俺は本名のまま、作品を公募に出していた。俺の原稿に触れて読んだ咲久良は、俺を知った。そして、高校で出逢った。
いや、それさえもあやしい。
咲久良は俺を知っていて、俺が働いている高校を選んで受験したのかもしれない。俺に近づくために。
「先生はおとなしく、みずほの誘惑に乗っていればよかったのに。中途半端に聖職者ぶるのはよくないわ。ほんとうは、みずほの身体が欲しかったんでしょう。今からでも認めるなら、あげてもいいのよ。そうしたら、こちらもみずほとの関係を黙っていてあげる。でも、私のことも同じように愛して」
とんでもない提案である。取り引きには条件、といったところか。
「先生、けっこう守備範囲が広くていらっしゃるようだし。教師と生徒とその母親の三角関係。ふふふ、新しい作品が書けそう。拒否したら、あなたを社会的に抹殺してあげる。みずほが、先生との仲を必死にアピールして、婚約解消に向けてアピールしていた証拠が、こちらには大量にあるのよ。高校に訴えたら、どうなるかしら」
「ごめんなさい、先生! 婚約解消できるなら、ほんとうは誰でもよかった。でも、あんな無理なお願いを頼めるの、身近には先生しかいなくて。でも、先生っていう職業じゃ、やっぱりアウトだった……みたい」
坂崎が持っていた証拠写真は、咲久良当人が故意に流出したようだ。
進んでも地獄、引いても地獄。体面を繕うには、咲久良と冴木鏡子の母子ふたりを相手にしなければならないし、あえて清廉な人間を主張すれば職を失う。
「あやまって済むと思ったら、大間違いだぞ咲久良。この世には、とんでもない悪人が相当数いる。善人面をかぶっている、悪魔がね」
「ママはずるい。私の好きな相手を、次々と奪うんだもの。坂崎さんだけじゃなくて、先生まで?」
「私は、咲久良家の責任を果たした。あなたも早くに結婚して子を生んで、そのあとに好きなことをすればいいじゃない」
かつての咲久良は、坂崎のことが好きだったのか。確かに見た目は好青年だ、痛いほど分かりやすい。
「さ、先生。私の部屋へどうぞ。みずほも部屋に戻りなさい。これからは、おとなの時間」
冴木鏡子は俺にしなだれかかった。咲久良のしぐさとまったく同じだ。おそらくは咲久良が真似ているのだろうが、似過ぎていて萎える。
「先生、どうかなさって?」
反応しない俺に、冴木鏡子が入室を促す。
俺とは二十ほど違うはずだが、歳の割には若くてきれいな女だと思うし、そもそも歳にはあまりこだわりがない。年上でもいい女は好きだ。しかし、冴木鏡子は受けつけられない。
「できません。あなたとはできません。過去のことはもちろん、孤立無援の咲久良を踏みにじることはできない。咲久良、行こう」
「先生……!」
「俺を辞めさせたいなら、どうぞご自由に。でも、婚約は解消だ。咲久良、行くぞ。それと忠告ですが、三角関係ばかりテーマにするのはどうかと思いますよ、陳腐です。おなかいっぱいです」
咲久良の手をしっかりつないだ俺は、咲久良家を出ようと廊下を進みはじめた。とにかく、この忌まわしい家を出たい。
感情で行動するなんてバカげたことをするつもりはなかったのに、俺は担任のクラスの女子生徒を連れて逃げようとしていた。これから、仕事はどうする。結婚はどうする。
不安そうに、咲久良が俺にしがみついてきた。けれど、必死に笑顔を作っている。相当無理をしているようだ。手が震えている。
「だいじょうぶ、なんとかする。俺にまかせろ」
そう答えるしかないが、そう言っている俺当人がもっとも不安だ。
玄関までたどり着くと、人影がふたつあった。
「誰か、いる?」
怪訝そうに見つめる咲久良に対し、人影のひとつが咲久良に向かって抱きついてきた。
「みずほちゃーん! みずほちゃん。ぼくのかわいい、みずほちゃん!」
いや、それさえもあやしい。
咲久良は俺を知っていて、俺が働いている高校を選んで受験したのかもしれない。俺に近づくために。
「先生はおとなしく、みずほの誘惑に乗っていればよかったのに。中途半端に聖職者ぶるのはよくないわ。ほんとうは、みずほの身体が欲しかったんでしょう。今からでも認めるなら、あげてもいいのよ。そうしたら、こちらもみずほとの関係を黙っていてあげる。でも、私のことも同じように愛して」
とんでもない提案である。取り引きには条件、といったところか。
「先生、けっこう守備範囲が広くていらっしゃるようだし。教師と生徒とその母親の三角関係。ふふふ、新しい作品が書けそう。拒否したら、あなたを社会的に抹殺してあげる。みずほが、先生との仲を必死にアピールして、婚約解消に向けてアピールしていた証拠が、こちらには大量にあるのよ。高校に訴えたら、どうなるかしら」
「ごめんなさい、先生! 婚約解消できるなら、ほんとうは誰でもよかった。でも、あんな無理なお願いを頼めるの、身近には先生しかいなくて。でも、先生っていう職業じゃ、やっぱりアウトだった……みたい」
坂崎が持っていた証拠写真は、咲久良当人が故意に流出したようだ。
進んでも地獄、引いても地獄。体面を繕うには、咲久良と冴木鏡子の母子ふたりを相手にしなければならないし、あえて清廉な人間を主張すれば職を失う。
「あやまって済むと思ったら、大間違いだぞ咲久良。この世には、とんでもない悪人が相当数いる。善人面をかぶっている、悪魔がね」
「ママはずるい。私の好きな相手を、次々と奪うんだもの。坂崎さんだけじゃなくて、先生まで?」
「私は、咲久良家の責任を果たした。あなたも早くに結婚して子を生んで、そのあとに好きなことをすればいいじゃない」
かつての咲久良は、坂崎のことが好きだったのか。確かに見た目は好青年だ、痛いほど分かりやすい。
「さ、先生。私の部屋へどうぞ。みずほも部屋に戻りなさい。これからは、おとなの時間」
冴木鏡子は俺にしなだれかかった。咲久良のしぐさとまったく同じだ。おそらくは咲久良が真似ているのだろうが、似過ぎていて萎える。
「先生、どうかなさって?」
反応しない俺に、冴木鏡子が入室を促す。
俺とは二十ほど違うはずだが、歳の割には若くてきれいな女だと思うし、そもそも歳にはあまりこだわりがない。年上でもいい女は好きだ。しかし、冴木鏡子は受けつけられない。
「できません。あなたとはできません。過去のことはもちろん、孤立無援の咲久良を踏みにじることはできない。咲久良、行こう」
「先生……!」
「俺を辞めさせたいなら、どうぞご自由に。でも、婚約は解消だ。咲久良、行くぞ。それと忠告ですが、三角関係ばかりテーマにするのはどうかと思いますよ、陳腐です。おなかいっぱいです」
咲久良の手をしっかりつないだ俺は、咲久良家を出ようと廊下を進みはじめた。とにかく、この忌まわしい家を出たい。
感情で行動するなんてバカげたことをするつもりはなかったのに、俺は担任のクラスの女子生徒を連れて逃げようとしていた。これから、仕事はどうする。結婚はどうする。
不安そうに、咲久良が俺にしがみついてきた。けれど、必死に笑顔を作っている。相当無理をしているようだ。手が震えている。
「だいじょうぶ、なんとかする。俺にまかせろ」
そう答えるしかないが、そう言っている俺当人がもっとも不安だ。
玄関までたどり着くと、人影がふたつあった。
「誰か、いる?」
怪訝そうに見つめる咲久良に対し、人影のひとつが咲久良に向かって抱きついてきた。
「みずほちゃーん! みずほちゃん。ぼくのかわいい、みずほちゃん!」