秋津は殺し屋としてのスキルを高めていった。汚職、不性献金の疑いがある政治家に対し、相手を確認するや、闇に紛れ二秒で銃殺。彼の存在は殺し屋業界では有名になり、感情、痕跡、存在が〝無〟とされていることから、『サイレント』という通り名までついた。自然と報酬は高額になっていた。気づけば二十五歳になっていた。

 世界では冷気かと思えば暑気が四季問わず襲い、南極の氷の大半が溶け、離島や海沿いの国は消えていた。

「新しい仕事だ」

 梅島駅から徒歩十分にあるオフィスでパソコンに向かいながら倉林は言った。二人の心を表すかのように殺風景なオフィス。事務机が人数分。テレビ、ソファ、冷蔵庫。壁に掛けられたレオナルド・ダヴィンチ『最後の晩餐』が更に殺風景さを際立たせる。

「最近、仕事の間隔が早過ぎません?」
 秋津もパソコン画面を見ながら言った。

「ボスを快く思わない連中も多いからな。味方もいれば敵もいる。どの世界でも市場争いは激化し、どの世界も、〝信用第一〟だろ」

 倉林はマウスを手際良く操作しある画面をクリックした。
「一週間後だ。野外コンサートだな。それも場所はすぐ近く荒川だ。足立区に有名アーティストを誘致する金なんてあるのか。それにあんな狭い場所で。それも葬る相手が現職の総理大臣ときたもんだ」

「総理大臣の小西?なぜなんだろう」

「あいつが総理になってから全く政策は進まないし、外国の言いなりになってる。こんだけ天候不順が続いて世界各国が協力しなきゃいけないのに外交も進みはしない。当然、輸入に頼る日本は滞り、食糧不足が起こる。となると日本各地で食糧強奪が起こる。だから、早めに引きずりおろしたいんだろうな。だが、こいつ人気なるんだよな。いい男はわかってるよ。女性を味方につければ、なんとかなる、って」

 倉林の言葉に納得してしまう秋津はいた。無能と無策で知られる小西だが、政治家特有の脂っ子さはなく、爽やかな甘いルックスと清潔感が漂い、主婦層のみならず若い政治に興味のない女性を虜にしている。

「野外となると、むこうも警戒してますね。護衛が多そうです」

「まあ、それでも二秒だろ?『サイレント』」
 倉林が挑戦的な目を秋津に向ける。

「もしかしたら一秒かもしれません」
 秋津は指でピストルを作り、バン、と倉林に放った。

 が、その茶化しを真に受けることなく倉林は、「過信は禁物だぞ。痛い目を見る」真剣な眼差しを秋津に向けた。それは鷹のように鋭い目つきだった。
 
 決行日は天候不順が嘘のように晴れ渡った。荒川沿いには特設ステージが出来ていた。なにより秋津が驚いたのは、荒川の上にステージを作り、それを土手沿いで見れる形式だ。土木作業技術の進化をまざまざと感じた。これならば土地がない足立区でもコンサートが開ける。有名無名のアーティストのリハーサルを秋津は眺める。なぜ、こんなレベルがプロとして活躍してるんだ、というのもいれば、彼が、おっ、と思ったアーティストは長年色褪せることなく活躍してるものだった。午前十時に野外コンサートは幕を開け、轟音が至るところで響き渡った。

 午後三時にターゲットである総理大臣小西が到着。アーティスト達よりも黄色い歓声が飛んだ。小西を確認し、秋津は千住側にあるマンションと一体になった図書館に紛れ込んだ。スコープ付き銃で小西を凝視する。護衛は総理大臣を囲むように四名。いや他に三名が周囲を観察している。慣れた動作、慣れた目線、慣れた位置間隔。だが、どんなに周囲を巡らそうが、必ず針の穴を通す瞬間がある。それを忍耐強く待つ。そして一瞬で決める。

 どうやら小西のお目当てのバンドが登場したらしい。それは秋津も知っていた。化粧を施した風貌、荒れ狂う演奏、ときに緩急をつけたかのようにピアノを取り入れ心を穏やかにするバラード。そのギャップ、世界観に魅了されたファンは日本のみならず世界にも多い。

 小西は仁王立ちで演奏に聞き入っていた。曲目も終盤に差し掛かり、花火が頭上高く上がった。ギター、ドラム、花、などの花火だ。そして最後にナイアガラが荒川を彩った。辺りに歓声が湧き、護衛をしていたものたちの一瞬の気の弛みを秋津は見逃さなかった。ほぼ全員が花火に目を奪われ、針の穴が見えた。

 秋津は引き金を引こうとした。

 が、スコープ越しに見知った顔。ほろ苦い思い出が突如見えた。

 そう、柚葉だった。秋津が一目惚れした女性。キスを目撃してしまった女性。負の連鎖の始まり。雑念が一気に全身を駆け巡る。なぜここに?秋津の額に汗が滲み、顎を伝いい一滴垂れた。花火が終わると同時に、柚葉は右方向へ去り、動揺したまま秋津は銃を放った。その刹那、時が止まったかのような静寂と共に、護衛官が喚き出す。が、秋津は見られていた。位置を確認され発砲された。その時、秋津の視界に柚葉が映る。パニックに陥ってる観客達に呑み込まれていた。押され、蹴飛ばされていた。
 助けないと、秋津は危険を顧みず柚葉の元へ向かった。

「びっくりしたよ。秋津君なんだもん」
 柚葉が声を上げる。

「いや、びっくりさせるつもりはなかった」

 秋津は抑揚のない声で言った。あの後、土手に倒れて気を失って倒れて柚葉を起こし、おぶって、彼女が寝言なのか意識が朦朧としているのか、「あそこへ行って」と言われ辿り着いた先が梅島駅から徒歩十五分程にあるアパートだった。そこは柚葉が一人暮らしをする場所だった。

「変わってないね」柚葉が視線を秋津に向ける。その視線を避けるように目を逸らせた。

「そちらも」

 秋津は照れてぶっきらぼうな口調になる。
「あの時のままだ。髪の毛、短髪にしたんだ。そっちのが似合ってるよ。長髪より」と眩しい笑顔を見せ、「なにがあったんだろう」と柚葉は首を傾げた。

「誰か撃たれたみたいだね」と撃った張本人が言う。

「怖いなあ。私、死ぬかと思ったよ」と柚葉が言い、「大丈夫。死なせないから」と秋津は自然にその言葉が口から漏れ、「いや、怪我もたいしたことなくてよかった」と言い換えた。

「素直じゃねいね。本当はやさしいの知ってるよ。本当にやさしい人は不器用だから」

「俺はそういう男ではないよ」

 秋津はアパートの窓から外を眺めた。荒川の方ではパトカーのサイレンが鳴り響いている。

「これ」と柚葉が言い、秋津は振り向き目を見開いた。彼女が手に持っていたのは、あの日、柚葉に貸すはずだったCDだった。「ラバー・ソウル」「アビー・ロード」ケースは叩きつけた衝撃でひび割れていた。嫌でも栗原と柚葉のキスシーンが頭を過る。

「それは、俺の?」

「そうだよ。うーん。今更だけど栗原君とはなんでもないよ。あのキスだって強引にしてきたんだもん。たしかにカッコイイとは思ったけど下心が見え透いていて性格的にね」と柚葉は過去の苦い経験を顔に滲ませた。

 秋津は倉林の言葉を思い出した。
〝失敗する原因は、思い込み〟
 状況が見えてなかったのは俺の方だったか、秋津は肩の力を抜いた。

「CDよかったよ。秋津君が弾いてた、『ヒア・カムズ・ザ・サン』何度も聴いたよ。もっと話したかった。あの後、全然話さず、卒業しちゃったから。会えて嬉しかった」

 柚葉の目元から透き通った涙が洪水のように止まることなく流れた。自然と秋津は彼女に歩み寄り抱きしめていた。抱きしめた瞬間、暗い心が洗われ、秋の風のような安らぎを覚えた。全てを忘れ去るかのように秋津は柚葉の唇に触れ、舌を絡ませ、小ぶりな胸を荒々しく揉み、彼女の中へ侵入した。足りないものが、見えた瞬間だった。

 そう、〝愛〟ただそれだけ。柚葉の静かな寝息を聞きながら、秋津は激しく涙を流した。
 孤独だった、彼は涙声でつぶやいた。

「なんか最近、楽しそうだな。ギターなんか殺し屋が弾きやがって。それにうめえじゃねか。お前、才能の宝庫なんじゃねの」

 倉林がクラッカーの上にチーズとキャビアをのせて一口で食べ、赤ワインをグラスに注ぎ、慣れた手つきで喉にも注いだ。

「いや、とくに」

 アコースティックギターのチューニングを合わせながら秋津は言った。急にギターが弾きたくなり、通販サイトで仕入れた。急にというのは語弊がある。柚葉に言われたのだ。

「ねえ、あなたのギターの音、感情がない。それが魅力でもあり、怖い」、と。
 ショックだった。無意識に殺し屋としての感情抑制が働いているのかもしれない。それに殺し屋でいる内は、ギターの音に感情が宿ることはないのか。かつてあったフィリーングが失われていることに、秋津は気づいた。

 そんなことはお構いなしに、「それ何って曲だ?」と倉林がほろ酔い加減で訊いてくる。
「『ヒア・カムズ・ザ・サン』ですよ」秋津は弾きながら言う。
「やさしい曲だな。そういえば、『ジ・エンド』ってどういう曲なんだよ。弾いて」
 と倉林がスナックの酔っ払いのようなリクエストを出す。

 秋津は、『ジ・エンド』を奏でた。前半は家族みんなで朝食を突つきあっているような雰囲気だが、後半はビートルズの最後の曲であり、メンバーの仲は最悪であり、暗い陰を帯びる。

「イメージと違うな。もっとダークな曲かと思ったよ」と倉林が言い、クラッカーを歯で噛み砕き、「なんでお前後半目を瞑ってたんだ」と訊いた。

「ああ、『ジ・エンド』って最後の約二十秒間、無音なんだ。〝これで最後だよ、じゃあね〟って言われてる気がして」

 秋津は立ち上がり、レオナルド・ダヴィンチの絵が飾ってある壁にギターを立て掛けた。

「なるほどな。人間同士は何が起きるかわからねえな。志一緒の仲間も、何か一つ欠陥が生じると、その仲は破綻だ。それに」倉林は一拍間を置き、「〝じゃあね〟という言葉は、別れの辛さを知ってるものが言うべきだな。今は気軽に〝じゃあね〟を言うやつが多すぎる。また会える保証はないのに」

 倉林がまた悲しみの表情をするときに浮かべる遠いところを見る目つきをした。息子のシルエットがその先にあるのだろう、と秋津は思った。

 話題を変えようと、「小西は死亡したんですよね?」秋津は訊いた。
「ああ」と倉林は自分の頬を叩き、酔いを醒ませ、「死んだよ。病院に担ぎこまれた後、病院関係者を買収して聞いたから間違いねえ」と言った。

「その割には、なんも報道されないですよね。むしろ何もなかった風、だ」
 事実、報道では爆竹のような音がなったが、たんなるイタズラとして処理されていた。

「かなり広範囲に箝口令が敷かれてるみたいだな」と倉林が言った瞬間、彼の携帯が鳴った。もしもし、と快活にでる、その数秒後、倉林の顔色が変わり、秋津の方を見る。

「おい、お前は銃はどうした!」物凄い剣幕で倉林が声を張り上げる。出会ったはじめて見る光景だった。それを言われて、秋津の表情に冷や汗が脇の下を覆う。

 そう、忘れた。置き忘れた。柚葉に目を奪われていた。マンションと一体になった図書館の小部屋、に。

「まさか、置いてきたのか、現場に」と倉林が、信じられない、という表情で秋津に声を掛ける。

〝過信〟倉林の言葉が秋津の頭を右往左往した。
「過ぎたことはもういい。小西は生きてる。荒川にいたのはダミーだ。ボスの周辺の仲間も次々に報復として血祭りにあげられてるみてえだ。お前の銃から足がついた」

 と言った直後、オフィスの扉が吹っ飛んだ。その衝撃と共に、噴煙が昇り、銃弾が閃光のように降注ぐ。倉林がすかさず銃を投げ秋津はキャッチする。事務机の後ろに隠れる。だが、急場にしのぎに過ぎないことは明白だ。

「だから言ったろ、過信はするな、って」息を切らせ倉林が言い、「が、今は動揺を隠せ、平常心でいろ、そうやって教えただろ。ミスはこの状況を片付け取り返せ。何名だ?」

「四人です」秋津は落ち着きを取り戻して言い、「さすがに状況判断は一級品だ。向こうが弾倉を入れ替えてるときがチャンスだ。一回だ。チャンスは一回だぞ」

 閃光と噴煙が辺りを覆う。事務机がいつもつかわからない。秋津は死を感じ、自分の愚かさを呪った。
 俺のせいだ。どうしてもそのことが頭から離れない。

 が、まずはこの窮地を切り抜けなければならない。徐々に轟音の勢いが薄れてきた。

「今だ!」
 という倉林の合図に、弾丸の音がした方向に銃を連射する。弾倉の変えはない。確実に一撃で仕留めていくしかない。

 秋津は扉にいる二名を瞬殺。後二名。倉林がベランダにいる一名を仕留め、後一名。が、その一名の気配が消えた、と秋津が思った刹那、背後で物音がし振り向いた瞬間に倉林が、「秋津!!!」と初めて呼び、秋津を弾き飛ばした。その際に秋津は体勢を崩しながらも全ての弾丸を背後からの刺客に放った。そして静寂が訪れた。

 秋津は起き上がり、かすり傷はあったが怪我をしてないことを確認し、「無事終わりましたね」と倉林に声を掛けた。

 が、応答がなかった。異変を感じ秋津は倒れている倉林に駆け寄る。上体を起こすと、倉林の右脇腹が鮮血で染まっていた。自然と秋津の右手にも温かいものが伝わって来る。

「倉林さん!」秋津は叫んだ。「今、病院に連れていきます。電話、電話。なんでないんだよ電話が」

 倉林が力の入ってない手で秋津の左手を掴んだ。
「秋津。もういいんだ。俺は生きたよ。医者に行ったって助かられねえことは自分の身体だからよくわかってるよ」彼の口が鮮血で濡れていた。

「俺のせいだ。俺がもっと状況を確認してれば。俺が私情を挟まなければ」

「あの女か?」

「知ってたんですか?」

「おい、俺は倉林冬彦だぞ。そんぐらいわかってるよ。この一週間、お前の幸福そうな顔を初めて見たよ。お前にはちとこの業界は重過ぎたかな」と倉林は目を瞑った。その度に秋津は、倉林さん!と叫ぶ。

「うるせえな。生きてるよ・・・・・・でも、なんだかお前には悪いことしたな。こんな血なまぐさい業界に巻き込んじまって。息子が大きかったらお前みたいな男がいいな、と思ってたよ。ありがとよ夢見させてくれて。ギターよかったぜ。じゃあね、秋津」
 そう言って倉林の心臓は止まった。

「倉林さぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
 秋津の嘆きとも叫びともつかない慟哭が穴だらけのオフィスにこだました。