「え!? 仕事を、辞めた?」


 半月前……。

 そんなの全然知らなかった。だって紅里は……ついこの前まで仕事の愚痴をメールで言ってたくらいなのに。


「ごめん、ずっと言い出せなかったの。長年憧れてた広告代理店だったから……どうしても辞めたくなくて。だからずっと、我慢して戦ってきたんだけど……でも、やっぱり耐え切れなくなっちゃって。でも、真白にはなんか知られたくなくて……」

「うん、うん……」


 紅里はそれこそ、学生の頃からその会社で働きたいって言っていた。

 そこでいろんな表現をしてみたいんだって、いつも夢と希望に満ちあふれていた。

 だから、晴れてそこに入社できたときには、他の友人たちと一緒に盛大にお祝いもしたのだ。


 なのに……そこを辞めてしまっただなんて。


 愚痴はいつも聞かされていたから、きっとその件だろう。

 なんでも上司とうまくいってなかったということだ。


 わたしは東京の大学に行くことも、一人暮らしすることも、希望の会社に就職することも、しようとすらしなかったので、紅里がそれを傍で全部かなえていくのをすごいと思っていた。

 その人生をうらやましいと思ったことも一度や二度ではない。


 わたしには、それは全部できなかったことだから。

 だから、そんな友人をわたしは精一杯応援してきた。


 でも……だからこそ、紅里はわたしに言い出せなかったんだろう。

 夢が破れたことを。

 わたしだったら、やっぱり同じようには言い出せないと思う。


「ごめんね。もうとっくに辞めてたのに、まだ働いてるみたいな嘘ついちゃって」

「ううん。言い出しにくかったなら……仕方ないよ」

「ありがと。でも、皮肉だよね。あたしは真白と違って前に進んでたつもりだったのに……こんなことになっちゃって」

「え……?」


 とげがあるような言い方にハッとすると、紅里は自嘲するように苦笑していた。


「最近さ、真白にメールで言ってたじゃない? えらそうに。けじめつけろ、なんてさ」

「あ。ああ、うん……」

「けじめつけられてなかったのは、あたしの方だったよ」


 紅里は泣き笑いみたいな表情で言う。


「あたしね、実は……ずっと青司くんが好きだった」

「え?」

「でもその気持ちをふっきるために……無理やり前を向いたんだ。そうできたのは……たぶん真白ほど、青司くんのことを好きでい続けられなかったからだと思うけど……でも、それは……けじめをつけたフリだった」


 衝撃的な発言のはずなのに、今のわたしはそれを不思議と穏やかに聞けていた。

 きっと、心のどこかで分かっていたのだと思う。

 だって、あの頃のお絵かき教室ではみんな青司くんを特別視していた。だから、紅里もそういう想いを抱いていたとしても、不思議じゃない。


 ただ、わたしに今まで黙っていたということは、それは紅里なりの優しさだったのだと思った。

 わたしはいつも自分の気持ちにばかり振り回されていて、周りを思いやる余裕なんてなかった。

 誰かを傷つけてばかりで、いっこうに成長できなくて。


 だからもし、そのときのわたしがそれを聞いていたら、きっともっとひどい有り様になっていたと思う。