「母はあの頃……よくフルーツタルトを作っていました。どうしてこんなによく作るんだって訊いたら、色とりどりなのがまるでお花畑みたいでしょう、ってよくわかんない理由を言って笑ってました。この庭、僕たちがこの家に来た当初はなんの花も咲いてない荒れた土地だったんです。それが、森屋さんに頼むようになってから、リーズナブルな料金なのにすごく素敵にしてくれて。毎日母が笑顔だったのも……きっとあの庭のおかげでした」


 青司くんはカウンターの先の窓から見える庭を見て、しみじみとそう言う。

 長年少しずつ育ててきた庭。

 最初は花壇が一つあっただけだった。でも、その花壇の花も教室のみんなでよく写生した。
 それから紫陽花とかドウダンツツジとかの花木が植わって。
 花壇もどんどん増えていって。

 少しずつ少しずつ華やかになっていった。
 先生がどうしてそこまで庭に入れ込んでいたのかわからない。自分で植えたりしても良かったはずだ。

 今思うと、あえて「森屋さん」に任せつづけてたんだ。

 やっぱり、先生も好意を持っていたのだ。森屋さんに。
 でも知り合ってからもう十年もの歳月が流れていて。
 その頃先生は四十代半ば。そして森屋さんは三十代後半。
 高校生の息子がいる歳で、とかっていろいろと悩んでしまったのかもしれない。

 まさに悩める乙女心、だ。
 桃花先生のいじらしさに、わたしは胸がきゅんとした。
 それは、森屋さんも同じだったようで。


「そんな……まさか……。彼女が……?」


 と、声を震わせている。


「先生は、俺の難聴にいつもいろいろ配慮してくれてた。何か話したいときは肩を叩いてから話しかけてくれたり、俺が補聴器を忘れて何度も聞き返しても、根気よく……もう一度話してくれたりした。俺はこんな耳だから、何か彼女が言った言葉を聞き逃すことも多かったかもしれない。だから、俺なんかを好きになるわけないと……思っていた。でもどうしても、この思いを抑えきれなくて……。あんな自分勝手に伝えたのに。それなのにこんな、こんな俺を……」


 森屋さんはカウンターに顔を伏せた。どうやら泣いているみたいだった。

 からん、とアイスコーヒーの中の氷が動く。
 それはまるで、彼の心の中のようだった。ずっと十年間凝り固まって凍り付いていたものが静かに溶けだしている……そんな風に見えた。