佑香のいる並行世界から自分の世界へと帰ってきた俺は夕食を済ませて自室へと戻った。今日は本当に不思議なことが起きたが、佑香に会えて、佑香にまた名前を呼んでもらえて嬉しくて仕方なかった。
 もう二度と話せないと思っていたのに、沢山のことを話した。笑顔を見ることはないと思っていたのに、佑香は何度も笑顔を見せてくれた。こんな充足感も久しぶりだ。
 最初に橋を渡ったとき、元気がないように見えた佑香も、最後に俺が橋を渡って帰るときには元の元気な佑香の姿を取り戻しつつあったように思う。
 それにしても……思返橋、か。俺は引き寄せられるようにこの橋を渡り、佑香と再会した。並行世界という理解の及ばない現象が起き、俺が佑香を救った世界と繋がった。その世界で俺は佑香を助けて命を落としていて……と、どれだけ頭を整理しても追いつけないほど今日の出来事は常軌を逸していた。
 まず、自分が死んでいる世界と言われても実感は湧かない。当然俺という存在は一人しかいないわけで、でもそれは佑香も同じだ。佑香はあの事故で俺の前からいなくなった。そのはずなのに、橋を渡ると佑香がいて会話も出来るし触れることも出来る。抱き合って泣いたときの佑香の髪の香りや感じた体温は間違いなく本物だった。
 もう一つ気になったのは、俺は渡れて佑香は渡れなかったこと。佑香も当事者であることは間違いない。あの並行世界との違いは俺か佑香の立場の違いだ。それなのに佑香はこちらに渡ってくることは出来なかった。
 そして思返橋だ。日本全国探してもこんな橋の名前はまずないだろう。それがこんな田舎の小さな橋の名前だというのだ。どうしてあの橋は思返橋という名前が付けられたのか、とても気になってしまう。公民館か小学校あたりならこの土地の歴史も調べられるだろうか。
 他にも気になることはいくつかあるが、おいおい調べていこうと思う。それとは別に俺は佑香と再び会う約束をしていた。今日の奇跡は明日以降も起きるとは限らない。世界を渡れるのは今日限りの出来事だったかもしれない。それでも、佑香とまた会えるかもしれないという約束は生きる希望のように思えた。
 あのまま佑香が無事である世界にずっといたいとも思った。でも、俺が死んでいるはずの世界でそれは難しい。俺も佑香もまだ高校二年生だ。生きていくためには親の助けがいるのに、俺はあの世界で親に会うわけにはいかなかった。それに橋の近くで佑香と一緒に過ごすのも、俺や佑香の親や近所の人たちに見つかる可能性は高い。そうなれば大騒ぎになるのは間違いなかった。
 俺は佑香と週末に会おうと約束した。佑香の世界に俺がまた渡れるという確証はなかったけれど、佑香とまた会える可能性があるだけで充分だった。週末にしたのは、週末なら遠出が出来ると思ったから。橋の近くよりも街中なら知り合いに会う可能性も格段に低い。もし誰かに会ってしまっても逃げるなり適当に誤魔化しようもあるだろうと俺は考えていた。なにより佑香と一緒にいられるのに、それを諦めるという考えはなかった。

 本当にそれでいいのか?

 意識の奥深くに押し込んでいた思いが急に浮上した。空気をふんだんに取り込んだペットボトルは、どんなに必死に水底に沈めていても、少し気を抜いたら勢いよく水面から姿を現す。中に閉じ込めた空気は酷く淀んでいた。
 本当にそれでいいのか。一度浮いてきてしまえば再び沈めるのは難しい。本当にそれでいいのか。この言葉が何度も何度も俺の頭の中で繰り返された。本当にそれでいいのか。答えは決まっている。
 蓋を開けて中を水で満たせば簡単に沈めることが出来るだろう。でも俺が水底に沈めておきたいのは容れ物ではない。とても浮力のある中身の方だった。