過去の思い出を封印し、虻川は三十歳になっていた。大学は無事卒業したが就職はしなかった。古びた、屋上で香苗に振られたマンションの一室で細々と作業を進めていた。インターネットを使った売買サイトの構築に務めていた。それが形になり、会員数も次第に増えていった。売買といってもオークションサイトだ。無駄が多い世の中でその無駄を循環させたら面白い、という発想から生まれた。サイト登録は無料で、オークション内で売買が成立した場合、一定の手数料を頂く。あとはサイト内に貼られた、ポップ広告をクリックするとお金が入る手はずになっている。サイトが次第に成長してきたからか、広告をサイトに載せて欲しい、という依頼が急増し、一人で事業を行うには難しくなり法人化した。
そこからは三年で急成長し、その時点で上場の誘いがあったが、もう少し事業の根幹を図太く固めたいと思い断り、虻川が二十九歳のときに見事、東証一部上場を果たした。オフィスには多数の花が届けられた。その中に、忘れ去られた名前があった。
〝海原透〟と。
空気の読めないやつだ、蛇川は思った。彼との友情は終わっている。住む世界が違うんだ。気安く花なんて送ってくるな、その思いを込め秘書に、「これは送り返してくれ。不快、だ」と言った。秘書は驚いていたが、「かしこまりました」とロボットのようにマニュアルどおりにいつもと変わらぬ受け答えをした。
秘書が花を持ち去ろうとし、それを眺めていた虻川にあるものが目にとまった。なにかのカードだ。
「ちょっと待て」
虻川が秘書を呼び止め、彼女が振り向いた。彼は秘書が手に持っている花に歩み寄り、二つ折りのカード引っこ抜き、中身を確かめた。そこにはメッセージが書かれていた。
〝元気かい虻ちゃん。僕は設計技師になったよ。ねえ、虻ちゃん。僕らの友情は戻らないの?〟と記入されていた。読み終わったと同時にメッセージカードを虻川は破り捨てた。その一部始終を見て驚いている秘書に向かって、「早く行け」と彼は怒鳴った。
虻川は苛立った。好調なときに限って邪魔な思考がよぎりだす。あの日、屋上で振られた香苗との思い出、その後、付き合い出した、海原と香苗。
「ふざけるな!!!」
虻川は誰もいない社長室で怒気を飛ばした。何に対しての怒気か明白だった。香苗を取られたからだ。彼ではなく海原に。
社長室は虻川のパーソナルスペースだ。ここは絶対領域。お気に入りのONKYO製のコンポの電源ボタンを押し、再生ボタンを押した。
その流れてきた曲に虻川は舌打ちをした。
『アビーロード』に収録されている、『サムシング』が流れてきたからだ。
いやでも香苗に振られた日を思い出す。禁煙しているが、デスクの抽斗からマルボロを取出し、一本に火をつけた。何年ぶりからの煙に脳内がマヒし、クラっとする。都心の高層ビル最上階の窓から地上を見下ろし、街の風景を眺めた。
夏だというのに雪が降っていた。その雪は香苗の肌のように白く、虻川の心は黒く淀んでいた。
〝なにが氷河期、だ〟
彼は不適な笑みをもらし、気分を落ち着かせ、次の人生ステップの戦略を練りはじめた。
その五年後に虻川はあれだけ嫌がっていた政界に進出した。父親が大臣を務め評価が高かったためか、比較的に簡単に当選した。最初、選挙に出馬した際に方々から、「親の七光りが」とか「事業と政治は別物だぞ」という揶揄とも蔑み、嫉妬ともとれる発言があったが、虻川もこの十年で学んだことがある。
そう、人間というのは挑戦し結果を人間を応援するのではなく、嫉妬し批判するのだということ、を。自分たちも本当は喝采を浴びたい、だが批判するやつらに限ってリスクをとる勇気がないのだ。小さい円を描いてその中で大半がどうしようか、と考え蠢いている。その間に時を刻み、歳をとり、あのときこうしておけばよかった、という自己回想にふける。
くだらない、彼は率直に思った。そんな負け組に合わせるより、そんな雑念を振り払い、挑戦し突き進めばいい、それでこそ生きた甲斐があるというものだ。事実その熱意に動かされ、創業した会社は成功し、既に次世代の人間に社長の座を譲った。時折、アドバイザーとして意見することもあるが、ごく稀だ。株主でもあるのだから、それぐらいっちょっと顔を出すぐらいはいいだろう。
父親と同じ、というのは癪だがあっという間に大臣まで昇りつめた。極秘資料の閲覧も可能で、過去の汚職や陰謀論などのデータも閲覧した。それにしても政治家といのは女好きなのか、女性スキャンダルで全てのキャリアが消し飛んだ人間があまりにも多い。まあ、政治家に限らずどの世界でもいえることだが。女性には気をつけろ、というのは父親の口癖であったが、長年政治家として活動しただけはあり、あながち間違ってはいないらしい。
そんな虻川も選挙で当選した際に結婚した。某財閥の社長令嬢だ。由美子と言った。どことなく香苗に似ていた。すらりとした体型。黒髪のショートカット。耳朶には、ほくろがあり、そこに神聖なるものを虻川は感じとった。視力が悪く、目を細める仕草も彼には好感触だった。どことなく芸術的な視点で人を見てしまうのは、かつてドラムに明け暮れた日々があったからだろうか、それともビートルズのストーリー性高い音楽に魅入れられたからであろうか、彼にはわからない。
由美子と結婚した一年後には男の子が生まれた。名は、「雪人」母親に似て、小柄で色白だ。まあ、虻川に似なくてよかった、と自分で思う。育児はもっぱら由美子に任せ、政治活動に精を出した。
そしてあの男と再開する。
そこからは三年で急成長し、その時点で上場の誘いがあったが、もう少し事業の根幹を図太く固めたいと思い断り、虻川が二十九歳のときに見事、東証一部上場を果たした。オフィスには多数の花が届けられた。その中に、忘れ去られた名前があった。
〝海原透〟と。
空気の読めないやつだ、蛇川は思った。彼との友情は終わっている。住む世界が違うんだ。気安く花なんて送ってくるな、その思いを込め秘書に、「これは送り返してくれ。不快、だ」と言った。秘書は驚いていたが、「かしこまりました」とロボットのようにマニュアルどおりにいつもと変わらぬ受け答えをした。
秘書が花を持ち去ろうとし、それを眺めていた虻川にあるものが目にとまった。なにかのカードだ。
「ちょっと待て」
虻川が秘書を呼び止め、彼女が振り向いた。彼は秘書が手に持っている花に歩み寄り、二つ折りのカード引っこ抜き、中身を確かめた。そこにはメッセージが書かれていた。
〝元気かい虻ちゃん。僕は設計技師になったよ。ねえ、虻ちゃん。僕らの友情は戻らないの?〟と記入されていた。読み終わったと同時にメッセージカードを虻川は破り捨てた。その一部始終を見て驚いている秘書に向かって、「早く行け」と彼は怒鳴った。
虻川は苛立った。好調なときに限って邪魔な思考がよぎりだす。あの日、屋上で振られた香苗との思い出、その後、付き合い出した、海原と香苗。
「ふざけるな!!!」
虻川は誰もいない社長室で怒気を飛ばした。何に対しての怒気か明白だった。香苗を取られたからだ。彼ではなく海原に。
社長室は虻川のパーソナルスペースだ。ここは絶対領域。お気に入りのONKYO製のコンポの電源ボタンを押し、再生ボタンを押した。
その流れてきた曲に虻川は舌打ちをした。
『アビーロード』に収録されている、『サムシング』が流れてきたからだ。
いやでも香苗に振られた日を思い出す。禁煙しているが、デスクの抽斗からマルボロを取出し、一本に火をつけた。何年ぶりからの煙に脳内がマヒし、クラっとする。都心の高層ビル最上階の窓から地上を見下ろし、街の風景を眺めた。
夏だというのに雪が降っていた。その雪は香苗の肌のように白く、虻川の心は黒く淀んでいた。
〝なにが氷河期、だ〟
彼は不適な笑みをもらし、気分を落ち着かせ、次の人生ステップの戦略を練りはじめた。
その五年後に虻川はあれだけ嫌がっていた政界に進出した。父親が大臣を務め評価が高かったためか、比較的に簡単に当選した。最初、選挙に出馬した際に方々から、「親の七光りが」とか「事業と政治は別物だぞ」という揶揄とも蔑み、嫉妬ともとれる発言があったが、虻川もこの十年で学んだことがある。
そう、人間というのは挑戦し結果を人間を応援するのではなく、嫉妬し批判するのだということ、を。自分たちも本当は喝采を浴びたい、だが批判するやつらに限ってリスクをとる勇気がないのだ。小さい円を描いてその中で大半がどうしようか、と考え蠢いている。その間に時を刻み、歳をとり、あのときこうしておけばよかった、という自己回想にふける。
くだらない、彼は率直に思った。そんな負け組に合わせるより、そんな雑念を振り払い、挑戦し突き進めばいい、それでこそ生きた甲斐があるというものだ。事実その熱意に動かされ、創業した会社は成功し、既に次世代の人間に社長の座を譲った。時折、アドバイザーとして意見することもあるが、ごく稀だ。株主でもあるのだから、それぐらいっちょっと顔を出すぐらいはいいだろう。
父親と同じ、というのは癪だがあっという間に大臣まで昇りつめた。極秘資料の閲覧も可能で、過去の汚職や陰謀論などのデータも閲覧した。それにしても政治家といのは女好きなのか、女性スキャンダルで全てのキャリアが消し飛んだ人間があまりにも多い。まあ、政治家に限らずどの世界でもいえることだが。女性には気をつけろ、というのは父親の口癖であったが、長年政治家として活動しただけはあり、あながち間違ってはいないらしい。
そんな虻川も選挙で当選した際に結婚した。某財閥の社長令嬢だ。由美子と言った。どことなく香苗に似ていた。すらりとした体型。黒髪のショートカット。耳朶には、ほくろがあり、そこに神聖なるものを虻川は感じとった。視力が悪く、目を細める仕草も彼には好感触だった。どことなく芸術的な視点で人を見てしまうのは、かつてドラムに明け暮れた日々があったからだろうか、それともビートルズのストーリー性高い音楽に魅入れられたからであろうか、彼にはわからない。
由美子と結婚した一年後には男の子が生まれた。名は、「雪人」母親に似て、小柄で色白だ。まあ、虻川に似なくてよかった、と自分で思う。育児はもっぱら由美子に任せ、政治活動に精を出した。
そしてあの男と再開する。