直樹との通話を終え、佑香の日記を手に取る。なんだかんだ直樹たちと長く話し込んでいたから、きっと今日の分が書かれているはずだ。そう思って日記を捲っていくと、案の定、今日の出来事が佑香の字で綴られていた。

『六月三十日

 今日も友也が会いに来てくれた。とても嬉しかった。今日は友也と思い出の緑地公園に行った。私が友也に告白した場所だ。そこでちょっと意地悪な質問をした。友也はとっても困っていたけれど、本当のところ、私から告白していなかったら、私たちはどうなっていたんだろう? 私が告白していない世界なんてのもあるのかな?
 その後、私は友也に後悔を打ち明けた。友也も後悔の話をしてくれた。私は、自分の後悔が薄れていっていることが怖い。でも、それは友也も同じだった。だからこそ、早く友也にお別れを言わなければいけない。今日はチャンスだったのに、突然の雨でそれどころじゃなかった。来週は友也と一緒に夏祭りだ。絶対、そこで言おう。』

 やはり、あのとき佑香が言おうとしたのは、俺に会いに来ないでという言葉だったんだ。
 俺だって、このままで良いとは思っていない。直樹たちや母さんに心配をかけ、向こうでは俺が知り合いに見付からないようにしなければならない。来週の夏祭りは、それが最後になるかもしれないからこその大胆な予定だった。きっとこの夏祭りの日に、佑香は俺に会いに来ないよう、はっきりと告げるだろう。それはこの日記の記述からも、ひしひしと伝わってくる。
 それに、俺も怖いんだ。佑香を助けられなかった後悔が次第に薄れていくことが、堪らなく怖い。

 翌日、いつものように朝陽が昇り、新しい一週間が始まった。今週末には、佑香と夏祭りに出掛ける。その間、また俺の携帯は繋がらなくなるだろう。直樹には上手く誤魔化して納得してもらっておかなければならないな。
 学校へ行く支度をして、俺はいつものバスに一人で乗り込んだ。今日の運転手も柳瀬だ。
 数分ほどバスに揺られると、途中のバス停に直樹の姿があった。直樹はバスに乗り込んでくると、俺の横の座席へと座る。

「おはよう」

「おう。おはよう。昨日はすまなかったな」

 直樹が挨拶をしてくるので、俺は挨拶と、昨日直樹たちに心配掛けたことを改めて謝罪した。

「気にするな。こうして、また学校に来てるんだから、別にいい。それに、また太一や藪たちに会えたのは楽しかったしな」

 そう言って、直也は俺の肩を軽く叩いた。
 思えば、直樹の口から友人の名前が出るのは久しぶりな気がする。よくよく思い返してみると、高校一年の頃は直樹も俺と佑香と同じクラスだったからあまり気にならなかったが、二年生に上がってクラスが別れてから、直樹は一人でいることが多いように感じる。むしろ、高校生になってから、俺や佑香以外と喋っている姿をほとんど見ていない。そんなことに、中学の友人の名前を言う直樹の嬉しそうな姿を見て、初めて気がついた。
 直樹は中学時代では目立つ方の部類だった。多くの友人に囲まれ、その中の中心に立ってまとめていた姿が印象深い。今でも気さくで話しやすい奴だし、振る舞いは中学時代とさほど変化がない。だからあまり気にならなかったが、今と昔とでは、直樹の周りに集まる人の数が大きく違う気がする。
 中学生から高校生、そして一年生から二年生に進級する、ゆっくりと流れる時間の中で、確実に変化していたのに、俺はそのことに気づくことが出来なかったのだ。
 なおも直樹は昨日会った中学時代の友人たちのことを話し続けている。これほど、他人のことを話す直樹の姿が久しいということも、今になって思わされた。
 そのままバスは学校近くのバス停に到着し、俺は気恥ずかしさを感じながらも柳瀬にいつもは言わないお礼を言う。すると、柳瀬は俺に柔和な笑顔を向けながら軽く頭を下げてくれた。幼い頃に駄菓子屋でたまに見た、とても懐かしい笑顔だ。
 俺は身の回りにいる人たちのことを、知った気になって人物像を決めつけて、それ以上知ろうとしてこなかった。他人には他人の人生があって、同じような毎日を繰り返しているように見えて、少しずつ変化しているのだ。その変化に対する柔軟さが、俺には足りていないと思い知らされる。佑香にしたってそうだ。俺は本来、あっち側の世界にいるべき人間ではない。そんなことは、頭では理解している。でも、俺の意思で佑香に会いに行くことを辞めるという選択が出来ない。俺は佑香に言われるのを待っているんだ。
 バスを降りて、直樹と校門を潜り、別々のクラスへと入っていく。クラス分けも、俺の意思とは無関係な決定だ。こういう、選択肢が存在しない変化は楽でいい。ただ受け入れればいいだけだから。たとえそれで佑香や直樹と別のクラスになったとしても、それはそれでいいのだ。
 しかし、自分の意思で決めるということには、エネルギーがいる。だから俺は極力避けてきた。この高校だって、佑香に誘われて進学したし、告白だって佑香からだ。
 ふと、昨日佑香から言われた言葉が反芻される。

 “私が告白したことが無かったことになるのであれば、今度は友也から告白してほしい”

 佑香は、俺が未来を選べないでいることに気付いている。それを、俺が自分で未来を選べるように、少しでも後押ししようと、こんな台詞を言ったのだろう。