佑香の手を引いて来た道を戻る。手筒花火を見ようと集まる人の流れがあり、なかなか思ったように進まないが、佑香ははぐれることなくついてきていた。
 打ち上げ花火をの会場を右手に見据えながら、大きな橋を渡り、歩道橋の手前で左に曲がる。そこには、市役所が立っていた。
 俺は佑香を連れて市役所の中に入る。普段ならば閉まっている時間のはずだが、ここは夜景を見る人たちのために、あるフロアを無料開放している。それは花火が上がる今日も例外ではない。市役所の東棟十三階。ここに展望ロビーがあり、あまり知られていないために人も少ない。打ち上げ花火を見るには、穴場中の穴場だった。
 この展望ロビーでは、丁度目線の高さか、それより少し高いくらいで花火が鮮やかに咲くのを見ることが出来る。ベンチは無く、立ってみるしかないが、自販機程度なら置いてあるから飲み物には困らない。
 俺と佑香はエレベーターに乗ると、一気に十三階まで駆け上がった。エレベーターの扉が開く。ベージュや白を基調とした、大きなガラスがグルリと一周する空間がそこには広がっていた。
 まだ花火が上がるには多少の時間もあり、この時間は手筒花火を見に行っている人が多いからか、十分に空いている。展望ロビーを一通り見渡すが、知り合いの姿はない。

「よくこんなところ知ってたね」

「昔、父さんに連れてこられたことがあってな。ガラスの向こうでちょっと臨場感に欠けるけど、我慢してくれ」

「全然! むしろ人も少ないし、目の前で花火上がるし、贅沢すぎるよ」

 手筒花火が終われば、多少人は増えるだろう。それでも、この展望ロビーは知名度が低く、特に同級生に会う可能性は低い。手筒花火をやっている辺りを見下ろしてみると、鮮やかな火花が豪快に回転しているのが見えた。打ち上げ花火まではまだ三十分以上あるだろう。

「綺麗だね。夜景も、手筒花火も」

 佑香が目の前に広がる景色への感想をポツリと漏らす。

「まだ花火まで時間あるし、もうちょっと右の方を見に行ってみるか?」

 ここから右、北東の方には、俺や佑香の生まれ育った町の一部や、中学校などが見ることが出来る。今の時間帯ならば、日も落ちかけてきており、市街地に比べれば灯りも少ないため、かろうじて中学校が見えるくらいだろう。それでも、暇を潰すには丁度よかった。

「こっちはあんまり見えないね。お昼に来ればいろいろ見えたのかな?」

「どうだろう。こっちは山ばかりだからなぁ」

「そうだね。私や友也の家や、小学校なんかも、山の影に隠れちゃってるだろうし」

 そんな会話をしながら、俺たちは展望ロビーをさらに右回りに歩いていく。東方面は、昼間に天気がよければ富士山まで見ることが出来た。山の辺りは暗いが、そのさらに向こうには、隣の県の街の灯りが広がっている。足元はこの街の灯りも煌めいていて、間にある山の暗さがまるで大きな川のようだ。その川を渡るための橋がもし架けられるなら、その橋もきっと爛々と夜景に映えるのだろう。

「友也、海が見えるよ!」

 もう少し展望ロビーを回ると、今度は南側の景色が見えてくる。市街地の中心部や、さらにその先には海が一望できる右の方では夕日が沈んでゆく様子もしっかりと見ることが出来た。
 海に面している街ではあるが、車でもなければ海までは距離もあり、学生の足ではなかなか海に行くことはない。だからこそ、佑香だけでなく、俺も海が見えるとテンションが上がる。

「あっちの方は半島の先端だよな。あれ、遠足で登った山じゃないか?」

「あ、ほんとだ。懐かしいね」

 市内の小学校の遠足といえば、半島の方にある蔵王山という、そこまで高くない山を上るのが恒例となっていた。俺たちの小学校は蔵王山とはだいぶ離れていたのだが、バスで半島の方まで行き、そこからは徒歩で山を登るのだ。

「そういえば、遠足のとき、友也が私を助けに来てくれたこと覚えてる?」

「あー、そんなことあった気もする」

「私がクラスの列からはぐれちゃって、山の中で一人で迷子になってたとき、探しに来てくれたんだよね」

 そうだ。あの頃は、佑香が道端の花に夢中になってはぐれてしまい、俺が先生の制止を振り切って山の中を探しに行ったのだ。佑香は来た道の中腹ぐらいに居て、一人で泣いていた。それを見つけた俺は、佑香の手を引いて皆のいる山頂まで戻ったのだ。
 思えば、あの頃の俺は周りの意見よりも自分の意見を重視していた気がする。先生に危ないからと止められても、俺はそれを聞かずに自分の意思で佑香を探しに行った。いつからだろうか。周りの考えに合わせ、自分で行動を起こさなくなったのは……小さい頃の自分の背中が、やけに大きく感じた。
 懐かしの蔵王山から、沈む夕陽に視線を移す。もう三分の二が沈んでいた。間もなく日没だ。そこから数分もすれば打ち上げ花火が始まる。
 海の見える南の景色から、さらに右に回れば、足元はお祭り会場で人のごった返す様子が見えてくる。これで一周だ。先ほどまで手筒花火が見えていた場所は暗くなり、人の波はそこから西にある打ち上げ花火の見える堤防へと流れはじめていた。本来なら、俺たちもあの流れに身を任せていただろう。
 打ち上げ花火数分前になって、この展望ロビーにもある程度の人が集まってきた。小学生低学年くらいの兄弟を連れた家族や、初老くらいの仲むつまじい様子の夫婦、三十代手前くらいのカップルなど、様々な人たちが花火が上がるのを今か今かと待ちわびている様子だ。
 いつの間にか外の景色はすっかり闇の中に沈んでいた。その闇の中で、街の灯りや、お祭りの屋台の灯りがキラキラと光る。地上十三階という高い位置で、俺たちはそれらの灯りを俯瞰して見ている。あの灯り一つ一つに、誰かしらの生活がある。それをまるで世界から外れて遠くから眺めているような、そんな間隔だ。

「いよいよだね」

 佑香が緊張した様子で言った。
 お祭りの公式サイトにあったプログラムでは、打ち上げ花火は十九時十分からと書いてある。今の時間は十九時九分で、花火が始まる一分前だ。
 携帯の時刻を数秒おきに確認する。心の中でカウントダウンを始めた。これが、佑香と見る最後の花火になるだろう。それが分かっているからこそ、この花火は俺の人生の中でも特別な花火だった。