イライラする気持ちを抑えながらも、雄大は努めて冷静に告げる。

「俺は杏奈とは結婚しない。他に結婚したい人がいます。」

「どういうことだ?」

怪訝な顔をする社長に、杏奈は訴えるように言う。

「社長、雄大さんはその女性に騙されているんです。」

「騙されてなんかいない。」

「目を覚ましなさいよ。あの子は雄大のお金目当てなのよ。」

「違う。」

「違わないわよ。あのパン屋、経営が行き詰まっているの。賠償金だけじゃ物足りないのよ。」

琴葉が金目当てで雄大に近付いたなど、誰が信じようか。
雄大が今まで接してきた琴葉は、誠実で素直で真面目で、とにかく愛しくてたまらない存在なのだ。
だが、聞き捨てならない言葉に雄大はさらに眉根を寄せた。

「賠償金?何の話だ?」

「あの子の両親、うちが受け持った案件の事故で亡くなってるのよ。二年前の大事故よ。」

「二年前の事故…?」

雄大は記憶を辿ってみる。
二年前の大事故といえば、早瀬設計事務所始まって以来の重大インシデントだ。
クレーンが倒れ足場をなぎ倒し通行人を巻き込んだ大変痛ましい重大事故。
杏奈の話によると、あの時に亡くなった人の中に琴葉の両親がいるという。

「そんな、バカな。」

雄大はその案件に直接関わってはいないし、早瀬設計事務所としても直接的な落ち度はない。
要は、早瀬設計事務所の下請け業者のミスだ。
だが元請けとしてそのことは確実に覚えているし、その後社内でも何度か安全教育を行っている。

「だけど琴葉はそんなこと一言も…。」

「言うわけないじゃない、あなたを騙そうとしてるんだから。」

青ざめる雄大に、杏奈は追い討ちをかけるように言った。