そこにはたくさんのキャンバスやベニヤ板がほこりよけのために黒い布をかけられていた。

 棚にも絵画と思しき作品が額ごと積まれている。

 透明なプラスチックの引き出しの棚にはどうやら昔の生徒たちの絵がしまわれているようだった。


「引っ越す前、一応全部ここに集めておいたんだ。帰ってきたとき少しは劣化しちゃってるかなあと思ったけど、確認したらわりと大丈夫だった。ほら、こっちが母さんの作品」


 青司くんは納戸の一角に立てかけられていたいくつかの絵を見せてくれた。


「これが初期の母さんの絵」


 それはピンク色が基調の、羽ばたく鳥や女性をモチーフとした水彩画だった。

 愛や命を表現しているようにも見える。

 力強い中に、繊細で壊れやすそうな儚さがあった。淡く美しいタッチで、人を強く惹きつける絵だ。


「そしてこっちは……だいたい亡くなる数年前から描きはじめてた絵。ずいぶん違うだろ?」


 それは色とりどりの植物の絵だった。

 描かれている花々や木々は、どれも見たことのあるものだ。

 決してピンクだけが基調とはなっていない。自由でのびのびとした色彩とタッチ。見ていると、どれもとても楽しい気持ちになるものだった。


「これはかなり……心境の変化があったと見てる」

「うん、わたしもそう思う」


 全部の絵を見ていて、気づいたことがある。

 これは……この家の「庭」だ。

 全部、庭にある植物を描いている。

 植物がクローズアップされているのでわかりづらかったが、いつも見ていた自分たちならわかる。植物の下、背景、それらには特徴的な花壇のブロックだったり、隣の家の壁だったりが描かれている。


 先生は……庭にあるものをモチーフにしていた。

 と、いうことは――。


「森屋さんのことをどう思っていたかなんて、母さんに直接訊いたわけじゃないからわからない。でも、この作品群をさっき思い出して……。だから、森屋さんにはああ言ったんだ……。俺、間違って……なかったよな?」

「うん。たぶん」

「……そっか」


 青司くんも、いろいろと思うことがあっただろう。

 それなのに……本当に大人になったな、と思う。

 反面わたしは……ダメダメだ。


 弱いままで、まったく成長できてない。

 ずっといじいじとくすぶっていて……。

 今だって、青司くんがせっかく丁寧にいろいろ説明してくれているのに……勝手にドキドキしたりしていて……話をあまり聞けていないでいる。


 だって。

 こんなに狭い場所で、薄暗くて、体の距離が近くて。
 動揺しないわけがない。


「あ、こっちもせっかくだから見る? 真白たちの昔の絵があるよ」


 透明なプラケースの棚を指して、青司くんが案内しようとする。

 でも。そのいつになく近くで響く低い声とか、わずかに香る青司くんの体臭とか、男らしいしぐさとか、そういうもののひとつひとつが気になってしまって、体が妙に熱くなってきた。


 だめだ。

 もっと近づいてしまったら、わたし……。

 そう思ったら動けなくなった。


「どうした? 真白……」


 振り返った青司くんが立ち止まる。


「あ……」


 わたし……変、じゃないよね。今。

 変じゃなかったら、大丈夫だよね?


「……」


 あ、でもでも、青司くんがなぜか黙ってわたしを見つめつづけてる。

 変、だからこんなに見てくるのかな?

 どうしよう。どうしよう。


 まだ、気持ちを伝えられないのに。


 青司くんがゆっくりとわたしに近づいてくる。

 とっさに一歩、下がった。でもすぐ後ろに棚があってそれ以上動けない。

 そのまま青司くんは、わたしの後ろの棚に手をかけてきた。


「……真白?」


 すぐ近くで、上から覗きこまれている。

 胸が……痛い。

 体中熱くなってる。

 それでも、青司くんは離れてくれない。
 逃げられない。
 狭い納戸の中で、わたしたちはじっと……見つめ合った。