その出会い、運命につき。

「あ、風邪はもう大丈夫ですか?」

「もう平気。」

胡桃さんはガッツポーズのようなジェスチャーをしてみせた。
それに私は顔がほころぶ。

「今度からは早めに対処してくださいね。」

「病院好きじゃなくてさ、風邪なんてほっとけば治るだろうって思ってたんだけど、みごとにこじらせたよねー。」

照れたように笑う胡桃さんにつられて私も思わず笑ってしまう。
私が予想した風邪のこじらせた理由、大体当たっていたみたいだ。

「まあでも、今度からは早めに病院にかかるよ。薬局行けば君に会えるしね?」

ドキッ。とした。

あまりにも自然な会話の流れに、そのまま流しそうになったけど、でも気付いてしまった。
“君に会えるしね”って、そんな深い意味はないのかもしれないけど、私の鼓動を速くするには十分すぎる言葉だ。

落ち着け。
落ち着け、私。

本当は病気にならないのがいいんだけど、でも。

「お待ちしております。」

冗談っぽく言ってみたら、胡桃さんはニッコリと笑った。
すごく、心が安らぐ。

なんか、このまま別れたくないな。
もうちょっとお話ししたい。
胡桃さんのこと、もっと知りたい。

そんな欲望がふつふつと湧いてくる。
だけど、彼を引き留めるこれ以上の話題が思い付かなくて、もやもやしてしまう。

何かを言わなくては。
いい淀んでいると、胡桃さんの方から話しかけてくれた。

「これ、見てもいい?」

さっき私が渡した包みを、私の返事を待たずにガサガサと開ける。

目の前で開けられるのは少し緊張する。
もし喜んでもらえなかったら、趣味に合わなかったら、とか考えてしまうからだ。

包みから出てきたのは、紺に近い深い青色のハンカチ。
明るい青色のステッチが入っている。
シンプルだけど少し遊び心があるデザインだ。

ハンカチなら迷惑にならないかなと思ったのと、深い青色が胡桃さんに似合うと思ったから。
ハンカチを取り出した胡桃さんの表情は動かない。
居たたまれなくなって、私は先手を打つ。

「趣味に合わなかったらごめんなさい。」

私の言葉に、胡桃さんはふっと顔をほころばせて言った。

「いや?こんなおしゃれなの持ってないから、嬉しい。センスいいね。ありがたく使わせていただきます。」

そう言って、大事そうにカバンにしまう。
そんな些細な仕草に、私はいちいちドキドキしてしまう。
本当に、使ってくれたら嬉しいな。

「ごめん、立ち話。」

「あ、いえ、こちらこそ。」

突然、胡桃さんが思い出したかのように言う。

私ったら、もうちょっと話したいだなんて、おこがましい考えだった。
平日の仕事帰り、コンビニに立ち寄った後は早く帰りたいよね。
「女性が夜遅くなるのは危ないね。家どこ?」

事も無げに女性扱いをしてくれ、私の胸は更に高鳴る。

「あの、ここから3つ向こうの駅です。」

最寄り駅を告げると、胡桃さんはハッとした表情になって言う。

「そこ、俺の会社の最寄り駅だ。」

「えっ、そうなんですか?」

すごい偶然。
もしかしたら今までどこかですれ違っていたかもしれない。
そう思うと何だか嬉しい。

「あの辺最近開発されて新しい店ができたよね。」

「そうなんです。いろいろ気になってるけど、まだ行けてないです。特に肉バルのお店。毎日帰りにその前を通るのでお腹すいちゃいますよ。」

思わず力説する私に胡桃さんは、大きく頷きながら、

「あー、わかる。あれは反則。」

「ですよね!お肉の焼けるにおい、すごく美味しそうですもん。でもさすがに一人では入りづらいかな。」

肉の焼ける芳ばしい香りが駅前の道一体に広がる。
一度は食べてみたいと思うものの、一人では入りづらいし、友達も離れて住んでいたりしてなかなか一緒に行ってくれる人もいない。
「じゃあ今度一緒に行かない?」

「えっ?」

「俺も気になってたんだよね。ダメ?」

突然の申し出に、戸惑う。

ダメじゃない。
全然ダメじゃない。
むしろ、いいんですか?
え、本当に?

こんな展開を望んでいたわけではないけど、嬉しいと思えるのは相手が胡桃さんだからだろうか。

「えっと、じゃあ、お願いします。」

おずおずと頭を下げると、胡桃さんが優しく笑う気配がした。

お互い、連絡先を交換して別れる。

ほんの数分の出来事だったのに、私の心はふわふわと宙をさまよっている。

まるで夢をみているかのようだ。
何回かのメッセージのやりとりの後、土曜の夜に肉バルへ行くことが決まった。
胡桃さんは基本土日休みだそうだ。
私は日曜プラス平日は交代で休み。
土曜は出勤だけど隣接のクリニックが午前中診療のため、それに合わせて14時までの営業になる。

その日は心落ち着かず、時間が経つにつれてそわそわしてしまう。
上司にも「どうしたの?」なんて聞かれてしまうあたり、私のそわそわ度は半端ないようだ。

仕事が終わってダッシュで家へ帰る。
時間にはまだまだ余裕があるのに、早く帰って準備をしなくてはと心の中の私が言う。

服は何を着ていこう。
やっぱりおしゃれな感じがいいのだろうか。
クローゼットを開けてみたけど、これという服が見つからず私は悩んでしまう。

スカート?
パンツ?
ワンピース?

散々悩んだあげく、結局普段仕事へ行くのとたいして変わらないブラウスにカーディガン、タイトスカートという代わり映えのしない服装になった。
こんなとき、おしゃれな人は何を着ていくんだろう?
こんなことなら、昼間のテレビでやっている“おしゃれコーデのコーナー”を真剣に見ておくんだった。

後悔しても仕方ない。
時間は刻々とせまっている。

最後の悪足掻きで、髪にリボンのバレッタをつけた。
少しは女性らしくみえるかな。

って、こんなのデート前の王道な行動じゃないか。
私ったら、何を考えているんだ。

ご飯を、そう、ご飯を食べに行くだけなのよ。
はぁぁぁぁ。
ちょっと、落ち着こう。

自分の姿を鏡に映す。
化粧もいつも通り。
だけど、薄い口紅も塗って。

デートじゃない。
うん、デートじゃないけど、それでも可愛く見られたいななんて思うのは、女の性かしら。
待ち合わせ場所は駅前だ。

結局靴まで何を履いていくか迷って、気に入ってるのになかなか履く機会のない少しヒールのある靴を選んだ。
普段はあまりヒールのある靴は履かない。
余計背が高くなってしまうから。
だけど、背の高い胡桃さんとなら、ヒールのある靴を履いても身長を抜かさないだろうと思って、思い切って履いてみた。

ドキドキしながら待つ。
改札から出てくる胡桃さんを、すぐに見つけた。
人混みに紛れていても頭ひとつ飛び出ている。
わかりやすくて思わず笑みがこぼれた。

「お待たせしました。」

「いえいえ、私も今来たところです。」

そんなテンプレートなやりとりなのに、すでに私の心は弾んでいる。

私服の胡桃さんは新鮮だ。
スーツ姿しか知らないから、新しい一面を見ることができて嬉しいというかなんというか。

とにかく、かっこいいのだ。
「じゃあ、行こうか。」

「はい。」

二人並んで歩き出す。
お店はすぐそこなのに、なんだか愛しい時間に感じられた。
背の高いかっこいい胡桃さんの隣を歩いていると贅沢な気持ちになってくる。

そんなウキウキな気分でいると、すれ違いざまに「でかっ」と呟く声が聞こえた。

せっかくいい気分だったのに、その一言で落ち込んでしまう。

背が高いことがコンプレックスだった、そのコンプレックスはもう克服したと思っていたのに。
心のどこかで燻り続けるネガティブな想い。
たった一言、それも直接言われたわけではないのに、ふいに私の胸を刺すのだ。

やっぱりぺったんこ靴にすればよかったな。

気付かれないように私はため息をついた。