子供の頃にあった沢山の夢は、歳を重ねるにつれて消えてしまう。キラキラと輝いていたと思う。出来ないという考えは無かったから。絶対になれると思っていたと思う。資格だとか、勉強だとか、夢に辿り着くまでの過程を飛ばして、夢を叶えて楽しく働く姿しか思い浮かべていなかった。

それがいつからか、夢を思い描く前にそれまでの過程を考えて、自分には向いていないと諦めるようになった。

”やる気がなさそうに見える”

まだ学生だった頃、クラスに先生も交えて行った授業。短所と長所を伝える。しかも、相手に誰が書いたかわかるように自分の名前も書いて。自分の手元に返ってきたプリントには、その文字が並んでいた。書いたのは、先生と5人。怒りとか、悲しみとかではなくて、ドスッと心に命中した。あぁ、やっぱりかって。自分でも、やる気がない事には気づいていた。けど、気づかないようにもしていた。

それは、就職活動で長所と短所を履歴書に書かないといけないから。短所は自分でも見つけられても、長所は自分では見つけにくいからと行った授業。社会人になった今でも、短所の欄に書かれたその言葉だけを覚えている。だけど、先生とその5人が嫌いになった。

やる気がなさそうじゃなくて、やる気がない。やる気を起こそうにも、出来ない。自分だって、やる気のない自分が嫌になる。好きでやる気が出ないわけじゃない。やる気があるようにと、外面だけでもと思うが、愛想笑いも上手くできない時点で終わってる。接客には向いていない。だから、デザイナーという現在の仕事にたどり着いたのかもしれない。基本的には、会社の人以外会う機会はない。それはとても有難い事。フリーランスも憧れたけど、自分でクライアントを得ないといけない上に、前職で担当したクライアントに、引き続きフリーになっても仕事をもらっているともあった。

出来ることならば、小説家や芸術家。人と接触を極力に少なくいられる職業に付きたかったが、才能も努力もない為諦めた。

目の前の作業中の画面が、それを表している。何を伝えたいのか、誰に見てほしいのか。配色もぼんやり。動きもないし、ワクワクもしない。そんな、すぐに埋もれるようなクソみたいなデザイン。イラストは描けないけど、デザインをするのは好きだった。だけど、好きを仕事にした筈が嫌いになりかけている。

「五十嵐‼」