すぐそばにあった川辺の階段に腰かけ、ふたりとも少し休むことにする。


「いただきます……」

「うん」


 普通にプルタブを開けて飲む。

 うん、「普通」の味だ。

 普通の味。

 特別な点はあまりないけれど、これはこれでホッとする味だ。芳ばしい香りがほのかに鼻から抜けていく。


「あのさ、真白……」

「うん?」


 青司くんは川を眺めながら、黙る。

 どう言おうかと少し迷っているようだった。


「……」

「なに? 言いたいことがあるなら言って、ってさっき青司くんが自分で言ってたじゃない。なになに?」

「俺は……さ」

「うん」

「自分のために帰ってきたところも……たしかにある。けどさ、真白とかに母さんのおやつをまた食べてほしいって思ってたところもあるから。だから……二度と食べられないなんて。そんな悲しい思い、もうしなくていい。また食べさせてやるから」

「青司くん」

「って、まだそんな、味は完璧ってわけじゃないんだけどね。レシピが残ってたから、自分で作ってみて満足してたぐらいで……真白とか、やっぱり他の人も食べてみて『同じ』って思ってもらえないと意味なんて、ないんだけど」

「それは……大丈夫だよ。わたしが試食するから大丈夫」

「え?」


 くっと、もう一度コーヒーを一口飲む。

 目が覚めるような、ほど良い苦み。そしてその存在をたしかに主張しているコク。

 こんな、コーヒーみたいな自分になれたらいいと思った。


「任せて! わたしが『これは先生の味』って保証できるまでカントクするから!」

「真白……」

「あ、でも……食べさせすぎないでよね。太っちゃったら困る……」

「ふふっ。あははっ。そうだね、それは気を付けとく。でもまあ、真白なら大丈夫。太ってもきっと可愛いから」

「えっ!?」


 な、なに。その発言。ちょっと無責任じゃない?

 本当に太ったらどうするつもりだろう。

 ああ絶対、絶対太らないようにしなきゃ……。危険だ。青司くんの今の発言は危険だ。


「そんな、もう、適当なこと言って……」

「ふふふっ。ごめん。でも、ほんと心配しなくていいと思うよ。試食、なんだからさ、昨日みたいに全部食べる必要はないんだし」

「あっ」

「なに、全部食べるつもりだったの?」

「…………っ!」


 わたしはかっと熱くなって、それ以上そこにいられなくなってしまった。

 残りのコーヒーを一気飲みして、自販機横のゴミ箱に捨てに行く。

 後ろから青司くんも追いついてきて、青司くんも空き缶をゴミ箱に捨てた。


「別に、全部食べてもいいけど」

「……大丈夫。自分で、その都度判断することにします」

「そう? それならいいけど。でも本当、気にしなくていいよ。真白は十分可愛い――」


 それ以上言わせたくなくて、わたしは青司くんの口を両手でふさいだ。

 手袋越しに青司くんの吐息を感じる。


「もがっ」

「それ以上、勝手なこと言わないでよ。本当に太ったら……太ったら……責任取ってもらうんだからね……」


 責任、以降はものすごく小さな声で言って、わたしはすたすたと歩きはじめた。

 後ろからくつくつと笑う青司くんが追いかけてくる。

 あーもう。

 ほんと昔からこうだ。こうやってその気にさせるようなセリフを言われて、それにわたしがいつも動揺して、それを見てまた満足されるっていう。


 完全に掌の上で転がされている感じ。

 嫌だけど、本気では嫌じゃないからタチが悪い。



 その後は、小学校や、中学校を見に行ったりした。

 幸い、知り合いには出会わず、ぱらぱらと登校する児童たちとすれ違っただけだった。

 ひととおり近所を歩いてから青司くんの家まで戻る。


「じゃあ、そろそろかな」

「うん。だね。もうバイトに行かないと」

「俺も今日は午前中ちょっと申請に行ったりしないといけないから、帰ってくるのは夕方――」

「『九露木』さん」

「えっ……?」

「やっぱり。九露木さんちの青司くんだった。おや、そっちは羽田さんちの真白ちゃんじゃないか」


 背後からそう呼びかけられて、振り返ると、青司くんの家の隣に住む「大貫のおばあさん」がそこにいた。