課外授業は偽装恋人 先生、よろしくお願いします

「いらっしゃい、先生。あら珍しい、若い女の子連れなんて」

 いきなり、おばちゃん店員の、厭味の洗礼を受けた。

「放っておいてくれ」
「先生なのに、そんな若い子とお付き合いしていいのかしらねー。あやしい」
「頼みます。見ないでください!」

 よく、大盛りサービスしてくれる、太っ腹のおばちゃんだが、今日は仔細を問われたくない。
 しかし、咲久良は丁寧に頭を下げて笑顔で『こんばんは』と、あいさつしてしまっている。自己紹介までしそうな勢いだった。あわてて、俺は咲久良の手を引っ張って適当なテーブル席に座った。

 こんな時間になると、この界隈で安定して美味な食事を提供してくれる店はここぐらいしか思いつかない。それに、下手に色気のある店になんて、生徒を連れていけない。

「とりあえず、なんでもうまい。とくに、中華系がおすすめだ」

 咲久良は、店内を珍しそうに眺めている。

 手書きのメニュー表が、壁一面にぎっしりと並んでいる。やや遅い時間とはいえ、そこそこ繁盛している。はっきり言って、そこらへんでチェーン展開しているファミレスには絶対に負けない。味もサービスも。早さも。
 あえて弱点を述べるならば、庶民的で雑然としているところか。場末な雰囲気、それも独特な持ち味だが、女子どもには分かるまい。分かられてたまるか。

「先生、このお店はよく来るんですか」
「ああ。自炊は、ほとんどしないんでね。俺のマンションに近いし、車も停められるからな」
「先生のおうち、行ってみたい。見たいな、泊まりたい」
「バカ。今、何時だと思っている」

「じゃあ、昼間になら、訪問してもいいですか」
「愚問だっつーの。で、なにを注文するんだ」

 俺は決めている。
 中華焼きそば。セットのスープも、かなりいける逸品だ。ビールを頼みたいが今は車なので、ぐっと我慢する。

「先生のおすすめで」

 こういう主体性のない女は面倒だなと思いつつ、俺はメニュー表を眺めた。
 初めて連れて来られた店だ、緊張しているのかもしれない。しかも、若い女には縁がない系の店だろうし。

「じゃあ、中華丼とか、あんかけ系はどうだ」

 総じて、女はとろみ系が好きだ。なぜか。

「はい。じゃあそれを、お願いします」

 やがて運ばれてきた食事をとりはじめると、身体がアルコールを欲していることに気がついた。長時間運転によるストレスで、疲れているのだろう。しかしこのあと、咲久良を自宅まで送らなければならない、うう。なんという無常。

 その俺の禁断症状を察したのか、咲久良はおとなびた笑みを浮かべた。

「お酒、頼んでもいいんですよ。我慢しないでください」
「まだ、お前を送る仕事が残っている」

「それなら、別に気にしないでください。私、先生のお部屋に泊まります。このお店から、歩いて帰れますよね。車は、ここの駐車場にひと晩だけ停められるよう、交渉します。お泊りに必要なものは、コンビニに寄って揃えますよ」
「あのなあ、お前」

「それとも先生のお部屋、女性ものの小物を完備していますか。私、誰が使ったのか分からないものって、共用できないんですよ」
「こっちの話を聞け」

「もちろん、聞いています。私、先生が好きです。結婚してください」

 お、おいおい。こんな求婚ってあるか。しかも、雑然とした街の定食屋で。うれしくない。

「咲久良、もっと自分を大切にしろ」
「しています。ですから今日、どこにも行くあてのなかった私は、創作部の小旅行に参加しました。土方先生がいるから。実は私、親から婚約者を押しつけられていて。今夜、うちで待っているんです、相手が。家に帰るの、怖いんです。私、咲久良家のひとり娘だから、高校を出たら結婚しろと言われていて……でも、私はいやです、そんなの。もっと知りたい。勉強したいのに。世の中を知りたいのに」

 咲久良は、ぐっと涙をこらえて中華丼を食べ進めている。たまに、唇をきゅっと噛むしぐさが、いじらしい。おいおい、まじか。
 その、健気な姿に、俺は心を打たれてしまう。

「お前は若い。結婚なんて、早い。だが、さっき電話で話をした感じでは、ごく普通の親御さんだったようだが」
「あれは担任向けの、外面です。家の中では、ほんとにひどい鬼畜ですよ。先生、助けてください」
「担任の俺が、家まで送るって言っている。そのとき、判断する。俺も何年か教師やっているんでね。だいたいのことは分かる」
「でも、怖いんです。生徒の訴えを無視するつもりですか」

 涙がこぼれた。咲久良は泣いている。
 器用なことに、中華丼を平らげつつ。
 理由はあれども、女子生徒を俺のマンションに泊めるわけにはいかない。
 しかも、よくよく見ると、好みのタイプにけっこう近いのだ。なにか起きてしまうかもしれない。いや、このままでは起きるだろう。起こしてはならない。

 食事を終えた俺は、さっさとお勘定を済ませ、おばちゃん店員に口止めをし、咲久良を助手席に押し込めると、車に乗った。

 さっき、定食屋でトイレに行ったとき、住所録で咲久良の住所をこっそり確かめておいた。わりと近い場所だが、最終バスがかなり早くに終わる地域だった。やれやれ、自転車通学をすればいいのに。今夜のところは、送るしかない。

「いいか。俺は教師で、お前は生徒だ。学校でのことならともかく、家庭の事情には深く突っ込めない。相談ぐらいなら乗ってもいいが、こんな形で俺を巻き込むな」
「そこをあえてお願いしています、先生」

 最後の手段とでも呼ぶのだろう、咲久良は身を張ってきた。
 甘い声を出し、運転席の俺の身体の上に乗っかってきたのだ。大胆にも!

「先生、助けてください。こんなことを相談できるの、私には先生しかいないんです」

 シートベルトが思った以上に食い込んで身体の動きを邪魔をするので、とっさに咲久良をほどけない。
 生身の咲久良は想像より重く、甘い香りがしている。女だった。こんな場面、学校関係者に見つかったら、即免職だろう。

 急直下、急展開。

 しかし俺は、女子生徒を喰うつもりはさらっさらない。外見はともかく、中身は幼いままの生徒と恋愛なんてできるかっての。
 ならばこの、俺の上に乗っかっている物体は、女子生徒ではない。ただの搭載物。俺の脳内で、せっけんの塊とでも置き換えて考えよう。うーん。甘いから、角砂糖かも。いや、このやわらかさは、つきたての餅だな。しっとり、むにむにの、もっちもち。食べたらさぞかし、美味……いや、やめておこう。

「おい、咲久良。離れろ、冷静になれ」
「いや。私、先生といたい」

 こんなことなら、部員の勧誘など声かけするんじゃなかった。現状維持で、よかったのに。危険物件、俺の手には負えない。

 高校生でも、咲久良からはしっかり雌の匂いがした。押しても押しても、くっついてくる。力づくで荒っぽく扱うこともできるが、けがなどさせてしまったら俺の査定に響く。

 女から迫られるのは、悪くない。むしろ、心地よい。
 けれど、時と場合による。

「咲久良、正気に戻れ」
「正気です。私のまわりで、手っ取り早く結婚できそうな人は先生しかいないんです。それとも、先生には心に決めた女性がいるんですか」

 おいおい、軽くひっかけられる男なら誰でもいいのか。どうなってんだ、こいつは。

 しかし現状、彼女や恋人と呼べる決まった女はいない。性格上、付き合ったりするのは面倒なので、最近はひと晩遊んで終わりの関係が多い。
 俺はことばに詰まった。適当に嘘をついてもいいが、それでは俺の良心が痛む。

「いたらどうする。結婚はしなくても、俺はそこそこ遊んでいる。そういうの、咲久良の年ごろには汚く感じるだろう。やめておけ、な?」
「私が先生のことを支えます。だから、もう黙っていてください。今日、先生がずっと私のことを見ていたの、知っていますよ」
「それは、飛び入りのお前が心配で」
「だから、黙って」

 バイパスを走る車のヘッドライトが、ときおり俺たちの姿を照らし出す。
 唇を重ね合わせたあとは、なし崩し的に咲久良を抱き寄せていた。まるで青春小説かよ、と突っ込みたくなるほどに。

 あたたかくてやわらかい咲久良の身体を、離したくなかった。好意というよりは、本能だった。女に飢えていたつもりなんてまるでないのに。むさぼるように、女の唇を追いかけた。
 相手の女は教え子だった、と思い出したときはもう、遅かった。

 ぱちり、と電子音。

「はい。証拠写真を撮りましたし、もう離れていいですよー。ご協力ありがとうございましたっ☆」

 ちゃっかり、咲久良は俺との濃厚な絡み画像を携帯で撮影していた。

「おい、今の……! 消せ、消さないと、俺は」
「悪用はしません。ただ、私には本気の男性がいると、親に説明したいだけです。通っている高校の担任教師なんて、まさか言いませんよ」

 いや、本気の相手なら、どこの誰なのかという話になるに決まっている、そのとき、俺が相手なんてことになったら……俺、破滅?

「頼む、今の画像は削除してくれ。証拠はまずい。いいか、落ち着け。困っているなら、恋人のふりぐらいはしよう。婚約が解消されればいいんだな。約束する。正直、お前のことはいいなって思ったし」
「きゃー、うれしい! では、契約成立ってことで。ふたりのときは、先生じゃなくて『としくん』って呼びます」
「と、としくん?」
「彼氏じゃなくて、恋人って響きはいいですね。『としくんの恋人』。とても気に入りました。としくん。私、キスが初めてでした。すごく……驚いたけど、としくんなら、まかせてもいいかなって」

 そこで、にこりと愛らしい笑顔を見せる。
 ……くっそ、こいつめ。教師を手玉に取るなんて。性格以外は、文句なしにかわいいのに!
 ともかく、俺は懇願し、抱き合う画像はどうにか諦めてもらい、再び車を降りて定食屋のおばちゃん店員に、ふたりの写真を撮り直してもらった。

 肩に手を回すよう強要した咲久良は、『恋人』の俺に身を寄り添わせている作られた構図。しかし、どう見ても、初々しいカップルそのものだった。絶対、おばちゃんに誤解されたよ……どうすんだ。

「ふーん、まずまずですね」
「それを、親にはどのように説明するんだ」
「将来を誓った、大切な人。結婚を視野に入れた恋人。比翼連理、二世の契り!」

 真顔で言うので、思わず吹き出してしまいそうになる。

「担任とは言いません。ただ、『社会人、サラリーマンです』、と。うちの親は先生の顔を知りませんし、騙すのなんて軽いですよ。あー、よかった。先生がやさしくて。あっ、でもこれからは、ほかの子にやさしくしたらだめですよ。濃厚画像のほうを、学校に叩きつけますからね?」

 それって、ほとんど脅迫。

 けれど、カップル画像を手にした咲久良はかなり上機嫌で、俺に送られて帰宅した。あまりの遅さに、婚約者はしびれをきらして帰ってしまったのだという。


 咲久良の自宅は、ほんとうに大きな一軒家だった。暗くてよく見えないけれど、壁がずーっと続いている。聞けば、向かい・斜め・両・隣り、見渡す限り一面が、咲久良の持っている土地らしい。
 門を解錠しながら、咲久良は振り向いた。

「そういえば、先生は文芸創作部を担当していますが、ご自分でも小説とか、詩とか書いたこと、あるんですか」
「書かない。今の俺は、現場監督みたいなものだ」
「『今の俺』ってことは、昔の先生は」

「学生時代だ、学生……見よう見まねで恋愛小説を書いて、とある新人賞の最終候補に残ったことがあったが、審査員のひとりに完全否定されて小説家デビューはできなかった」
「見よう見まねって、自分の経験談ですか」
「言わせるな」

「是非、読んでみたいですね」
「やめとけ。しろうとの作文レベルだぞ。駄文」
「いいえ。元文学青年、照れないでください?」
「原稿の元データは、なくした。提出したものも、返却されなかったし」

 咲久良は小さく首をかしげて笑った。いい笑みだ。自分のセールスポイントをよく理解している。

「楽しみにしていますね。読んだら、今度は私が書きますよ。文芸創作部に入って、先生の仇を討ちます。それじゃ、先生。また明日」

 仇。話が壮大になってしまったが、早く帰したいので俺は笑顔を作った。

「おう。気をつけて」
「ありがとうございます」

「ああ、そうだ。先生、プライベート用の携帯番号とアドレスを教えてください。これから、恋人どうしになるんです」
「ふりだ、恋人のふり。間違えるな、そこ重要」

 確かにいろいろ、打ち合わせなければならない。学校では人目につく。
 俺はメモ用紙をちぎると、街灯を頼りに綴った走り書きを咲久良に手渡した。

「うれしい、としくん」

 遅い帰宅に、叱られるだろうけれど、咲久良の脚はステップを踏むように軽やかだった。闇の中で、白いスカートがぼんやりと翻った。

「……原稿、『なくした』んじゃなくて、『捨てた』が正しい、かな」


 その夜、電話なりメールなりなにか連絡が入るかと、やや期待していたけれど、咲久良からはなんの着信もなかった。

 からかわれたのか?
 そもそも、あんなに手馴れた誘いかた、ごくごく普通の高校生ができるものなのか?


 翌日。

 少し、寝不足だ。頭が痛い。
 毎朝の日課として、川っぺりを十キロほど走ってから通勤しているが、今日は休んでしまった。
 それ以外は、いつもと同じ一日のはじまり。

「おはようございます」

 昨夜のことは、もしかしたら夢だったのかもしれない。咲久良はただの教え子で、俺は担任教師。
 学校内で一生徒を過剰に意識しないこと、だ。

 あの歳で婚約者がいるというのは驚きだが、咲久良の自宅はいやに大きかったし、やつの父親は議員だ。調べたことはないが、ひとりっ子だし、あのへんの旧家のお嬢さまなのかもしれない。

 俺を誘惑したのは、親への反発か。言い逃れるためとはいえ、恋人のふりなんて失言だった。担任教師として、咲久良とのことはまるく収めなければならない。

 朝のホームルームの時間に教室へ向かうと、咲久良はいつも通り登校していつも通りに過ごしていた。別に、変わった素振りはない。
 車の中で、色仕掛けで迫ってきたくせに、今朝は俺と視線を合わせるつもりもないらしい。楽しそうに、クラスメイトと談笑している。

 なんだ、心配して損をした。


 昼休み。
 食事を終え、職員室で午後の準備をしている俺に、届け物があった。

「入部届です」

 文芸創作部の部長が手に持っているのは、咲久良の入部届だった。今日の日付で、本人の丁寧な署名がある。きれいな字を書く。

「これ、咲久良の」
「彼女、昨日の活動で決心したようです。とても楽しかったから、部に入れてくださいと、今朝届け出がありました」

 俺はいやな予感がした。
 まさかあいつ、俺の過去作を本気で読もうとしているのか。残念ながら、あの作品は事情があって、引っ越しを機にデータを処分した。手もとには残っていない。

「そ、そうか。部長は、あいつのことでなにか知っていることはあるかな」
「なにか、とおっしゃいますと?」

 三年の男子部長は、眼鏡の奥をきらりと光らせた。

「いや、その。変わったこととか、噂とか。ああ、別に変な意味じゃない。こんな時期によく入部するなあ、と思って。なにかあったのかな、なんてね」
「彼女は以前から、創作を好んでいたようなので、部誌を貸したことは何度かあります。あと、土方先生個人にも、興味があるようでしたね」
「俺に?」

 そのことばに、体温が上がるのを感じた。冷静を保つのが難しい。

「はい。先生の出身はどこで、今はひとり暮らしなのかとか、彼女はいるのかとか、個人的なことをよく聞かれました。もちろん、よくは知らないと答えましたよ。そのうち、直接聞きに来るかもしれませんよ。先生と生徒の恋愛なんて、けしからんことです。叱り飛ばしてください、そのときは。がっちりと!」

 あいつ、俺のことを内偵していたのか。

「……入部届は、受理しておく」

 帰りのホームルームが終わっても、咲久良は俺にとうとう一度も話しかけようとしなかった。しびれを切らした俺が近づいたところ、咲久良はクラスの友人たちと寄り道をする相談をしていた。

「咲久良。お前、少し残れ」

 そう呼んだとき、はじめて視線が合った。

 驚いたような顔をしたあと、すぐに満足そうに口角を上げた。
 わざとだ、わざと。俺の気を引くために、こいつ絶対にわざと一日中無視していやがった!

「なんのお話ですか、先生?」

 素っ気ない。媚びもない。同じ口が、昨日は『としくん』なんて呼んだとは思えない。かわいくない。

「なんのって。入部届の話だ、入部の!」
「先生、朝は風紀の巡回でお忙しそうだったので、入部届は部長さんに預けたんですが。部活をはじめるのに、担当顧問の面接があるんですか。へー、知りませんでした」

「いいから、ちょっと来い! 咲久良は借りるぞ」
 咲久良の袖をつかみながら歩きはじめ、俺はふたりで話ができそうな場所を考えた。

「強引ですね。さすが、鬼の副長」
「それは同姓同名の別人。しかも歴史上の人物」

「どこへ行くんですか。もしかして、体育館倉庫もしくは倉庫裏ですか。密会の定番の場所で、いやらしいことをするつもりですか?」
「バカ。この時間は部活中だ。バレーボール部やらバスケット部のやつらが、うじゃうじゃいるだろ。どんな期待をしているんだ」
「そうでしたね、残念です。としくんになら、全部を奪われてもいいと覚悟しているのに」

「……妄想癖も、いいかげんしにしろ。恋人のふりと言いつつ、身体の関係を期待しているなら、よそを当たってくれ」

 しかし、担任教師と生徒がふたりきりでも違和感のない場所とは、どこだ。密会ではない。けれど万が一、見つかってもうまくごまかせる場所とは。
 俺が根城にしている国語準備室でもいいが、あの部屋は荷物が整理されていない上に死角が多いので、いかにも密会っぽい。

「で、進路指導室ですか。まあ、無難ですね」
「俺は担任、お前は生徒。いい選択だ。特別に、『進路指導』してやる」

 向かい合わせに座った。刑事ドラマでよくある、訊問風景みたいに。

「なるほどー。ふたりきりで、なんでもありですね。課外授業は恋のレッスン! 私たちはここで、秘密の関係になるんですか。どうしよう。今日だけは、もっとかわいい下着をつけてくればよかったかな」
「だから、ならねえって! いちいち、生々しい発言をするな、青くさい高校生のくせに、背伸びするのもたいがいにしろ」

 つい、俺は拳で机を叩いていた。何度も、強く。手が痛くなってしまった。どうしてくれる?

「そんなに熱くならないでくださいよ、としくんってば。冗談です。かわいい系より、お色気系が趣味なんですね。黒ですか、赤ですか? メモしなきゃ」

 絶対にからかわれている。俺は確信した。

「……入部届を預かった。本気か」

 自分を鎮めるかのように、俺はゆっくりと話しかけた。

「はい。部に入ったほうが自然な流れで、としくんと一緒にいられる時間が増える、と思いまして、うふっ?」
「俺は顧問だが、指導はしない。活動は基本、部員たちの自由だ。部活にもそれほど顔を出さない」
「えー。放任ですね。つまんなーい」
「基本、そういう部だ。創作は、手取り足取り教わるものではない」
「私は、としくんに手も足も取られたいですね。そうしたら、婚約破棄できるから。ふたりだけの、秘密の指導、してほしい、な?」

 咲久良が俺の手に自分の手を重ねてきた。
 机の上で、まとわりつくように絡む。思わず、ぞくりと快感にも似た悪寒が背筋に走った。こ、こいつ、男の心理を分かっていて、そんな行動を?
「手ええええをはなせええええええええ!」

「ちぇっ、お堅いなあ。これからは、私のためにも部活に出てくださいよ? でないと私、あることないことしゃべっちゃうかも。担任に、襲われて奪われたとか」
「襲われて奪われたのは、俺のほうだっつーの! だいたい、あんな誘いかたって、あるか。普通の女子高校生が、いきなり男に抱きついたり、キスするのか。いたいけな担任教師を脅迫しておきながら、しらばっくれるつもりか、けだものめ。なにが目的だ」
「『普通の』なんて、くくりに入れないでください。私、全然普通じゃありません。親に決められた生活、親に決められた婚約者。高校だけは自由な校風を選べましたが、卒業したら即結婚なんですよ。ありえますか、現代日本で。創作文芸部に入るのも、せめてもの抵抗です。中身はともかく名前だけは真面目だし、ばれてもごまかせると思って」

 けっこう、深刻なのか。家庭環境。

「それは、悪かった。俺は担任とはいえ、お前のことをほとんど知らない。よかったら、話してくれないか。役に立てるかどうかは分からないが、できる限り力になりたい」
「それは、恋人としてですか。担任として、ですか」

「もちろん、担任教師としてだ。断じて、恋人ではない。それに、ふりだ。恋人のふり」

 その即答だった俺のひとことに、咲久良はひどく気分を害したようで、不機嫌な幼児のように頬をぷうと膨らませた。やっぱり、子どもだ。

「きらい。先生なんて、きらい。意地悪、けち。ここは、嘘でもいいから、恋人として放っておけないって、言うべき場面ですよ。そんな性格でよく、恋愛小説が書けましたね。先生は、人間のことがまるで分かっていません」
「う……」

「さあ、言い直してください。でないと私、なにを口走るか分かりませんよ?」

 奇妙な女子生徒に目をつけられてしまったと悲嘆するべきか、己の迂闊さを呪うべきか。

「恋人の……ふりをするにしても、放っておけない」
「ふり、ですか。そうですか。ここまで言っても」
「もともと、そういう契約だ」

「あれから考え直したんですが、ほんとうの恋人どうしになってもいいと思うんです、私たち。することしましたし、秘密の関係って燃えそうですよね」
「やめろ、やめろやめろやめろ、ヤ・メ・ロ。俺たちはそんな関係じゃない。突発的に唇が重なっただけだ。事故に近い。もっとも手近な男だった担任に、救いを求めた女子生徒、だろ。部活には出る、だからお前の話も聞かせろ」

「はー。まじで仕方のない教師ですね、何度もちゅっちゅしておきながら。えー、咲久良みずほ、高校二年生十七歳。身長百六十五センチ、体重四十八キロ。バスト八十三、ウエスト五十七、ヒップ八十五センチ。わりと均整の取れた、いい体型だと思います」

 ほどよい身体つきをしていそうだ。俺は、ちょっとだけ想像してごくりと生唾を飲み込んだが、お下品だったか。

「趣味は、恋人のとしくんといちゃいちゃすること。将来の夢は、としくんのおよめさん。できちゃった結婚でも可!」
「おい、そんな表面的なことや、お前の妄想は聞いていない」
「先生が言ったじゃないですか。私のことが聞きたいって」

「だから、どうして俺が恋人にならなきゃいけないこととか、お前の婚約者ってなんなのかって話だ。そんなの、話の流れでいちいちい言わなくても分かるだろうに」
「あれ? としくんは、私の身体が目当てだと思いました。恋人のふりする報酬として、それぐらい狙って当然かと」
「受け持ちの女子生徒の身体とか、あるわけねえよ!」
 俺は頭をかかえた。冷静になれ、冷静に。
 こいつは、話の核心をはぐらかそうとしているだけだ。乗ったら負けだ。それとも、家庭の詳しい事情はあまり話したくないのか。

「まあ、いい。徐々に聞くとしよう。友だちが待ってんだろ、駅前のファーストフード店で。あまり遅いと、俺たちの仲を不審がられる」
「うわあ、生徒の会話を立ち聞きですか、悪趣味な。ま、これだけ時間があれば、もう襲われていますね」

「……そんなに襲われたいか」
「はい! 次の土曜日、先生の自宅へ行ってもいいですか? 自炊、しないって聞きましたし、ごはんを作ってあげます」

 襲われ希望の女なんて、はじめてだった。しかも教え子。

「お前なんかに頼まなくても、めしぐらい作ってくれるやつは他にたくさんいる」
「生意気な言い方ですね。『お前なんか』ではありません。恋人の作るごはんは特別ですよ、特別! なんだったら、今夜でも構いませんが、泊めてくれます?」
「いらん。今夜はすでに予約がある。間に合っている」
「ごはんのお礼は、としくんの身体で払ってください」

「……あのなあ、人の話を聞け? しかもそういう冗談、ほかの男に言ったら、一回でアウトだからな? がぶっと、まるっと喰われて捨てられておしまいだ。男にとって都合のいい便利な女なんて、イヤだろ?」
「当然、としくんにしか言いません。ふしだらな女ではありませんので、私」
「分かった分かった。もう帰れ、話にならない」

 過去にも、俺に向かって軽く好意をほのめかす生徒はいたけれど、ここまで身体を張って、真正面から迫ってくる生徒は初めてだ。辟易した。
 まともにぶつかるよりも、まずはこいつの身辺調査をしたほうがよさそうだ。このままでは、俺の神経が持たない。

「つれないなあ、もう」

 咲久良は怒っている。簡単につれたら俺が困る。

「とりあえず、メールだけは寄越せ。番号も。こっちから、連絡することもあるはずだ」
「はーい。でも、メールの文末には、必ずハートマークを入れてくださいね。たくさん、飛ばすんですよ。ハートの数が多ければ多いほど、合格です」
「ふざけんな。絵文字なんて、ガラじゃない。オトナをからかうな」

 咲久良を追い出すようにして、俺も十分後に時間差で進路指導室を出た。

 その後、職員室でマル秘の資料を探る。
 各生徒の、個人情報が書かれた調書が保管されている。担任権限で、俺は咲久良の資料を堂々と抜き取った。

 現住所は、昨夜送った場所に間違いなかった。地図と見比べる。なるほど、豪邸のお嬢さまだ。
 家族構成は、父母。ひとりっ子で、きょうだいはいないが、祖母と同居している。都内のわりと有名な私立中学を卒業し、うちの高校に進学していた。珍しいケースだった。
 我が校の学力レベルは、どうがんばって見積もっても、せいぜいが中の上。咲久良が通っていた学校と比べると、格下感は否めない。

「通学がラクだから、とか」

 咲久良の自宅から、うちの高校までなら三十分ほどで通学できるけれど、有名私立大学の付属高校に通うとなると、片道一時間では足りないだろう。
 朝夕の通勤通学ラッシュ時にぶつかると、より時間がかかるはずだ。痴漢の被害も受けるかもしれない。
 いや、それにしたってもっと上位の高校を狙えただろうに。

 とりあえず、咲久良の調書を伏せ、俺は携帯で咲久良家について軽く調べてみた。
 すると、咲久良家の入り婿である父親が、地元の市議会議員をだいぶ長く務めているという事実に当たった。家土地持ちなのは、母親のほうだった。選挙運動時の画像がいくつも出てくる。父親に比べ、母親はとても若い。

「なるほど、娘に婿を早く取りたいと願うのは、親世代からの因習か」

 となると、咲久良の婿候補は父親の側近だろうか。いずれは、議員の地盤を継ぐために。
 それでも、婚約者のことはまではまるで見当もつかない。恋人権限を振りかざし、名前ぐらいは聞き出させねば。

 しかし、俺がそれをしてどうなる。腕を組んで考える。

 婚約を破棄という事態になれば、咲久良は喜ぶのだろうか。咲久良家は、納得するのだろうか。誰も得をしないことに、俺は手を染めかけているのではないか。
 いや、咲久良の担任として、あいつのかかえている不安は除いてやる必要はある。困っている生徒に、手を差し伸べるのは、教師として当たり前の行為だ。

 たとえ、恋人ごっこでも。

 まずは事実確認。
 現状、とにかく俺はそう納得することにした。
 翌日、俺は出張で午後からの出勤だった。
 調べ物があったので、県立図書館まで出て、それから高校へ行った。高校の教師だ、それぐらいはする。たまに。


 今日は受け持ちの授業がない。午後はみっちり、書類の整理に明け暮れる。下校前のクラスホームルームを済ませ、創作文芸部に少し出席するつもりでいた。

 遠くから見た限り、咲久良は淡々と過ごしている。

 あれほど言ったのに、あいつからはメールも電話も来ない。屈辱を覚えながらも、俺のほうからメールをしてやったのというのに、返事もないのだ。今どきの女子高校生の多くは、携帯依存症ではないのか?

 そのくせ、俺を凝視してくる。気がついて、俺が視線を送ると途端に目を逸らしてくる。あからさまに。


 放課後。
 部の活動を行っている、国語準備室に脚を向けた。

 文芸創作部は、作品を仕上げることに重点を置いている。文化祭と年度末に二冊、部誌を発行しているので、それが大目標。
 残りの時間は、もっぱら個人の創作時間で、部活のある日は最近読んだ本や観た映画の感想とか、執筆に使うパソコンの環境設定などについて話し合っている。
 今どきのやつらは『原稿用紙何枚分』なんて、言わない。『何万字』あるいは『何KB』だ。時代を感じる。

 作るものは、文字を基本としていれば、なんでもいいことになっている。小説、詩、短歌、まんがでもコミックエッセイでもいい。高校生の感性で書かれたそれらは、つたないものもあり、しかし光るものも数多い。

 いいなと思ったものは、積極的に公募へ出すよう、俺は勧めている。そうやって今までに数人、公募でも入賞できた。もちろんこれは俺の力ではなく、生徒の努力によるものだ。努力は自信につながる。
 俺は生徒の背中をそっと押してやったにすぎないし、成果を自慢するつもりもない。


 ドアをノックして準備室へ入る。今日は七人、集まっていた。部活のかけもちをしている生徒もいるので、いつもこんなものだ。俺が部屋に入ると、皆一様に驚いた顔をした。

「珍しいですね、土方先生が部活を見に来てくださるなんて」
「俺に構わないで続けてくれ。俺は外野」

 異端扱いされてしまった。そう言いながら、俺は部員を見渡した。咲久良がいる。みな、田舎のブンガク少年少女っぽいのに、今どき容姿の咲久良だけひときわ垢抜けていて、まるで異物だ。浮いていた。俺とは異質どうし、なのか?

「差し入れだ」

 テーブルの上に、袋を置いた。

 売店の自販機で買ってきた飲み物を部員たちに、配ると歓声が上がった。外見はオトナに近づいていても、こういう素直なところは、まだまだ幼いと思う。

「いただきます」
「ありがとうございます」
「どれにしよう?」

 ミルクティーを選んだ咲久良は、俺のほうに軽く会釈をしたが、顔は上げなかった。まあ、いい。期待しているわけでもない。(偽装)恋人として、あからさまに親密な態度をとられても困る。なんとなく、俺も直視できないでいる。

 俺は残った缶コーヒーを手にし、部員からやや離れた窓際の席に着いて日誌を書くことにした。

 この部屋はとにかく資料の入った段ボールが多い。未整理のまま、捨て置かれた紙類がタワーを形成していて、まっすぐ歩けない。
 なにか起きたら困るので片づけてほしいと、事務に何度も注文をつけられたけれど、資料の山々は過去の遺物であり、歴代の国語教師になんとなく引き継がれているだけだ。俺も、これを放置したまま数年後に異動するだろう、きっと。

 どうにか、集まった人数だけ座れるように配置されているテーブルをよけて、俺は窓際にたどり着いた。
 狭いけれど、この部屋で部活をするのは、やっぱり資料が多いからだ。右手を伸ばすだけで国語辞書。左手には百科事典。教科書によく載っている作家や古典作品もすぐ届く位置にある。図書室だと広いので、こうはいかない。ものぐさな人間の部屋、みたいなものだ。
 
 今日の部活では、先日訪問した文学館での感想を述べ合っている。俺は聞いているだけ。口は挟まない。

 咲久良は積極的に発言しないものの、問いを投げかければ答えるし、古今東西わりと本を読んでいるらしく、この高校では成績優秀な部長とも対等に議論を交わしていた。

 国語のみならず、咲久良は全般的に成績は普通だったはずなのに、かなり聡明だった。成績を上げないよう、わざとコントロールしているのかとさえ疑ってしまう。部には同じクラスの人間がいないぶん、やりやすいのかもしれない。

 表面上、咲久良が平均点少女を偽装しているようだと、俺は感づいた。

 次回の活動日は翌々週と決まり、それぞれ創作物を持ち込むことに決めた。

「あの、共通のテーマを決めませんか?」

 咲久良が発言した。

「それは、競作ってことかい」

 部員のひとりが反応する。

「はい。たとえば、恋……とか」

 難しいな、と一同がざわついた。
 おいおい、よりによって恋とは俺への挑戦状か。咲久良が、俺のほうを睨むように見つめながら、ほほえんでいる。俺の心もざわついた。

「難しいほうが手応えがあっていいと思うよ。ねえ、土方先生?」

 部長が全員を叱咤する。新入りの、創作初心者には負けられないのだろう。部長は知識が先走ってしまって、あまりいい小説を書けない。小論文や評論はうまいのだが、いつでも書き手である自分が文章にちらほら顔を出してしまう。

「よし、テーマは恋。短編小説でも、詩でも、短歌でも、なんでもいい。四コマまんがでもね。形式は自由。ただし、全員提出のこと。今日欠席の部員にも厳守させる」

 締め切りは部活の前日まで、提出先は部長となった。
 次回の課題が決まると、部活は終了となる。俺も職員室に引き上げることにしたが、ついでといった感じを装って、なるべくさりげなく咲久良に声をかける。

「咲久良、提出物のことで聞きたいことがあるから、片づけが終わったら帰りに職員室まで寄ってくれないか。すぐに終わる」

 なんで、教師の俺が、年上の俺が、十ほども違う小娘に対して、こんなに気をつかわないといけないんだ。
 ふたりきりの環境になったら、とにかく連絡してこいと、俺は言おうと思っている。自分から番号を聞き出しておいて音信不通なのだから、これは腹が立つ。俺がメールを送っても、まるで無視なのだ。どういうつもりなんだ。遊ばれているのか? トラップなのか?

 咲久良はすぐに来た。部活解散後、五分ぐらいだった。

「なんの話でしょうか」

 ほかの教員の目があるので、咲久良はかしこまっている。基本、お嬢さまなのだ。この、外面姫よ。

「お前、文学にかなり詳しいんだな。意外だった」
「別に、あれぐらい普通です。中学のとき、長い通学電車の中で、することがなくて、いつも読書していましたので。うち、本だけは多いんです。そのころからの習慣で、なんとなく今も」
「そのくせ、国語の成績は普通だよな。俺の、担任の教科なのに」

 現代文はよくても、古文・漢文は苦手、という生徒もよくいるが、咲久良はどちらもまんべんなく平均点を保っている。偽装成績の嫌疑が、ますます濃厚になった。

「成績と読書は関係ありません。たくさん読んだからって、成績が上がるなんて単なる決めつけです」
「そうか? 多少は役に立つはずだぞ」
「むしろ、読書にのめり込むと、勉強の妨げになるかと。私、進学しないので、これ以上の勉学は必要ありません」

「もったいないな。せっかく、素地があるのに」
「進学しない私なんかが好成績だったら、みんなの迷惑になります。学校の成績は普通、あるいはそれ以下でじゅうぶんです」

 水かけ論だった。俺は、ごほんとひとつ、咳払いをして話題を変えた。

「それはそうと、メール。なにか、言って返せ」

 秘密の交際をしているような気がして、俺は自然と小声になっていたが、やましくはないはずだ。これは、一女子生徒の救済だ。

「ハートがありません」

「はー……と?」
「そうです、言いましたよね。恋人どうしのメールには、ハートが乱舞すると。先生からのメールは、どうみてもただの事務連絡。平安時代の恋文にたとえるならば、先生のメールはごわごわの陸奥紙で書かれた、そっけないお役所文書です。もっと、きれいな紙に……季節の色に染められた薄様に、お花とかプレゼントを添えるような気持ちで書いてください。返事をする気には、とうていなれません」
「しっ。咲久良、声が大きい」

 面倒くさい比喩を使ってきた……俺が、国語科だということを意識しているのか。

「何度でも言います、ハートをください」
「鳩?」
「違います、♡です」

 どこで得た知識なのか。ハート、ハート。小学生か。外見はおとなびて映る反面、中身は相当に子どもっぽさを残している。あやうい。

 ハート、それに絵文字全般が、俺には気恥ずかしい。恋人ごっことはいえ、メールは証拠が残る。万が一の可能性もあるので、俺はわざとシンプルな文面にしていた。

「……ハートにしたら、返事するんだな」
「はい、もちろんです!」

 ……繰り返すが、面倒くさい。

 一度、ゆっくり話し合わなければならない。場合によっては、家庭訪問が必要だ。生徒の家庭と深くつきあわなくてすみそうだから、小学校や中学校ではなく、高校教師を希望したのに、やっかいなことだ。

 まあ、仕方がない。いまいましいけれど、これも業務の一環だ。

「先生も、もう帰るようでしたら、一緒に帰りませんか」

 ハート、いやメールの話を終えると、咲久良は急ににこやかな顔になった。愛情に飢えているのかなと邪推してしまう。
 教師と生徒が一緒に帰るぐらい、たまにはあるだろう。妙に意識する場面でもないと思う。一緒に帰るといっても、最寄りの駅までだ。……ん、まさか、それ以上、というかうちまで、ついてくるつもりじゃないよな? 俺は警戒した。

「土方先生、国語準備室の鍵を返却します!」

 そこへ、文芸創作部の部長が職員室に飛び込んできた。

「あ、ああ。おつかれさま」
「先生は、咲久良さんとずいぶん親しいんですね」

 ほら、来た。やっぱり、一緒に帰る案は却下。俺は、投げ出していた脚を組み替える。その類いの問いは、予想済みだ。

「担任のクラスの生徒だからな」

 頭の中で何度も反芻しているせいか、余裕たっぷりで答えることができた。しかし、俺の隣で咲久良は失笑していた。芝居じみていたか?

「なるほど。そうでしたね、そういえば」
「部長、そろそろ暗くなる。駅まででいい、咲久良と帰ってくれないか」

 ふたりとも、あからさまに顔をしかめた。そんなにおかしな発言をしたつもりはないのに、しらけた空気が流れた。

「か、構いませんよ。ぼくは、構いません。先生の依頼とあれば」
「……じゃあ、帰ります。先生、さようなら。先ほどの件、よろしくお願いしますね。是非」

 俺は苦笑いで手を振った。
 恨まれたな、これは。