、もう二度と書けない。作家になることなんて百パーセントできない。

だって死んでいるのだから。

生きていれば、どんな人でも、どんなに厳しい夢でも、叶えられる確率はゼロじゃない。でもあたしはゼロだ。誰よりも小説家になりたかったのに。


 それに、あたしの代わりとか言っている彼女に腹が立った。

あたしは一人しかいない。あたしが叶えたかった夢は、あたしが叶えないと意味がない。

ましてや、その夢を他人に取られるなんて、悔しくてどうにかなりそうだ。


「ああもう、気分悪い。帰ろ」


 今のところ、空を飛べそうにない。すり抜けるのも怖く、わざわざ空を探すのも面倒なので、あたしは天井を見上げて言った。


「おーい、天使ー。ちょっと早すぎるけど、もう帰りたいわー」


 ズキンと、こめかみより少し上のところが痛んだ。やはり、あたしはもう地上にいることのできる身ではないのかもしれない。


 すると、空から声が降ってきた。


「あれほど忠告したのに、もう忘れてしまったんですね」


 思わず「え?」と聞き返した。頭が痛くて、脳みそが働かない。


「ご自分の姿を、鏡でご覧になってください」


 頭を押さえながら、鏡の前へ移動する。そこには、透けているあたしがいた。ただ、いつもと違う。ズキズキと痛む場所に、恐る恐る手を触れた。


 こめかみの少し上、くるりとカーブした黒い角が二本、悪魔を象徴するように生えていた。


「そのような姿の者など、天国には戻せません。どうしても戻ってきたいのなら、ご自分で解決なさってください」


 天使の声は、それきり聞こえなくなった。あたしは、目の前のあたしと見つめ合いながら、その場に崩れる。


「嘘でしょ……」


 カタカタとキーボードを打つ音が、無性に大きく感じる。

受け入れられない現実に、あたしはただ、希衣を責めることしかできなかった。